映画「わすれない ふくしま」-飯舘村は日本一美しい村と呼ばれていた。 | すくらむ

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 映画「わすれない ふくしま」(四ノ宮浩監督)を観た。


 何かに出会い、心揺さぶられるたびに「これで知ったつもりになるな」と戒めるようにしている。


 今回観た「わすれない ふくしま」という映画についてもそうだ。


 動画の力は、とにかくすごい。写真展で観たり、ルポルタージュで読む被災地の状況など、じっくりと考えさせるものとは違う力がある。迫ってくる津波から逃げようと手前に走ってくる人たちは助かったのだろうか? 原発事故後の警戒区域で牛を飼い続ける酪農家の姿。飯館村にすんでいた夫婦と娘2人、おばあちゃん1人の家族が送る避難生活。自殺した酪農家の家族の様子…。とんでもないことなのだと五感で感じさせる。


 この映画の監督の手法について、私個人として全面的にすばらしいと絶賛することはできない。子どもに対する質問、夫を亡くした女性への質問など、見ている側にはザラっと嫌な感覚が残る。それでも避難生活が継続して撮られる中で、疲れきっているけれどご飯を食べたり洗濯したりして生きている日常を送る人々の姿。牛が牛舎につながれたまま餓死した上に石灰がかけられているところと、いまだ放射線量が高い中で商品にならない牛を飼い続ける牧場の状況の対比など、この映画で観て知ることができたこと、複雑な思いは残るけれども、考えさせられたしこれからの活動の力になった。観る機会があるならぜひ、観て欲しい映画だと思う。(東京では上映は3月29日まで、東京都写真美術館ホールで上映。その他、自主上映などの方法も有。映画「わすれない ふくしま」公式サイト→
http://wasurenai-fukushima.com/  )


 それでも…あれから2年経った中で、ほんの2時間の映画で私は何を知ることができたのだろう?ほんのひとかけらの事実、ある家族の姿の断片にしか過ぎない。観たものについて、心にとどめながらも「傲慢になるな」と自分に言いきかせる。


 原発から離れるけれど、この映画で取り上げられている家族のうち、2つがフィリピンでお見合いをして妻をめとったというものだった。「農家のあととり」のために、そのような方法が少なからずとられていることについて、本やテレビのドキュメンタリーで知っているつもりであっても、やはり愕然とせざるを得ない。


 彼女たちは、本当に働き者だ。自分の故郷にお金をおくることなどの打算もあるだろう。農家の働き手として結婚相手を金で解決しようとする男性や「家」を、口で批判することは簡単だ。それでも土地を持ち、作物を(家畜を)育てることを維持し続けるために、どれだけの苦労を背負っているのか、想像するほどに「お見合い業者をとおして、海外人女性のお嫁さんを買う」人たちを、人権を踏みにじっていると簡単に罵倒することはできない。現実に、家族として協力し逞しく生きていこうとしている人たちに向かっては。


 自殺した夫のパスポートを肌身離さず持ち、「会いたい」と言うフィリピン人女性。建設現場で働いていた夫が脊椎損傷で首から下が動かなくなり、子どもとおばあちゃんの面倒を見ながら働き、夫の介護もするというフィリピン人女性。彼女にこんなつらい思いをさせたのは、もちろん原発が大きな原因であるけれども、単純ではないその問題について、どうしていいのかわからないほどに頭を抱え込んでしまった。


 (※追記 映画「わすれない ふくしま」の四ノ宮浩監督は、さようなら原発1000万人アクションに次の賛同コメントを寄せている。


 「日本人の仕事や大切な故郷を根こそぎ奪い、家族の絆を断ち切り、 善良なるひとびとを病気や死に追いやるものなどは絶対にこの日本にはいらないのです!」)


(by rikoyy)