2023/11/16 中部読売新聞

 ◆伝染病、栄養失調…家族失い独り 
 太平洋戦争中に開拓民として一家で中国東北部(旧満州)に渡り、10歳で孤児になった名古屋市西区の橋本克巳さん(88)の体験が、同市名東区の戦争と平和の資料館ピースあいちの企画展「戦争の中の子どもたち 戦争と動物たち」の中で紹介されている。25日まで。橋本さんは「当時を知り、平和への思いを強く持ってほしい」と願う。(桑田睦子)
 「これがたった一枚の家族写真です」。展示室の一角には、満州に渡る前に近くの神社の前で撮影した、橋本さん一家の写真も並ぶ。

 橋本さんは八名村(現新城市)出身。農家の5人きょうだいの長男として育った。父の義一さんは国策で農業移民が進められた「満蒙開拓団」に参加。橋本さんが6歳の時に一家7人で大陸に渡り、県出身者でつくる「東三河郷」の開拓地(現在の中国・黒竜江省)に入植した。現地で妹も生まれ、家族は8人に増えた。

 苦難が始まったのは、1945年8月の敗戦後だ。現地の盗賊に連日のように襲われ、金や家畜、食料が奪われた。集団自決をした別の開拓団の話も耳にした。東三河郷開拓団も集団自決をいったん決めたが、「必ず日本に帰れる日が来る」と言った指導者がいたため、思いとどまったことを、帰国後に聞いた。

 現地で軍に召集された父もシベリアに連行される列車から逃げて家族と合流。そこも盗賊に襲われ、「日本に少しでも近い都市を目指そう」とチチハルに移った。収容先では、46年春頃から伝染病がはやり、弟の1人と祖母が死んだ。7月7日には父と母が死亡。橋本さん自身もチフスに感染し、生死をさまよった。

 生きる気力もなく、栄養失調で動けない別の弟と妹を世話したが、目や耳からはい出るウジ虫を取ることしかできなかった。まもなく2人も亡くなり、独りになった。「何でこんな遠い所に来て恐ろしい思いをさせるのか」。両親を恨んだ。

 46年秋に帰国。家族全員の遺髪と爪を薬包紙に包み、服の内ポケットにしのばせて、引き揚げ船に乗った。八名村に戻り、子どもがいない叔父夫妻に引き取られた。中学を卒業して名古屋で就職したが、歓楽街で働く女性たちの理不尽な暮らしを見聞きして、世の中が嫌になって故郷に戻り、古典文学を読みあさって、人生を考えた。

 25歳で結婚し、子ども4人、孫6人に恵まれた。叔父夫妻に感謝し、「親に恵まれない子どもたちを育てて恩返しを」との思いで児童相談所に里親として登録。約20年で男女10人の里子を育てた。

 ウクライナ侵略や軍事衝突が続くパレスチナ自治区ガザのニュースに胸を痛め、「戦争ほどむごく、人生を狂わせるものはない。子どもが仲良く暮らせる世界を真剣に作っていかなければ」と訴える。展示に携わった同館ボランティア丸山泰子さん(76)は「子どもたちに見てもらい、戦争や平和について家族で話し合ってほしい」と話している。

 企画展は大人300円、小中高生100円。日、月曜休館。問い合わせはピースあいち(052・602・4222)。

 写真=満州に渡る前に撮影された橋本さんの家族写真
 写真=満州での体験を振り返る橋本さん