一人でもキスができるのかをためしたくて
折り畳んだ舌を噛んだり吸ったり口の中でモゴモゴさせていたんですけど
図らずも老人ホームのトメ子(94歳)みたいになったので
外でやっちゃいけないと思いました。
秋が骨身に沁みます。ぺろぺろです。
お婆さんの口をモゴモゴさせる仕草はいつ見ても
わびしいな…何も口の中はいってないやろ…
でもあれは一人でキスできるか試していたんやな…。

そういえばボロスタッフで出会った頃から、
リミエキのJJさんは私の事をぺろぺろちゅっちゅっと呼ぶので
いつもエハハ~!と不穏なリアクションをしてしまう。エハハ~。

結果的にキスは2人じゃないと成り立たない事が分かりました。

*****

最近は卒論の下地をつくっていて、インドの情報とか資料を集めながら
内容を詰めたり、新しいキーワードについて深めたりしている。

インドに半年すんでた事が夢のように、記憶から薄れていくにつれ
また行きたいと何度も思う。9月の半ば頃行ったけどもう行きたい。
行けば元気になるからだ。


【元上司と同僚と現役インターン(9月当初)】

会社のアパートもそっくりそのままで、懐かしかったというよりは
じわじわ羨ましさがこみ上げてくる感じだった。
またこの部屋にすんで、刺激的な毎日を過ごしたいとか、
やり残した事を今度はやりきりたいとか。
アパートもちゃんとたまにお湯でるし
(15分間くらい。このときは故障中で1週間水シャワー)
暖房はないけどエアコンはあるし(めっちゃうるさい)
うんこがたまに流れないことを除いては大体快適だった。
(前にいっしょに住んでた同期のうんこが丸々1週間stayしてたことが2回ある。)

【アムリトサルに旅行で訪れた、印パのワガ国境でのパフォーマンスをみる群衆】

そんなの!!!序の口である!!!
インドにきたら最大の敵は不衛生でもカレーでも下痢でもなくインド人そのもの。
だけど彼らは非常に純粋で、日本人にはたいがいやさしい素敵な人種だ。

【オールドデリーで遭遇したお祭り ヤツらはテンションが上がると赤い粉をまき散らす】



ギラついている。


インド人を一言で表すならその言葉に尽きると思う。
もちろんギラついてないクールなビジネスマンだっているはずだけど
私が触れてきた人たちは良くも悪くもみんなギラついていた。
ギラつくというのは生命力であり、エネルギーであり、人間味であり、
泥臭さでありリアルに臭いことでもある。
学生団体の立ち上げてMac片手に街を縦横無尽に駆け巡り
スタバMacカタカタがステータスで軽々しく”起業”と言う人種の
ファッションのようなギラつきではなく、もっと無添加なギラつきだ。




兎に角、自分の欲望に素直でそれをはずかしげもなく、というより
しこたま厚かましくぶつけてくるのである。
そのエネルギーに何度たじろいだか…まじかそんな要求ありえる?!
というような、想定外の要求というか欲求をぶつけてくる。
特に金がらみであるが、ガメツいし、どんな手を使ってでも
自分の意見を通そうとゴリ押してくる。私も負けじとゴリがえす。
その駆け引きやぶつかり合いが楽しくもあるんだけど…

*****

ヒアリング調査のために駐在員さんに会いに行くとき
土産物の芋焼酎をバックにいれたまメトロに乗ろうとした。
(阪急梅田-河原町くらいの感覚でデリーとグルガオンを繋ぐ電車)

空港ばりのセキュリティ搭載のわりに職員はダラダラとしていて
セキュリティはザルだろ、と過信してたら、アルコール持ち込み禁止と引き止められた。
アルコールだろ?っていわれたときビネガーっていやぁよかった、
と思いながら電車で25分くらいの駅までオートリクシャで行く事にした。

リクシャは行き先を伝えたあと値段交渉をする。
グルガオンは大体初乗り50ルピー(90円くらい)30分圏内でも200~300が外国人相場だ。
例の如く「500!」とボッた値段をふっかけられ、
いやバカにすんな、200だ!!!と反撃し交戦が続いた。

最終200で折れてくれたのだけど、その運転手はしきりに
「ボーダー!ボーダー!」と言っていた。
時間もなくイラついていた私は気に留めず、わかったから急いでと伝えた。
しかし、程なくしてリクシャーは目的地をそれ右折。
聞けば「ここがボーダーだ。これ以上進みたければ俺に500払え。
これから先はコイツが連れてく。」といけしゃあしゃあと乗り継ぎ案内された。

ふざけんな、払うか!払ったとしても200だ!連れてけ!!とやいのやいの戦うも
結局時間がない事もあり500払って、乗り継いだ。そして新たな運転手はいうのだ。
「ボーダー!ボーダー!」アホか、いつになったらつくんじゃい!

その後、親の危篤くらいの思い詰めた表情をし、時に泣きそうなフリをしていたら
ミラー越しにちらちらこちらの様子をうかがう人情に溢れた運転手は
目的地まで連れてってくれた。追加で150せびられたけど。クソが。

こんな事が日常茶飯事でイラつくことが多々ある。
タクシーに乗るだけで毎回こんなんじゃ、正直やってられないのだ。

アムリトサルでのったタクシーでも、旅先の緊張感からか
疲れ果てて一刻も早く宿に帰りたいのに
「ビールでものみたいなあ。飲めるか?アムリトサルの友達欲しいだろ?」といわれ
「宿に行って下さい飲めませんいらないです帰ります」でガン飛ばしてたのに
降りる瞬間に「kiss me please!一回だけでいいから!」と唇を寄せられた。

黄金寺院でたたずんでいたら写真撮ってくれない?とケータイを渡され
逆にとってあげるよ、と快くとってくれたのでいいヤツかと思っていたら
「部屋ある?ホテル?シングル?近く?オレ、行っていい?」と
片言の英語でナンパされ、英語もろく話せないのにナンパするなんて
ハートが強いんだなと感心してしまった。
私は「nononononononononononono」と唱えて追い払った。
寺院でナンパて!バチ当たれ!

【いいヤツだと思っていたときの写真】

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基本的に彼らは当たって砕けろな精神だ。ハートが強い。
ダメもとな要望でも言ってみる。
言う事によって相手に嫌われるかどうかまでは考えない。
インターンをしている時インド人上司に
一ヶ月前や半年前、酷いときは1年前の料金の取り立てをさせられた。
(たいがい請求書を送るの忘れてたとかのこちら側のミスなのに)

欲望に素直な人は、品がない、意地汚い、あさましいなんて、
日本じゃそんな見方をされるだろう
お金の話を嫌い、自分の欲求に素直な人をみるとどこか軽蔑した目を向けてしまう。
私も最初はそんな風にインド人を見ていた。

けれどインドで生活して行くうちに、彼らの底知れないエネルギーに触れた。
物乞いでもそうだ、たった数ルピー乞うのに腕を掴まれる。
渋滞で止まっている間に、リクシャが子どもに囲まれる事もある。
物売りもそうだ、何度要らないといってもどこまでもついてくる。
リクシャーのうんちゃんだって素直にまけてはくれないし
言う通りに行き先まで連れてってくれない。
インド人は日本人女性に軟派だ。腹が立つ。(インド人に求婚されたブログ参照)





だけど自分の欲しい物のために、欲望のために、生きるために
正直でいる事の何がいけないっていうんだろうと私は思った。
必死に求める事のなにがいけないのか、
欲しいものに手を伸ばす事のなにが恥ずかしいのか。

彼らは欲しい物を欲しいという。それはシンプルで、無邪気だ。
だからギラついている。
私はそのギラつきに触れる度にぐぐぐっとこみ上げる。
恥も見栄も取っ払って、インド人のように自分の欲望に素直になれたら、
もっとシンプルに生きれる気がする。

【オールドデリーの道ばたで行水する兄弟】

したい事をしたい、欲しい物を欲しいと言うのは恥ずかしい事じゃない。
贅沢も欲も煩悩も、大きくいえば希望じゃないか。

欲望に素直な人を笑わない。
インドに限らず、世界中どこにいても言えることだ。







あなたが誰だか知りませんが、
いよいよ京都も寒くなってきましたよ。
いつ私とどんな関係の人が見ているかも気にせず書いてるせいで
会った時にブログの話をされると小っ恥ずかしくて
「えぇ?ブログぅ?」とか寝ぼけたことを言ってしまう
15ヶ月ぶりに京都の大学生をしている小麦粉ぺろぺろです。

最後の更新が7月末で今10月末だから、この三ヶ月間何をしていたかと言うと
ネコのいるアンティークショップのアルバイトにTOEICの勉強しつつ
上京する恋人をやきもきしながら見送って、たまに友達とごはんやお茶をして
インド行ってお世話になった人にお礼参りや卒論のヒアリング調査をして
社会人になった親友と台湾旅行いって、東京で内定式に出て、
大学に復学して卒論をぼちぼちやりながら、
昨日までここ一週間はボロフェスタのスタッフをしていた。

人生最後の夏休みは
思い返せば書くネタに困らない日々を送っていたと思う。

*******

髪が伸びた。

それは日常のなかの些細な変化を、とある時に突きつけるメーターみたいだ。
髪は急に伸びない。けど毎日少しずつ伸びていることに気付かないまま
ふと「髪、伸びたなあ」と実感する。

きっかけはインドから帰って以来、髪を短く切らなかったこと。
去年の就活との変化をつけるため敢えて避けたからだった。
あれだけ自分にはショートしか似合わないと思い、
髪を切る度にショートカットが似合うと周りからいわれるので
かたくなに髪をのばすことを避けてきた人生だったから
髪の最長記録を更新する毎日だ。

数年ぶりにあう人もまた、そんなメーターみたいだ。
去年の今ごろはインドにいたからボロフェスタのスタッフとして参加するのは2年ぶりで
2年ぶりにあう人は合わない間に少しずつ変わってきた私を色んな風にいった。

「髪が伸びたね」と、そりゃそうや切ってないもん。
「年をとったね」と、そりゃそうやあんたもやん~。

金髪のマッシュルームカットだった2年前からしたら
随分面白みのない髪の毛なので髪型に対するコメントが多いこと。
そして元々ふけ顔な私は髪をのばすことでより老けてみられることを知る。

けれど本当に変わったのは髪型じゃなくて私なんだよなあ。
あれだけ避けていたのに望んで髪をのばそうと決めたこと
それが私の中での大きな変化なんだよなあ。

ともかく、今切ったら多分一生伸ばす気になれなさそうだから
さっさと伸ばすために髪が早く伸びるシャンプーを買いましてん。
エレンス2001 ツインスキャルプシャンプーEX-1(かたい髪用)
¥1,296 Amazon.co.jp

これ。髪がはよ伸びるって胡散臭いな。
髪が早く伸びる成分がこの世に存在するなら、どの部位でも伸ばせそう。
あと、禁煙と亜鉛の摂取と夜更かしもが効果的だそうです。
ガンガン伸ばすわ。

******

過去の意識に立ち返ろうとすること、それとその過去の意識自体を
私は自分の中でマイバックページと呼んでいる。
記念日や世間を賑わすニュースや季節、1年に一回行われる行事なんかは
一年前の今日と今を結ぶ分かりやすいバックページの指標になる。

小学3年生の頃、1年後の自分をびっくりさせたくて
システム手帳に書き込んだ自分あての手紙は
見ないようにしてたけど、意識が強過ぎて
そっくりそのまま覚えていたとがある。


だから今は書かない。

私がこんなこと考えて生きてるなんて事

わすれちゃうんだろうなあなんて思いながらバックページを綴る。
目に見えないタイムカプセルみたいに。

一年前の自分と今の自分 今の自分と
1年後の自分は遠いようででも、
1日1日途切れる事なく繋がってるんやで
気付かんうちに変わって行くんやで。凄くない?
興奮気味に誰かに話しても 、うんそうやなあ、
ぐらいにしか言ってもらえない。


いつも1年前の自分も思いだせないし
1年後の自分を思い描けない。


伸びた髪を切っても過去の自分には戻れないってことだ。
きった髪を伸ばしたくらいではただ老けるだけだ。

今何を思うか、バックページを綴る毎日です。



梅雨明けちゃいましたね。こっからが楽しくてエッチなんだよ、夏は。
棒あいす ちゅるんと食べる君が好き 小麦粉亭ぺろぺろです。

サラダ記念日の記事の一件から更新停滞していたので
アレな感じになってしまいましたが、特に理由もなく
日常を愉しんでたのでパソコン触ってなかっただけです。
USJでハリーポッターのったり祇園祭行ったりして俗世にまみれていたよ。

もしかしたら新しくブログ読んでくれる人が増えたじゃないかって
厚かましくも密かに期待しているこのごろです。

*****

こじらせ女子という言葉の、その本質との出会いは忘れもしない。

ずっと前に、私は澁澤龍彦のエロティシズムと三島由紀夫の不道徳教育講座っていう
クソおもんない小説をくれたセンスの悪い男の子に恋をした。
いつもおどおどしてて、みんなから変な子って弄られるタイプで
私もその子を前にすると何故か乱暴な気持ちになって、後々それを恋と知った。
それも今思えばいかなる少女漫画にも出てこないようなB級レディコミのような恋だ。
(決して王道ではなく、キュンという表現は一切でてこないという意味で悪意はない)

2010年、中高一貫の女子校を出てたばかりの一回生だった私にとって
共学大学はヒリヒリするような環境だった。
レンアイ観も少女漫画の受け売りのままの処女+非モテ+コンプレックスの三重奏。
起死回生を図るべく、ジェンダー的な意味でもセックス的な意味でも
社会復帰のリハビリ中だった私が、小学生ぶりに恋をした
その子に言われたのが「君は女子をこじらせているね」だった。

何となくその言葉に救われたような、ストンと腑に落ちたような気がして
まもなく私はその子を好きになった。
それまでに”私”を言い表してくれた男の子はいなかった。

あれから2年ほどたってから雨宮さんの著書を知ってとても驚いた。
もちろん買ったし、いたいほど共感できる部分もある。
彼がどう言う経緯を経て”女子を拗らせる”という言葉を知ったのかは知らないけど
私にとっては2つの意味で思い入れの強い言葉だ。

彼は人文学部の同い年。ルックスも正直パッとしないDT君。
会話を続けているとイライラしてくるのは彼が常時ヘラヘラしているからか
彼の発する言葉の端々にこびり付いた、彼の頑固さが垣間見えるからか。
打っても響かない、さとり世代の申し子だった。
段々私も意地になってきて、自分の言うこと聞かせたい、自分を好きと言わせたい
っていう気持ちをそのときの私は”好き”っていう気持ちだと思っていた。

その子はそれから1年後にあった時、「あの時好きだったんだよ」と
恐ろしいタイムラグで告白してきてキィィイイイイイ!!!腹立つ!!!
何故今言うか!!!!!!!とまた乱暴な気持ちになったけど
それから導きだされた持論は、狂気じみた愛こそホンモノだということ。
それが約1年前の時点。

そこからまた半周して、
愛は与えるもので、恋は搾取するものだ という時点に今は落ち着いています。


あの時何考えてたとか、そういえば前にこんなこと考えてツイートしてた気がするとか
時系やキーワードで検索できるTwilogは重宝する。
色んな思考を経てるんだなあ私。プロセスって恥ずかしいけど面白いね。
こうやって日々グラデーションみたいに人って変わってゆくのだと思います。
きっかけがあればなお大きく、目的があればなお着実に、努力があればなお早く。

こうしている今もまだ通過点。
世間の風当たりは思っている以上に、ゆとりに対して、
あらゆるこじらせた人に対して強いので
若いと言われたこと、浅いと言われたことは冷静に受け止めて
考えることは辞めずに自分の幸せに真摯に向き合いたいと思います。

めっちゃがんばれそうです、あなたのおかげ。