上野上村城【三河】榊原康政生誕之地 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

豊田市上郷町の護国神社。

この辺一体が上野上村城です。

☆境内西に由緒と上野城跡無縁佛供養塔☆



神社を西より。


直ぐ東には家下川が流れてます。
向こうの高架は伊勢湾岸自動車道。


上郷区民会館を挟み


西南に城山稲荷社。


社は土塁上に。
両脇に城址碑。


社の裏手の土塁。

☆稲荷社右手に案内板☆

伊勢貞親(室町幕府政所執事)の被官・戸田宗光が築城と言われます(1467年)。
宗光は松平三代・信光(同じく貞親の被官)の娘を娶ってます。
後に田原城を築いて移動(1475年)。

その後に入った安部孫次郎は中條氏等と岩津城を攻めますが井田野で四代・親忠に敗北し臣従(1493年)。
この時の功で信定(六代・信忠の弟)が入ります(1494年)。

信定は七代・清康(信定の甥)が亡くなると清康の子・竹千代(後の八代・広忠)を追放し岡崎を占拠するも(1535年)、
今川の圧力もあり退去(1537年)。

信定が亡くなり子の清定が継ぎ(1538年)、
信孝(清康の弟・広忠の後見役)が追放されると清定は子の家次と広忠に反旗を翻し、
同じく宗家に不満を持ってた酒井忠尚(忠次の叔父と言われる)が上野城に入ります(1543年)。

広忠の攻撃で反乱は鎮圧(1545年)。
城は許された忠尚のものになります(1546年)。


登場人物が増えたので毎度の磯野家登場(* ̄∇ ̄)ノ笑

こちらからの続きになります。

磯野家(松平宗家)から追放され伊佐坂さん(織田家)を頼ったカツオ(信孝)に呼応してノリスケ(清定・信孝の従兄弟(ノリスケは海平の子ではないのですが))もイクラ(家次)と共にタラちゃん(広忠)に反旗を。

中島君(忠尚)も仲間に加わります。

「困ったです~」

タラちゃん(広忠)はタマ(家臣達)を引き連れ波野家を攻撃。
イクラちゃんは追い出され

「バブー」

中島君は許されて波野家を与えられます。

「磯野~」

てな感じ(^^;


城に戻ります( ̄▽ ̄;)

☆稲荷社左手に絵図☆


そして後ろに

徳川四天王 榊原康政生誕之地碑。

康政は忠尚の家臣・長政の次男として産まれます(幼名・於亀1548年)。

家康に見出だされて小姓に(1560年)。

三河一向一揆で初陣し(1563年)、
その時の功で「康」の字を与えられます。

その時、元の主君・忠尚は一揆側に付いて城を追われ(1564年)、
後に岡崎城代の石川数正の管理下になって上野七人衆と呼ばれる在番衆が置かれました。


県道239号線沿いにありますが、
看板は倒れてるし石碑は東を向いてるので西からだと分かりにくいかも?


南方に天道院。

こちらの入口にも

榊原康政誕生地碑。

て、ありますが実際は更に南方の上野下村城で産まれたそうです(マーク辺り)。

護国神社は区民会館の駐車場、
天道院は向いの空地に駐車しました。
下村城は住宅地になって遺構も残ってないのでパス。
○2月12日訪問○


明日のサザエさんは
波平に隠子!?
隠子の名は!?
実は舟は○○なんです
の3本です(* ̄∇ ̄)ノ笑