2024/03/26 信濃毎日新聞
 しわ寄せを放置、社会に声上げる 生活と尊厳、守るために

 東京が春の陽気に包まれた15日の昼下がり。国会前の参院議員会館の一室に、首都圏の中国帰国者2世の約30人が集まった。「親のために日本に来たのに…」「子どもたちに迷惑をかけたくない」―。厚生労働省の中国残留邦人等支援室の職員3人と向き合い、歩んできたそれぞれの人生をあふれるように語った。

 夫の母が飯田市出身の残留婦人だった麦島小百合さん(71)=東京=も、いてもたってもいられず口を開いた。「日本人と、生活面も人権も、いろいろ平等になりたい」
 北京から1982(昭和57)年、下伊那郡鼎(かなえ)町(現飯田市)へ家族5人で来た。地方での生活は慣れず、間もなく東京へ。スーパーやクリーニング店、焼き肉店などで働き、子育てをした。自身の現在の収入は年金の月2万9千円。夫は母が日本人のため戦後の中国で後ろ指をさされながら生きた。日本の戦争の影響を人生全体で受け止めてきた2世に生活上の支えがないのはふに落ちない―。

 厚労省側は、残留日本人の1世が戦後に引き揚げたくても引き揚げられなかったのに対し、2世にはそうした事情はない―との見解だ。2時間余の面談でも「そもそも2世は援護の対象としていない」との立場を崩さなかった。

 残留孤児たちが全国15地裁で起こした国家賠償訴訟は2008年からの新支援策につながった一方、対象からこぼれ落ちる残留日本人の2世や配偶者への対応などは当初から課題とされていた。1世も2世も年齢を重ね、それらは現実のものとなっている。原告団と弁護団の全国連絡会は、医療や介護を受ける全ての2世への通訳派遣や、言葉の壁に配慮した介護環境の整備などを国に申し入れてきた。

 県内でも対応を求める声は上がる。県松本保健福祉事務所で6年前まで中国帰国者への支援相談員をしていた中西玲名さん(57)=松本市=は当時、2世や3世が窓口へ来て、通訳の利用を希望しても、支援対象外のため断るしかなかった―と残念がる。「理解できる言語で医療を受け、説明を受ける権利は全ての人にある」。広く来日外国人も含めて、行政を巻き込んだ支援を考えられないか、かつて支援員を務めた友人たちと思いを共有している。

 帰国者2世と厚労省の面談を開いた日本中国友好協会(事務局・東京、井上久士会長)は、2世への支援拡大を求めて10万人を目標に署名運動に取り組む。現在6万筆余。これに協力する摂南大(大阪府)現代社会学部教授の浅野慎一さん(67)は、これまでに約450人の中国残留日本人に聞き取りをしてきた。

 たどり着いたのは、日本の社会が、帰国者たちのように人生の途中から参入せざるを得ない人たちの存在を想定していない―との視点だ。日本国内で生まれ、義務教育を受け、定年退職まで働いて老後に備える。そんな人生のコースが前提だからだ。

 だが日本生まれの日本人でも不安定な非正規雇用の人や年金で老後を支えられない人たちは増えている。「残留日本人や2世が日本の地で尊厳を持って生きられる社会を実現することの意義は、帰国者の救済だけにとどまらないだろう」。市民グループの学習会などで訴えを重ねる。

 残留婦人の母(101)と暮らす上田市の宮下多美子さん(74)。これからに望むものを尋ねると、中国と日本の漢字を交ぜて「老後無〓(ラオホウウーヨウ)」と書いた。「〓」は憂いのことだ。歩いたり食事をしたり、病院へ行ったり。そんなことに「悩みや心配がない」ような、ささやかな日常を求める。

 日本が満州にかいらい国家を造り、国民を送り込んだことのしわ寄せは、国境をまたぎ、子や孫の代まで尾を引いている。問題の在りかは、もう示されている。

   (第3部「国策の影 いまも」おわり)
   (文・前野聡美、島田周、写真・北沢博臣、米川貴啓、中村桂吾、秂(いなづか)弘樹、池上滴)
【字解】リッシンベンに尤