先週、父のお墓参りに行きました。

お墓は和歌山県にあり、車で4時間半ぐらいかかります。今回のドライブでは、車の運転って怖いなぁと思う出来事がありました。



高速道路を走っていたとき、トンネルの中でトラックが停車していたんです。その道路は二車線あり、わたしが走行している車線上にトラックは止まっていました。



わたしはトラックを避けるため右車線の道路にハンドルを切ろうと思いました。サイドミラーで右車線に車がないか確認すると、幸運なことに右車線を走っている車はありませんでした。わたしはハンドルを右に切ることができたので、トラックと衝突せずに済みました。事故を起こさず無事にお墓参りできたので良かったです。



でも、あれからわたしはまた今回のケースのように高速道路で車が止まっていたら、どうしたらいいんだろうと思うようになりました。



今回は運良く右車線の道路に車が走っていなかったから事故を起こさずに済んだけど、もし右車線に車が走っていたらと考えると車を運転するのが怖くなってきました。



高速道路で事故を避けるにはどうしたらいいのか調べてみましたら気になるビデオを見つけました。そのビデオがこちら

「いま確認したい! 高速道路上でのもしもの対処法」(約6分間のビデオです。アオリ運転の被害にあった時の対応の仕方も紹介されています)

https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg16580.html?nt=1

(「政府インターネットテレビ」より)


この映像の2分10秒ぐらいから高速道路で事故に遭われたケースで、「車を停車していた人」と「後続車を運転していた人」の意識のズレについて解説しているところがあります。



ビデオによると「車を停車していた人」は後続車のドライバーは自分に気づいて当然減速してくれるだろう…と、思っているんですが、一方後続車の運転手はどう思っているかというと、高速道路は歩行者もなく安全で故障車両なんか滅多にない…と考えているので危機感が薄いようです。



さて、実際わたしはあの時どうだったのかというと、トンネル内で車が止まってるなんて全く想定してないので、トラックを見たときにまず思ったことは、



「ブレーキ踏んでも間に合わない」ということであり、



次に思ったことはトラックをよけるために車線変更できるかどうかということでした。今回は運良く車線変更できましたけど、ここで問題なのは、わたしはブレーキを踏んでないというところだと思います。



皆さまは「なぜブレーキ踏まないの?」と思うかもしれませんが、「ブレーキ踏んでも間に合わない」といったん判断してしまうと、ではどうすればいいのかという気持ちに集中してしまい、例えば車線変更できるのかどうかという考えで頭がいっぱいになったんだと思います。なんといっても停車しているトラックに気づいてから次の行動に移すのまでの残された時間は本当に短いので色々考える余裕はありませんでした。



だからあのトンネルのことがあってから考えてしまいます。もしまた同じようなケースが起きたら、「ブレーキ踏んでも間に合わない」と判断してもブレーキを踏みつつ尚且つ車線変更を上手くできるだろうかとか、時速80㎞前後で走っている車を急速に減速したらどうなるんだろうとか、ブレーキや車線変更するときハザードランプを点滅させながらした方がいいのかな…とか、何がベストな方法なのか考えてしまいます。



ところで、「政府広報オンライン」というサイトに運転のマナーについての記事がありました。

事故防止のポイント 

走行中のルールとマナー

https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201307/5.html

(「政府広報オンライン」より)


1)追越車線ばかりを走らない、左側から追い越さない

追越車線(車線が複数ある場合の一番右側の車線)は追越しのための車線なので、追越しが終わったら速やかに走行車線に戻りましょう。追越車線ばかりを走っていると、道路交通法違反となるおそれがあることに加えて、速度超過になりやすく交通事故を引き起こす原因となるほか、渋滞の原因にもなります。また、前の車を追越す際には、左側の走行車線から追い越さないでください。


2)安全な速度と十分な車間距離を保って走行

道路標識や電光掲示板などに注意して、周囲の状況にあった安全な速度を保ちましょう。事故の発生や気象の変化などによって、危険防止のため臨時の最高速度が指定される場合もあります。 また、前の車が急停止した場合に備え十分な車間距離をとってください。目安は時速100キロでの走行時なら100メートル、時速80キロでは80メートルです。なお、路面が濡れていたり、タイヤがすり減っていたりするときは、この2倍程度の車間距離を心がけましょう。

追越車線は車を追い越す時だけ使用する車間距離は十分とる、言われてみれば当たり前のことですが、わたしちょっと守れてなかったかも。初心に帰って、より安全なドライバーになるよう努めます。



特に、高速道路で追越車線を絶えず車が走っている所では、車が止む終えず停車したとき、後続車は回避するのが難しくなります。今回の件で思い知らされました。



ところで、お墓参りに行った翌日アドベンチャーワールドに行きました。下記の動画は人口雪が降っているところに集まってくるペンギンです。ペンギンって雪が好きなのかな?






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お久しぶりです。
実は去年の夏ごろから体調を崩しブログを更新するのを控えていました。今は去年よりも体調が良くなり、少しづつ記事を更新できたらと思っています。


ここ大阪ではやっと梅雨らしい季節が来たなぁという感じで、雨の日が続きます。湿度が高いので植木鉢の土は乾きにくく、水やりの回数が減ってお花の手入れがちょっと楽になりました。


一週間ほど前まではお天気は乾燥して気温も高く、朝と夜、一日に2回植木鉢の土が乾燥していないかチェックして水やりをしていました。特に紫陽花は乾燥に弱い植物なので、土の状態のチェックは毎日欠かせません。紫陽花は5月の終わり頃から少しずつ咲き始めました。


↓十日ほど前の紫陽花ニコニコ


↓万華鏡


↓銀河


↓佳澄



↓万華鏡と銀河と佳澄の花のアップ写真


昨日はハイビスカスも咲きました。一緒写っているミニトマトは去年から育てているものです。このミニトマトは冬は室内で育てました。



ところで去年の冬ごろから、Amebaのメッセージのやり取りを受け取らない設定にしてます。これまで失語症についてのご質問を頂くことがあり、皆さまのメッセージに触れるたび失語症に関するわたしの知識が広がり、また励ましのお言葉をいただくこともあり本当に感謝しています。


けれど一方、メッセージの中で失語症に関するやり取りをすることに危惧を抱くようになりました。わたしはこれまでメールの中で皆さまのお悩みにアドバイスをさせて頂きましたが、果たしてわたしのアドバイスは的外れなものになっていないか自分自身では判断できないので、第三者の目に触れることのないメッセージの中で失語症に関するやり取りをするのは賢明ではないと思うようになりました。


またメッセージのやり取りを中止したのは、わたし自身の体調を整えることに集中したいからでもあります。


今後記事の中で何か気になることがございましたら、コメントで交流できればと思います。



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わたしは小学一年生の時、交通事故で失語症になりましたが、35歳ぐらいまでわたしは失語症になったことがあることを誰かに話したことはありませんでした。



だから学生の時にできた友達の中で、わたしが失語症を経験していることを知っている人はいません。もしかしたらわたしの従兄妹さへ、わたしが過去に言葉の障害が出たことがあることを知っている者はいないかもしれません。



失語症のことは秘密にしていたわけではありません。ただ、自分でも今思うと不思議なのですが、わたしは失語症のことを誰かに聞いてもらいたいと思ったことが一度もなかったのです。



小学生の三年生か四年生の頃、母にこう言われたことがあります。



「(脳の後遺症で言葉に障害が出たら)あなたのようにみんなが普通の学校に行けるわけではないのよ」と。



確かに言葉に障害が出たとき、わたしの主治医はリハビリ方法やアドバイスを一切してくれませんでした。けれどわたしは成長するにつれて、医療がどんどん進歩していく様子を見て、こう思うようになりました。



わたしの時は主治医の先生はなんのアドバイスもしてくれなかったけど、医療の技術は益々進歩しているし、きっと失語症も昔よりもっと治りやすいだろう……そう思い込んでいたのです。



携帯電話が一般的に普及しはじめたのは、たぶんわたしが24才から25才の頃だったと思います。わたしが大学生の頃は周囲で携帯電話を持っている人は誰もいませんでした。



わたしは30を過ぎた頃から携帯を持ち始めました。そして職場で一緒に働いていた人の中でブログを書いていた人がいて、その人を通して『ブログ』というものがこの世にあることを知りました。



実は、わたしは失語症を経験した小学一年生の時から知りたかったことがありました。わたしは失語症になったとき、『全く言葉が思い出せなくなったときにだけ経験した不思議な体験』がありました。だから、他の失語症の方も言葉を一つも思い出せなくなるとわたしのような不思議な経験をするのか、小学一年生の時からずっと知りたかったのです。



わたしは学生の時から、わたしと同じ失語症を経験した人と一度お話をしてみたいと思っていました。けれど一度もその機会に恵まれませんでした。



職場の人を通して『ブログ』という存在を知ったとき、もしかしたら『ブログ』のなかに、わたしのように失語症を経験した人が『言葉を一つも思い出すことができないからこそ経験することができるあの不思議な出来事』を記事にしているかもしれないと、期待したのです。



わたしはGoogleを何度も検索しました。実はGoogleを検索することじたい、これが初めてのことでした。そして検索した結果、わたしはその時初めて失語症が今でもその症状を改善することが難しい障害であることを知りました。 



まず、ショックだったのはわたしと同じような症状が出た場合の失語症のリハビリ方法を記載された記事が見つからなかったことです。その後、わたしは専門書を読みあさりましたが、明確なリハビリ方法を記載された本は見つけられませんでした。とてもショックでした。わたしは自分と同じような境遇の人となぜ巡り会えないのか、その本当の理由を30半ばでやっと知ったのです。



小学生の時に言われた母の言葉が胸に突き刺さりました。



「あなたのようにみんなが普通の学校に行けるわけではないのよ」



あの母の言葉は、とても残念だけど今でも通じる言葉なのでしょう。



わたしは失語症の経験を今まで話さなかったことをとても後悔してます。わたしは自分の経験をあえて話す価値すらないものだと思っていました。でも今は機会があれば失語症のことを話すようにしています。



わたしの経験上から、失語症を改善していく確率を上げていく一番の方法は、失語症になる前にこの障害がどういうものなのか事前に知っておくことだと考えています。失語症になってからこの障害がどういうものなのか知りたくても、自分で調べることはとても困難です。だからブログという誰もが見ることができる形でわたしの失語症の経験を記事にし、失語症とは関係ない記事も書くことで失語症に関心のない方もにも訪問していただき、失語症のことに興味を持っていただけるきっかけになればと思っています。



さて話は変わりまして、先日勤め先のお店でカゴ車の組み立て作業をしていたら、カゴ車の一部がフックから外れてわたしの頭にゴンっと当たってしまいました。



カゴ車とは、商品が入荷した時に運搬するための荷台で、使わない時はコンパクトに畳める仕様になっているのですが、重量が85㎏ありますガーン もちろんわたしの頭に当たったのは85㎏あるカゴ車そのものではないですけど、一部でも頭に当たると衝撃がそれなりにあり、一緒に作業していた方と「これ、ちょっと上司に報告したほうが」ということになりまして、その日のうちに病院で検査を受けました。



検査の結果を待っている間、わたしは最悪の結果も想定していました。万が一脳が損傷し後遺症が出たとき、もう一度普通の生活を取り戻すためにどれほどの強い意志と覚悟が必要なのか、心の準備はできていました。ただ本当に脳を損傷してしまっていたら、そのことを家族にも伝えなければならないことがとても辛かった。



わたしは小学生のあの時の経験から、障害を負ったわたしより、わたしを見守ってくれた家族の方がわたしの将来を案じてとても心を痛め辛い思いをさせてしまったことを知っているから。



CT検査結果、脳の中で出血はなく大事に至りませんでした。CTにはかつての交通事故で陥没骨折した時の処置で人口骨でホッチキスのように骨を繋いだ後がはっきり残っていて、先生から当時のことを少し尋ねられました。



「一生言葉を話せなくなる」と診断されたこと、そしてわたしは「執念で(リハビリを)やり遂げた」ことをお話しすると、先生と側にいた看護士さんは、まるでわたしを眩しいものでも見るかのように明るい表情でわたしを見ていらしゃいました。



先生は脳神経外科の方です。きっと多くの失語症の方を診てきていらっしゃると思います。失語症経験者の人が、最終的にわたしのように自分の経験を明るく話せるようになる人は今はまだ少数派なんだと思う。



小学生の時に経験した失語症の経験は、とても厳しいものであったけど、得るものも大きく、そして医師に「一生言葉を話せなくなる」と診断されたとは到底思えないほど回復させたことは、わたしの人生の中で誇りに思っていることの一つです。ですが、今まさに障害と戦っている人にとっては障害はどう考えても苦しいものとしか思えないと思います。障害と向き合っていく人生の最終的な結論が、わたしと同じようにかけがえのない経験と受け止められる日が来ることを切に願っています。



CTの検査で脳に異常がないことがわかったので、店長の許可を得て、お店に戻って仕事を続けました。仕事中、今日のことを家族に話すべきかどうかずっと迷っていました。ですが、万が一容体が悪くなった時のことに備え、話すべきことだと結論を出しました。



あぁ、でも話しづらかったわ。

余計な心配をかけそうで。




最近ハイビスカスが咲き始めましたラブ 
明日から9月だけど、できるだけ咲いてほしいなぁ。




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