2024/04/11 中日新聞朝刊

 満蒙開拓団 哀惜を胸に
 小川 晴男 無職
 (長野県木曽町)88歳
 父が満蒙(まんもう)開拓団の一員となり、私が3歳のときに家族で現中国東北部に赴きました。父は戦争の激化で1944(昭和19)年3月に陸軍に召集されると、本土決戦に備えて私たちより先に海を渡って宮崎県の部隊に転属しました。

 私たち家族5人は翌45年8月の終戦後も大陸にとどまりました。46年5月に他の開拓団員と引き揚げの途に就きました。中国の住民に襲われて衣服や金品を奪われても、少ない食べ物を分け合いながら歩を進めました。収容施設にいたときにはやっていた感染症が原因か、父方の祖母を亡くしました。母と姉2人、そして私は鉄道と船を乗り継いで10月、現長野県飯田市にたどり着き、既に復員した父と合流しました。

 月日は流れました。帰国を果たせなかった祖母や満蒙開拓団の同胞のことを忘れたことは一度もありません。