南大東島のサトウキビ運搬専用軌道⑪ー自転車に乗れないトリが2泊3日で全線を完歩してきた話ー | トリブログ

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とにもかくにも道が好き。
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南大東島のサトウキビ運搬専用軌道⑩ー自転車に乗れないトリが2泊3日で全線を完歩してきた話ーの続き

 

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では

続きです。

秋葉神社の参道入り口までやってきた。

 

この木々と囲いの中(写真の右)が参道。参道の両脇もこんな感じで道になってる。サトウキビ畑のためかな。

 

 

参道をゆく。半分は舗装で、半分はこんな感じの未舗装路。


おお、いい雰囲気だ。

 

 

参道の中ほどに鳥居があった。

 

昭和四年の建立だ。

でも真新しい感じがした。補修したてなのかな。

 

参道を抜けると階段が現れる。木々の密度が濃くてうす暗いが、お社まではすぐだ。

 

登る。

神々しい!

太陽が絶妙の位置だ。9:20にここにきてよかった。

 

秋葉神社といえば火除けの神様。なにかあったのかなーとは思ったが、この時は由来がわからなかった。

あとから古老に教えていただいた話なのだが、ここはこの近くの住民(多くは遠州からの民だった)が大きな火災が続いた(2回だったかな)ことから、建立に至ったそうだ。

 

 

空の御水屋

裏面を見ると

寄進した方の名前がある。鹿児島県鹿児島郡・・・かなり薄いけど谷山町と読める。

谷山町は1924年に谷山村が町制施行で谷山町となり、1957年に市制施行で谷山市となったので、この御水屋は1924~1957年の間に奉納されたんだろう。

 

石灯篭もあった。

やはり裏面を見る。癖みたいなものだ。

こちらは文字がはっきり読みやすい。北海道有珠郡伊達町とある。

伊達町は1925年に伊達村が町制施行して伊達町となり、その後1972年に市制施行して伊達市となった。なのでこの石灯篭は1925年から1972年までの間に奉納されたものだ。あまり、絞れてないな。

 

鳥居が昭和4年とあったから、全部、1929年(昭和4年)頃かもしれない。が、正解はわからん。

 

あれ、遠州の人はいずこに。ま、建て替えたのかもしれないし。

 

参拝して振り返る

いー景色。まるでサトウキビ畑の海だ。

 

暑いし、ずっとここでぼーっとしていたい気もしたが、そうはいかない。

ちょうど観光客が登ってきたので、出発しよう。

 

参道の入り口にある看板

この看板だけ外国語もあってすごく観光地っぽい。他の場所にもこんな看板あったかな。

 

さて、次は旧南大東島空港跡地へ。

どんなかなー。

 

続く