去年の12月、脳出血になりましたが、今年の正月から職場に復帰しました。職場復帰から一ヶ月半ほどたち、だんだん気持ちも落ち着いてきました。


脳出血で少々後遺症が出てしまい、左肩から手にかけて痺れがあり、細かな作業をしようとすると手がかじかんだような感覚になるので、ちょっと不器用になってしまいました。また物を触った時くすぐったさと痛みが入り混じる感覚障害があり力も入りにくいです。


脳出血の当初は痺れが気になってなかなか寝つけなくて困りましたが、最近は以前よりも楽になっているような感じがします。


物を触ると以前とは触ったときの感覚が違うので、例えば買い物に行ったとき財布からのお金の出し入れが少々まごつきます。


けれど小学生のときは交通事故で左側の前頭葉を陥没骨折し、今回は右側の前頭葉で出血が起こったのに、普通の人に見えるような生活を送れるのは幸運なことだと思っています。


とはいえ、周囲の人に「それぐらいで済んで良かったですね」とか、「出血が右側で良かったな(左側だと言語障害が出る可能性があり、言語障害の改善は想像以上に大変ガーン)」とか、サラっと言われると心の中でムッとするわたしは



器が小さいですか?(笑)



さて、脳出血していることがわかって入院したわたしは、入院2日目に脳の出血が止まっていることが検査でわかりましたので自主的にリハビリを始めました。


シャツのボタンの留め外しの練習をしていたら、左手でボタンを触っても、触っているという感覚があまりなく、プラッチックのボタンであることは見て分かっているのに手で触った感覚からはそれが分からなくなっていました。プラッチック特有のツルッとした感覚が指から伝わってこないんです。


それに加えて肩から手にかけての痺れがあり、上手く筋肉をコントロールできずボタンの留め外しがとても難しかったです。(今は少々ぎこちないですがボタンの留め外しはできるようになり、感覚もよくなってきてます)


今回の脳出血で出た症状に対して、小学生の時に経験した失語症と比べて状況的にどっちが大変なことになっているのか考えると、


迷うことなく小学生のときの方がヤバイ状況だったことが理解できるわたしは、


脳出血したのに「このくらいで済んでいるなんて幸運だろう」と冷静に状況を分析するわたしと、


一方プラッチックのボタンを触ってもプラッチックだと分からなかったり、ボタンの留め外しが難しくなったことに落胆するわたしがいて



なんとも複雑な心境でした。



また、この年齢で二度も脳の後遺症に向き合うことになることを思うと、なんとなく「わたしって可哀想?」と考えてしまって泣いてしまいました。……ですが、15分ほど経つとだんだん冷静になっていき、泣いて時間を過ごすよりリハビリした方がいいよね、と思う自分がムクムクと出てきました。



痺れや感覚障害は不快なものとして脳が判断しますので、その感情に従いたいというわたしと、脳出血したのにこの程度で済んで運がいいと思うわたしがいて、



なんと言うかわたし自身も



面倒臭いです。



仕事に復帰したての頃は作業スピードもとても遅かったのですが、徐々にスピードが上がってきて、今では普通に仕事をしているように周囲からは見えるようです。


でも、わたし自身は脳出血する前と後では明らかに違うことがわかるので、その辺りのことを「理解してほしい」という気持ちがとても強く、


周囲の人から「大丈夫そうに見える」と言われると、


反発しそうになるわたしがいます。


つまり普通に仕事しているように見えても痺れや感覚障害は不快なものなので、不快な感覚に耐えて仕事してることを理解してほしい、ってことなんですよね。


わたしは失語症の経験から、脳の後遺症は改善することはあっても完全には治らないと思っています。ですから今回の脳の後遺症についても「不快な感覚から完全に解放されることはこの先ない」と思っているところがあります。例えば小学一年の時に経験した失語症については、わたしは普通の人のように会話しているように見えても、「言葉を思い出すこと」と「思い出した言葉を正確に発音していくこと」は今でも苦手なことで、会話ではこの苦手な二つの能力を同時に使わないといけないので今でもしんどいです。わたしの失語症は確かに大きく改善しました。でも会話を楽にできるようになったわけではありません。



まぁ、とにかく、



「自分のことを理解してほしい」という気持ちに心を支配されそうで今の自分は嫌です。



ところで、なぜ「自分のことを理解してほしい」という気持ちに心を支配されるのが嫌なのかというと、


「自分のことを理解してほしい」という気持ちもありのままのわたしですが、


脳出血を経験したのに症状が軽くて良かったと思う自分もありのままのわたしだからです。


ですから「自分のことを理解してほしい」という気持ちに心が全て染まってしまうのは望んでいません。冷静に分析していくわたしも大事にしたいです。


脳の後遺症を乗り越えていくのに大切なことは、自分自身を律していく自己管理能力を高めていくことだと思っています。これは失語症を経験して思ったことです。とはいえ、脳の後遺症を経験したことのない人に自己管理能力を鍛えろとアドバイスされたら、きっとわたしはムッとします。……やはり今のわたし面倒臭い自分になっています(汗)


この先数年は面倒臭い自分とどう折り合いをつけていくのか、また後遺症についてどんな工夫ができるのか模索する日々になると思います。


周囲の人がかけてくれる言葉は時々イライラすることもあるけど、たとえそうであってもわたしを気づかって声をかけていただいているのですから、まずはそれに対しての感謝の気持ちを伝えられるようになりたいです。仕事に復帰したての頃は、そういったことができなかったことがよくあり今振り返ると恥ずかしいです。


日々修行だな、と思う今日この頃です。



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今月の初め脳出血で入院していましたガーン
色々検査しましたがなぜ出血したのか謎?なんですが、少し後遺症があるので家でリハビリをしています。今回の入院生活では考えさせられることが色々あり、落ち着きましたら記事に書きたいなぁと思っています。

一足早くクリスマスケーキを家族と食べましたウインク

ケーキも並ばずに買えてゆっくりできました。一足早いクリスマス、けっこう快適で良いもんですねニコニコ
お見舞いで頂きました苺を添えて。
皆さま、ありがとうございます。





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先週、母方の祖父母のお墓参りに行きました。お墓は大分県の別府市にあります。最後にお墓参りしたのは10年ぐらい前です。


わたしは子どもの時代を大阪と和歌山で過ごしました。小学生ぐらいまでは祖父母に会いに別府へ年に一回ほど両親に連れて行ってもらいました。でも中学生になると交通費が高くなって、その頃から今までほとんど別府に行ったことがありません。


別府市には昔、巨大な大仏がありました。その大仏があるところから歩いて行ける距離に祖父母の家がありました。わたしは自分の生涯の中であの大仏を超える大きさのものを見たことがありません。


(調べてみると別府大仏は高さ24m、鎌倉大仏は11m、奈良東大寺の大仏は15mらしい)


大仏はその内部にも色々拝観できるものがあったようですが、わたしが小学生の時にはすでに老朽化が進んでいて内部を拝観できないように(たぶん縄のようなもの?で)柵をしていました。


でもある日、散歩をしていた父とわたしはその縄をくぐって大仏の内部に入ったのです。


で、大仏の内部はどうなっていたかというと、大仏の内部にも小さな仏像がたくさん並んでいました。ただ、内部拝観は中止になっていたので灯りがなく、中に進めば進むほど暗くなり、奥のほうは真っ暗でした。わたしはその暗闇を見るだけで足がすくみ、父に「もう帰ろう」と言ったのを覚えています。


父はもっと先の方まで進みたかったみたいでしたが、わたしはあの暗闇の中には入りたくなかったので「いったんおばあちゃんの家に戻り懐中電灯を借りてもう一度ここに来よう」と父に提案しました。そしてわたしと父は祖父母の家に戻り懐中電灯を借りようとしたら、その場にいた親戚に「大仏は老朽化が進んでいるから内部にはいるのは危ない」と止められ、それっきり大仏の内部に入ることはありませんでした。


大仏は平成元年(1989年)に解体され今は見ることができませんが、中学生になってからはほとんど別府に行ったことがないわたしにとっては、別府とはいえばあの大仏のことを真っ先に思い出します。


もう見ることができない大仏ですが、ぜひ「別府 大仏」というキーワードで検索してみてください。


さて、今回の大分の訪問では1日目はお墓参りに行き、翌日は高崎山に行ってから由布院を観光しました。


高崎山は野生の猿の群れを間近で見ることができる別府市の定番の観光地です。何度も行ったことがありますが、こんなに朝早くに行ったのは初めて。


9時半に到着。駐車場と高崎山方面に向かう歩道橋。ほとんど人がいませんでした。







12時過ぎに由布市の塚原温泉に到着。


日本三大薬湯の一つ。

車でないと行けないような気がする。バス停も近くになさそう。わたしは別府駅からレンタカーを借りて行きました。


わたしは大浴場で入浴しましたが、石鹸やシャンプーを使うことはできませんでした。この温泉に来る前にわたしたちはホテルで朝日を見るために朝風呂に入っていたので良かったと思いました。バスタオルも持参して行きました。鍵付きのロッカーもなかったので、貴重品は車の中に置いて行きました。温泉の温度は低めで、わたしにはちょうど良かったです。


この日は温泉の温度が低すぎて、露天風呂は中止になっていました。別府市と比べると塚原温泉周辺は寒かったです。紅葉も終わりを迎えていました。露天風呂のほかに貸切り風呂もあります。






お昼の2時頃、金鱗湖に到着。駐車場を探すのが大変だった。


湖の近くに行けば行くほど道は非常に細くなり観光客(外国人も多い)も歩いてるので、車を運転しにくくなります。金鱗湖観光で初めてこの辺りを運転する人は予めどこに駐車するのか調べていたほうがいいかも。わたしは県道216号線上にある「豆吉本舗由布院店」の隣りにある有料駐車場を利用しました。


紅葉がちょうど見頃ろを迎えて綺麗でした。


ガチョウ?が湖から上がって来て散歩していた。近くに人間がいてても気にしないみたい。




その日、由布市で泊まったペンション。ペンションに泊まったのは初めてです。


オーナーの方から「迷いませんでしたか?」と聞かれ……、「迷いました」と答えたわたしたち。日が高いうちに到着して良かった。日が暮れていたら、ペンションにつづくこの道を見落としていただろう。


↓共用スペースのラウンジ




この日の夕食。家庭的な味付けで美味しかったです。



こちらは今回の旅で撮影した動画です。約4分の動画です。今は手軽に思い出を動画に残せて本当にいい時代ですね。別府の大仏も写真に撮っておきたかったなぁ。






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