2024/03/23 信濃毎日新聞
 先生と生徒、つなぐ歴史への理解 知らないから下に見る

 「日本語ができないくせに何で日本にいるんだ」「中国人、中国に帰れ」―。1日、千曲市の屋代高校付属中学校。「そう言われたら、どうしますか」。平和学習で招かれた市内の元教員、飯島春光さん(70)が3年生80人に問いかけた。長野市篠ノ井西中でかつて実践した中国残留日本人の学習を振り返った。

 同市篠ノ井地区は、中国から帰国後に県営みこと川団地に住み、退去後も地区内で暮らす元残留孤児やその家族が多い。2000年に同校に赴任した時、20人以上の帰国者の子どもや孫が生徒にいた。

 日本語が話せず授業では座っているだけだったり、家族の通院に通訳として付き添うため欠席したり。いじめの標的になりやすかった。反抗心で暴力を振るう生徒もいた。

 本人も周囲も歴史を知らないことが壁になっている―。飯島さんは、生徒たちと一緒に満州(現中国東北部)への開拓移民や帰国者について学んだ。帰国者の生徒とは祖父母らへの聞き取りもした。

 中国に取り残されながら命をつないできた家族の記憶は、帰国者の生徒にとって自信となった。残留孤児をわが子のように育てた中国人養父母の話は、他の生徒たちに中国への敬意を芽吹かせた。それらは、それぞれの存在に優劣はあるのか―との問いを生徒に突き付けた。「つらい言葉を言ってしまい申し訳なかった」。いつしか、自らの行いを悔いる生徒も出てきた。

 「問題の歴史や背景を知れば、互いを思いやれるはずだ」。この時に得た飯島さんの信念は、今も変わらない。


 3日、一部の帰国者が違法耕作していた篠ノ井塩崎の千曲川河川敷を訪れた飯島さん。傍らに立つ明治大3年の北原康輝さん(22)=東京=は、飯島さんの篠ノ井西中での教え子だ。曽祖父母の一家が開拓団として満州へ。1990年、祖父母や両親たちが帰国した。違法耕作を巡るユーチューブ動画には、そもそも中国人を「最初から下に見て誤解している」と感じた。

 北原さんは篠ノ井で生まれ育った。スーパーマーケットなどで両親が中国語で話し始めると、恥ずかしく感じた。北原さんを救ったのが、中学3年時の飯島さんの授業だった。「ようやく家族や自身を肯定できるようになった」
 昨年、日本と中国の学生友好団体「日中学生会議」の運営委員を務めた。卒業論文は帰国者の記憶や体験の継承をテーマにする。8月から中国に1年間留学すると決めた。

 歴史をみんなと一緒に学ぶことや、そうした機会や場があることの大切さを、身をもって体感してきた。「それじゃあ、今度は北原君の番だね」。そのための役割を促す飯島さんの言葉に、北原さんは強くうなずいた。


 「もう一度、帰国者について市民と学びたい」。違法耕作の問題を受け、同市篠ノ井布施高田の酒井春人さん(74)は思いを強めている。

 最近、いつも通う篠ノ井駅前の中華料理店が帰国者の経営だと知った。地域の歴史関連の本を多く出版してきた龍鳳(りゅうほう)書房(長野市)の社長。中野市などから満州に渡った高社郷(こうしゃごう)開拓団の生存者、滝沢博義さん(89)=長野市=の著書の編集に関わった。店を営むのは、その中に登場する別の団員の孫だった。「関係者がこんなに身近にいるとは」。満蒙(まんもう)開拓の歴史は地域と切り離せないと改めて感じた。

 酒井さんが会長を務める「篠ノ井まちづくり研究会」は今年、満蒙開拓がテーマの講座を予定する。篠ノ井地区住民自治協議会も、地域史を学ぶ市民講座で帰国者などに触れられないか検討を始めた。