2024/01/09 信濃毎日新聞朝刊 

 県内が全国最多と「知っている」60%―05年より5ポイント超低下 「写真思い浮かぶ」原爆89%・満州は40% 本紙県民意識調査

 第2次世界大戦前後の歴史を巡る信濃毎日新聞の県民意識調査で、満州(現中国東北部)に日本がつくったかいらい国家「満州国」や、全国から満州に渡った移民についての認識や記憶の定着度は、広島と長崎に落とされた原爆などに比べて大幅に低いことが8日、明らかになった。県内から満州へ都道府県別で最多の開拓民が渡ったことを「知っている」としたのは60・1%。本紙が2005年に行った同様の調査より5・5ポイント低下した。

【焦点3面、特集20面に】
 専門家は、戦争が米国に対するものとして強く記憶され、中国と戦争をした認識が薄いことが表れている―と指摘。満蒙(まんもう)開拓を巡り、全国で突出して多くの開拓団員を送り出した県内でも記憶が埋没しつつあり、戦後80年を前に地域で歴史をどう継承していくかが改めて課題に浮かんだ。

 戦争の歴史を巡って「写真や映像が思い浮かぶ」出来事を複数回答で聞いたところ、「広島・長崎の原爆」が89・9%で最も高く、「特攻隊」(69・8%)、「終戦(玉音放送など)」(68・2%)が続いた。「『満州国』・満州移民」は40・5%にとどまり、「日本の植民地や占領地(朝鮮、台湾、東南アジアなど)」や「日中戦争(南京事件、重慶爆撃など)」は20%台だった=グラフ左。

 「満州国」は1932(昭和7)年につくられた。満蒙開拓団は全国から約27万人、県内から約3万3千人が渡ったとされる。都道府県別で県内が最も多いことを「知っている」としたのは、40代は39・2%、50代は57・2%で、05年に比べてそれぞれ20ポイントほど低下した。30代(35・4%)までは年代が下がるほど認知度が下がるが、18歳~20代は39・3%。05年の20代は17・1%だった。30代は05年比1・6ポイント増で、若い世代で認知度の下げ止まり傾向がみられる=グラフ右。

 「満蒙開拓団」という言葉を「知っている」と答えた人は全体で73・3%。年代が若くなるほど知らない人が増え、18歳~20代では46・4%が知らないと答えた。日本の敗戦で、開拓団にいた女性や子どもの多くが中国に残され、「中国残留孤児」や「中国残留婦人」と呼ばれるようになったことを「知っている」としたのは83・7%。05年比で9・5ポイント下がった。

 調査は昨年11~12月に実施。18歳以上の県民1500人に調査票を郵送し、754人(50・3%)から回答を得た。

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 10日付朝刊から「鍬(くわ)を握る 満蒙開拓からの問い」の連載を始めます。

[日中戦争]
 1931(昭和6)年、満州(現中国東北部)に配備された日本軍が起こした満州事変をきっかけに中国大陸への侵攻が本格化。日本側は満州を占領し、かいらい国家「満州国」を樹立した。37年7月7日、北京郊外で銃撃を受けたとして中国軍を攻撃した盧溝橋事件を発端に「日中戦争」が始まった。41年12月8日、米ハワイ・真珠湾を奇襲攻撃し、米英などとの太平洋戦争にも突入。45年8月、無条件降伏を求めるポツダム宣言の受諾を決め、同15日に昭和天皇がラジオで国民に伝え、戦争は終結した。