Ameba blogについて | 御舂屋(おつきや)のブログ

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2014年からブログを書いていますが、最近半分以上ブログを消しました。

Ameba blogについて標準的な常識があれば誰でもこう思う。ameba blogは非常に使いづらい。まず、amebaは表示されるデータ量が多すぎる。私のスマホはプランにより、大容量のデータ通信ができるのだが、simplogと同じ使い方をしようものなら、余りにも無駄なデータを食ってしまう。blogの目的はネット上で供覧し、人や社会に見せる為である。そして、その為に一般個人の利用者の場合、他人のblogに接して己の記事を知ってもらう。amebaの場合、simplogのように公平なblog一覧というものがないので、投稿一覧はいつもinstagramのように偏る。あまつさえ、blog一つ一つの記事の量が一定ではなく、人によっては、画像と広告を含む記事が茫々と呆れるほど長いので、時間も気力も消耗してしまう極めて非合理性の高い代物だ。しかも、最近の民度の凋落ぶりをよく示すものとして、記事の行間の空白の改行がありすぎる。そうした文章のほとんどは絵文字が用いられ、話し言葉を軸として未熟度を示す余りに稚拙な文章が綴られていく。憲法でいうところの表現の自由かも知れないが、ここには普通の他人がどう思うかという観点が全く欠けている。amebaには知らなくてもよい世俗的なニュースも多く、利用者側のデータと時間と精神の負担は大きい。しかし、そうした宣伝活動の努力がなければ、己の記事が知られることはなく、そうなると次第にblogを書きあぐねる。有名な芸能人でさえ、事情は同じなのである。知名度があれども、いいねが0なんてのも、不思議ではない、なのにただのどこかの馬の骨のような一介の個人の記事が数百のいいね、を獲得していることを見かけることもある。大抵は二桁だ。芸能人で多いのは芸人風情だ。社会と国民と世界を腐敗たらしめるだけの、くだらぬ蝿芸人がこれだけ人気を集めるということはそれだけバカな国民の数を表すというものである。単純に考えれば、人気の結果だが、私は表面的な判断を下すことはせず、他にその理由があることを憶測した。それはひとつに、世界が社会全体の方向性を恣意的に(具体的に楽観主義、消費優先主義、伝統的な民族文化習わしの否定に)嚮導したい狙いがあること、ひとつは、組織的に営利目的に記事にいいね、やフォロワーを付けるものがあることである。http://simplog.jp/pub/30854181/66

現代は人選を基準が明確でないものにたいして、非実力的主義による恣意的理由で選ばれることが一般的だが、これもその一貫だと思う。
いくら美人やかわいいからといって、いいねが大量に集中するわけではない。
私もinstagramでそういう実例はいくらでも見てきたからわかる。
外国は日本と違い、美しさの最高位に達するような女子が普通の生活の一部としてSNSをやっていることはザラである。
大抵は二桁から、多くて500程度。そのあたりの数字が常識的に考えられる範囲だと思う。たまに芸能人や有名人でもないのに、数千規模のいいねを付けるアカウントを見かけるが、そんな奴こそ、上記に挙げた不正の結果の良い例だ。
Youtubeにしてもネタ的な投稿にたいして閲覧者が数百万人など(ニュース番組でよく報道される)、いくら世界でもそんなに暇な人間がいるものだろうか?
現実はInstagramの一個人の二桁、Amebaの0~二桁が真実ではないだろうか。現代の人々は他人に無関心であることを考えると、そう考えるのが妥当であろう。
勿論、人類全体の日和見主義の影響もあるかも知れないが、まさにそれは人々の経済的な格差を作り出す理由にもなっている。
社会や他人の評価を唯々諾々と絶対的な判断基準とするから、少数派には見向きもしない。本当に値打ちがあるものをわかろうとしないのである。
蝿芸能人どもを崇め奉るように、自民公明政治家や金持ちを崇め奉っているのが、御身等国民なのである。
政治家や金持ちや芸能人は現状を維持し、さらに有利にし、既得権益をせ占めることしか頭はない。
ここに該当するあなたが社会や自然、人類の退化に加担しているという自覚を持ってほしい。
すべての存在、現象は互いに象徴し合う。つまりはその人間性は現代社会の反映であろう。だからこそ、己自信の精神から変えていかなければならない。
世界のあらゆるものにたいし、誠実さや、礼儀、品性、教養、配慮、自制心、真面目さ、慎み深さがなければより良き未来など訪れない。
そして、そうではない世界には何の値打ちもない。広瀬すずがCMで言ってたような、「私たちはスマホと大人になっていく、たぶん初めての人類だ」という驕りに満ち、自尊心を得んとする発言だが、歴史上の体験と見識から述べると、あなたたちの世代には何の値打ちもない、ということは言っておきたい。