2024/03/30 東京読売新聞=群馬

 中国残留邦人とその家族を対象に、国の補助を受けて1994年度から県内で運営されてきた日本語教室が今月、前橋教室を最後に3か所全てが閉講した。新たな帰国者がいなくなり受講者が減少したためで、今後は通信制学習になる。教室は帰国者の交流の場にもなっていただけに、県中国残留邦人支援相談員らは「言葉の壁で孤立しないよう支えたい」と話している。(石川祐司)
 「日本語教室は歴史的使命を終えたのかもしれない。苦渋の選択だが、通信制に移行します」
 前橋教室が入る県社会福祉総合センター(前橋市)で24日に行われた閉講式。教室を運営する県拓友協会の高橋勇夫事務局長(79)がこう告げると、4人の受講生は静かに聞き入った。

 受講生を代表し、県中国残留帰国者協会の佐藤建一会長(53)は「仕事が忙しくて勉強する時間を作るのは難しかったが、講師をはじめ皆さんに感謝したい」と中国語で感謝した。

 日本語教室は、1980年代以降に引き揚げが増えた中国残留邦人とその家族の日本での生活や就職を支援するために始まった。県内では元満蒙開拓団員らで作る県拓友協会が前橋、高崎、館林市に設置し、月2、3回、日曜日に開いてきた。

 県国保援護課によると、19日現在、永住帰国して県内に暮らす中国残留邦人と2世、配偶者らは108世帯469人。2001年以降は新たな永住帰国者はおらず、教室設置当初は毎回10人ほどいた受講生も減少し、ゼロの回も増えた。講師の人件費や教材費を出す国から改善を求められていたこともあり、昨年3月に高崎教室、今月17日に館林教室が閉講した。館林では中国伝統の踊りを楽しむサロンは継続されて交流の場は残るが、今後は日本語力に応じてコースを選ぶ通信制が公的支援で受けられる。

 日本語教室の閉講は各地で続いており、新潟県が08年2月、山梨県も21年3月に全て廃止している。

 館林市の蓮池節子さん(58)は1995年、残留邦人2世の夫と長男の3人で帰国。工場で働きながら館林教室に通って日本語能力試験1級に合格し、介護福祉士の資格も取った。現在は県中国残留邦人支援相談員としても活動する。蓮池さんは「教室がなくなるのは時代の流れで仕方ない。日本語学習は本人のやる気。相談に乗り、支援していきたい」と話す。

 84年に帰国し、前橋教室の講師だった高橋佳レイさん(61)も支援相談員を務める。「中高年になって来日した2世以下は働く必要があり大変だが、日本語ができないと孤立して社会への不満がたまる悪循環になる。頑張ってほしい」と切実な表情で語った。

 中国残留邦人に詳しい国文学研究資料館の加藤聖文准教授(日本近現代史)は、「日本語がつたない残留邦人の介護が2世に重くのしかかってきている。残留邦人の問題は今も続いている」と指摘している。

 〈中国残留邦人〉
 戦前・戦中に満州(現中国東北部)などに渡り、終戦前後の混乱で現地に取り残された日本人。1972年の日中国交正常化を受け、80年代から永住帰国が進んだ。厚生労働省によると、2023年3月現在、近親者を含む永住帰国者は全国で6720世帯、2万911人。

 写真=閉講式後に記念撮影する県中国残留帰国者協会の佐藤会長(中央)や受講生たち(24日、前橋市で)
 写真=踊りを楽しむ館林教室のサロン。閉講後も続けられるという(2023年5月7日、館林市で)