東京9区からの出馬決意について | 小林興起オフィシャルブログ「世直しブログ」Powered by Ameba

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私は練馬に生まれ、練馬に育ち、地元の皆様のお力添えをいただきながら中選挙区制時代に東京第5区から立候補をいたしました。徒手空拳の選挙であり、供託金没収からのスタートでしたが、皆様方の頑張れとの声に励まされ3度目に初当選することができました。当時、練馬区で活躍されていた奥山、吉田両都議のご支援や、各地区で発足いただいた後援会を中心とする皆様方のおかげであったと今でも感謝いたしております。

そのご恩を忘れる事なく、選挙区が分断される小選挙区制導入に反対をいたしましたが、それが逆風となって次の選挙では落選いたしました。以後、小選挙区制に切り替えられ、練馬区の4分の3の地域が9区に、4分の1が10区にと分断されました。私は苦渋の決断でしたが、生まれ育った町である小竹町を含む東京10区を選挙区として選択いたしました。したがって大切な多くの練馬の地域が私の選挙区ではなくなりました。その後、小選挙区制は私が発言し予想した通り、日本の政治の大いなる低下を招いております。

 

そのような中、9区では自民党が新たに立てた後継者の菅原一秀さんが当選を続けることとなりましたが、来たる衆議院選への立候補は難しくなり、東京9区に保守系立候補者がいないと言われる中で、かつての後援会の皆様より小林興起に一期だけ衆議院選に立つべしとのお声をいただき、熟慮した結果、お世話になった方々の懐かしい顔がたくさん浮かぶ中に心動かされ、挑戦させていただこうと決意を固めました。

私は小選挙区制に移行した東京10区から衆議院に連続して押し出していただき、財務副大臣等の要職までいただきました。ところが、2005年小泉・竹中主導の下、アメリカの要求に沿った郵政民営化法案が出され、党内の声を押し切る形で法案が国会に提出され、参議院で否決されるや衆議院を解散し、衆議院本会議で反対した政治家全てを公認から外しました。そればかりか、その代わりに権力にゴマをすり、国益よりも保身を追求する政治家を公認候補として選挙区に送り込みました。それを、テレビ・新聞が刺客として面白おかしく書き立てる中に、政治の本質は見失われ、自民党公認を外された私は残念ながら落選いたしました。

アメリカとは中国の膨張政策を抑える意味での日米協力は必要ですが、日本を占領当時の支配下に置く日米地位協定の改定をするというプライドある日本の政治家という姿勢をきちんと貫きたいと考えております。また、長引くコロナ禍での大不況を乗り切るためには京都大学教授 藤井聡氏(第2〜4次安倍内閣の時の内閣官房参与)の発言にある通り、消費税を当面0%にし、大型予算を組んでコロナ対策費にあてる大政策を政権政党自民党に実行させることが必要だと考えます。

日本人のオリンピックでの活躍、大リーグでの活躍等、スポーツでの活躍には嬉しいものがありますが、政治の面でも米中の大政治家に負けない強い政治の力を結集することが大切です。保守本流の政治を実現し日本の真の独立を果たすには、独自の意思を持つ国であることを世界に示し、かつての豊かな日本を取り戻し、世界の平和と繁栄に貢献する国を創ることが大切だと考えます。東京9区の皆様方のご理解を賜りますよう心からお願い申し上げます。