2024/04/27 毎日新聞/長野
 満蒙開拓平和記念館(長野県阿智村)は25日、戦前の中国東北部に渡った満蒙開拓団について、在籍者数や死亡者数のデータを網羅した表をホームページで公開した。終戦前後の混乱などで全貌は不明。その解明に近付く取り組みで、前例が無いとみられる。多数の人に調査研究で活用してもらうことを期待し、不明なデータが残っているため情報提供も求めている。【去石信一】
 満蒙開拓は国策として進められ、全国の農家などから800団体27万人が日本から行ったと言われる。ただ、この団体数や人数さえ根拠が明らかではない。終戦直前、ソ連の侵攻で大混乱し、多数の犠牲者が出たほか、戦後に「残留孤児」や「残留婦人」の問題を残した。

 記念館によると、これまで最も信頼性が高いと考えられていた資料は、外務省が1950年に行った調査で、それに基づく概況が全国開拓自興会監修の「満州開拓史」に掲載されている。だが、帰国した開拓団幹部や資料保持者の行方が不明で、「約1割が調査未完了」としていた。

 記念館は10年近く前から、「満州開拓史」を基本に、各開拓団などが発行した記録集などでデータを補完してきた。軍隊の予備役を兼ねた「満蒙開拓青少年義勇隊」、食糧を増産する「満州報国農場」、入植男性との結婚を目的にした「開拓女塾」なども取り上げ、入植年月日、入植地、出身市町村、応召者数、帰国者数、未帰国者数なども記録した。公開日現在で1025団体を掲載。新たなデータを入手すれば、随時更新するという。

 記念館は満蒙開拓をテーマにした全国唯一の資料館。2013年に一般社団法人として開館した。親族らが所属した開拓団の情報を求める問い合わせが寄せられるが、中隊長名しか分からないなど情報が断片的なケースが多い。今回作成した一覧表は、表計算ソフト「エクセル」形式の電子ファイルで、検索がたやすく、消息を調べる助けになる。

 三沢亜紀事務局長は「記念館には満蒙開拓を後世に伝える責任がある。分からないことは多いが、基礎データとして一覧表を公開できたのは一つの成果」と話した。

■写真説明 満蒙開拓団の一覧表を説明する三沢亜紀事務局長=長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館で
■写真説明 哈達河(ハタホ)開拓団の長野村で農作業をする人=満州東安省(現中国黒竜江省)で1937年5月撮影