温泉に浸って | 御舂屋(おつきや)のブログ

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2014年からブログを書いていますが、最近半分以上ブログを消しました。

刻は暮れ六つ過ぎだっただろうか。帰り、夜五つ頃まで私はそこで旅の疲れを癒した。
風に晒された心身を温めるためだ。
温泉街が夕さりに暗がりゆく中、旅籠屋をもとめて辿り着いた放浪者のようだった。

女中はお客を正賓として、もてなした。私は安堵した。やっと体を湯で流せる。無精して二日ほど風呂に入らなかった。ここまで来るのに時間が少なかったからというのもある。

湿った湯気が肌に沁みていく。
桶に湯を注ぐと、私は備品の合成界面活性剤(シャンプー等)を使って自分の御髪と体を泡立てた。たおやかな髪どおり。石鹸を含んだタオルが体を滑らす。そして、お湯を汲んで泡を流した。 滔滔と蛇口から注がれていく湯を呆けまなこで見つめていた。
桶で何度かお湯を浴びて、気づくと周りの客人はいなくなっていた。


私は立ち上がると、岩風呂に足を漬け肩を浸す。素裸の体全体が温まった。磨りガラスが目の前にあった。温泉が滝のように風呂になみなみと注がれ続け、その流麗な音が心地よく耳から頭の中へ響きわたっていた。閑散とした誰もいない風呂で私は体の芯までその熱が届くまで湯あみするのだった。美肌効果のある鉱泉らしい。肌はとろみが付いたようにすべすべしていた。端に体をやると、そのうたせ湯を頭に浴び続けた。そして、また石を枕にし溜飲を飲んで湯気のように朧なその記憶を思い浮かべた。瞼は閉じた。私は一人であることをいいことに、浴場の床に仰向けになった。冥するように睡眠の中へ吸い込まれていった。濡れた温かいタオルを下腹部へのせて。
よもや、考える余裕もなかったが、私の旅の背景には一人の若い麗人の姿があった。
私は古風なこの町で、よそ者としてその地を訪れていた。年に一、二度、あるかないかだ。お前のことを知らなければ、俺のことを誰も知りはしない、そういう非現実感が好きだった。

すべての町並みは想像に委ねられていた。そこでの人の生きざまを知らないのだ。私の物語はどこにあるのだろうか。一つだけあった。俺のことを淡くも顔見知り程度で覚えていた女が。彼女が感じ良く、まっすぐと見据えていたから特別な感じがしたんだろう。でも旅の景色のように印象強く私の記憶に焼き付いていた。想いは廻り、廻り合うだけ。
彼女のことは名前以外知らない。彼女は地味だった。性格は明るく、人当たりは良かった。普通の家庭に生まれた素朴な感じのする女だった。だが彼女の眼差しに惚れたように虹彩は大きく黒くて美しかった。
華やかであることはけして、女性への評価になるわけではない。服装などが地味であるということは相手にたいしても、おおらかであるということだ。他人を外貌でむやみに卑下しない、ということにも繋がる。しかし、そもそも顔が好みだったのだと思う。彼女はこの町で俺のヒロインだった。この町のあまねく舞台が彼女の演じる場であった。その人が生きてきた暮らしがそこにあり、私は純粋な夢の地平線の先を共に知ることになるのだ。勿論、これは一方的な願いだが。
私は汗ばむほてりをさます為に、しばし、旅館の表に出て涼んだ。河畔にある夜道を低徊して、木立の隙間から静かな川を眺めた。硯のような水面が揺らいで見え、微かな川のせせらぎが聞こえるかのようだった。広間ではピアノが流れていた。それも含めて湯治なのであろう。すべてが漆黒の霧をまぶして姿を潜めていくように、その月夜で彼女の瞬きほどの微笑みが私の前の灯として儚く照らした。