6年前の記事、桜の花が美しい理由 で、
”桜は木全体でがんばって、
やっと木の先端の花がピンク色の花を開かせる”
という内容を載せましたがその追記で、
詩人の大岡信さんが、
染色家の志村ふくみさんを訪ねた時のエピソードを、
以下、
~大岡 信 『ことばの力』より引用~
京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、
志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。
そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、
はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。
その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。
「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」
と志村さんは答えた。
素人の気安さで、
私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。
実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。
あの黒っぽいごつごつした桜の皮から
この美しいピンクの色が取れるのだという。
志村さんは続いてこう教えてくれた。
この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。
桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、
こんな上気したような、
えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。
私はその話を聞いて、
体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。
春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、
花びらだけでなく、
木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、
私の脳裡にゆらめいたからである。
花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。
桜は全身で春のピンクに色づいていて、
花びらはいわばそれらのピンクが、
ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。
考えてみればこれはまさにそのとおりで、
木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、
春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。
~大岡 信 『ことばの力』より~