2024/01/28 中日新聞朝刊

 【長野県】若い世代に平和について考えてもらう「ピースゼミ」が27日、飯田市東和町のムトスぷらざであった。大鹿村出身で元満蒙開拓団員の北村栄美さんが当時の暮らしや逃避行中に亡くなった妹、現地の中国人に預けられたまま帰国できなかった弟への思いを語った。

 北村さんは1941年、下伊那郡各町村で構成した大古洞下伊那郷開拓団として旧満州(現在の中国東北部)に家族と渡った。当時7歳。だが、45年のソ連軍からの逃避行は悲惨を極めた。

 北村さんによると、妹の洋子さんは病気のため2歳で亡くなり、凍った土に埋めた。現地は風が強く、顔が出てきてしまう妹を見かねて毎日、土をかけに行ったという。母から止められたが、我慢できず次の日も見に行くと、妹を抱いて泣く母の姿があった。「今度は平和な時代に生まれてきてね」。北村さんはそこで初めて「平和」という言葉を知った、と振り返る。

 日本に引き揚げる前、衰弱していた弟の文明さんは、「死なせるくらいなら」と現地の中国人に預けられた。帰国後、連絡を取ろうとしたが、文明さんは「俺は中国人だ」と、受け入れてくれなかったという。北村さんは中国語を勉強して手紙を送ったが、文明さんは38歳で交通事故で亡くなった。「本当のことを教えてやりたかった。心を通わせたかった」と話す。

 この日のグループワークでは、北村さんの息子の彰夫さんが参加者に「弟が日本に帰らなかったのはなぜ」と問いかけた。「育てた中国人に感謝しているから」「育った土地を離れたくない」など多様な意見が出た。北村さんは「若い人が考えてくれてうれしい」と話した。

 参加した松川高校教諭の外山道悠さん(27)は「北村さんと直接対話して、(弟の文明さんの)『自分は中国人』という言葉から広がる悲惨さを考えさせられた」と話した。(藤野華蓮)