スターダム100回記念大会 by megane1964 | 熱闘!後楽園

スターダム100回記念大会 by megane1964


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いやあ、ほぼ1か月半ぶりの更新である。


その間、いろいろ忙しかったのよ。人間50年近く生きてるとねえ、いろいろと浮世の義理があってねえ。


止めたわけじゃないんで、スイマセンが今後もよろしくお願い申し上げる次第、なのである。


なるべく①迅速②抜けなく③わかりやすく更新していこう、とつい先日も参加してくれるメンバーと話をしたばかり、でございます。もちろん、参加者は常に募集中。何しろ、みんななんかしら仕事を持っているヒトばかりなんで、そんなにヒマがあるわけではないんですよ。まあ、また更新が止まったりすることもあるかもしれないけど、見捨てないでくださいね。


 という前口上はさておき、再開第一回目はスターダムである。


熱闘!後楽園-image  スターダムといえば、愛川ゆず季ことゆずポン(逆かw)。思い出すのは、ゆずポンのデビュー戦である。あれはそう、3年前の10月31日で、相手は高橋奈苗であった。なんといっても、グラビアアイドルの転身で、コスチュームもカワイイやつだったからね。「まあ、どうせ、適当にお茶を濁すんだろう」と見ていたら驚いた。


 とにかくズタボロ、だったのである。奈苗のヒジが入り、蹴りが当たるたびに、顔がはれ、髪が乱れ、化粧が剥げていく。技もパワーも、プロレスラーとしてのスキルはゼロに近いのに、それでも起き上がって立ち向かっていく。冷蔵庫爆弾を決めて、3カウントを奪った奈苗が一言。「お前、ホントにデビュー戦かよ」。それは見ていた我々もまったく同じ気分だったのである。



熱闘!後楽園-image  ゆずポンがプロレス界で認知されたのは、全くこの試合だったのだけど、それ以降も、ゆずポンは壮絶な試合を続けていった。入場の時は、「さすがグラビア」なのに、とにかく試合でズタボロになっていく。負けようが勝とうが、最後まであきらめない。2011年1月に旗揚げしたスターダムは、このゆずポンのキャラクターが色濃く反映された団体なのである。


 あれは、スターダムのどの興行だっただろう。たまたま、ゆずポンがケガで欠場した大会を見に行ったことがある。当然、試合にゆずポンは登場しないのだが、ふと見ると、目の前でジャージ姿でリング調整をしていたのである。あの時は、すでに「白いベルト」のチャンピオンだったのではないだろうか。いずれにせよ、団体最大の人気者なのに、そういう裏方仕事をいとわない。今年4月に引退、わずか2年半のレスラー生活だったのにレスラーとして支持されるのは、そういう姿をちゃんと見ていたファンが多かった、ということなのだろう。



熱闘!後楽園-image  ゆずポンがいなくなってもスターダムは続いている。100回記念大会は、そのゆずポンゆかりのレスラーが多数登場した。引退試合の相手を務めた世Ⅳ虎、「白いベルト」を2度にわたって争った安川悪斗、そしてメーンで「赤いベルト」をかけて戦ったのは、デビュー戦の相手だった高橋奈苗であった。まあ、細かくはこちらの公式ホームページ(http://wwr-stardom.p-kit.com/ )を見てください。


 ①がむしゃらで②キレイでセクシーで③ファンサービスにも手を抜かない--そういうゆずポンの精神は、後輩レスラーにも受け継がれていましたよ。セミファイナル、「白いベルト」を4回目の挑戦で手にした悪斗は試合後にこういった。


 「このベルトは愛川ゆず季の歴史がいっぱい詰まっている。このベルトと一緒に私も強くなっていく。てめーら、ずっと見ていてくれ」



熱闘!後楽園-image  メーンの奈苗と紫雷イオも、最後の最後まで頑張る試合を見せた。イオが奈苗を丸め込んだのは、試合時間残り一秒。スターダムの精神的象徴がゆずポンだったとすれば、プロレス的内容を支えてきたのは、言うまでもなく奈苗である。「本当のエースはワタシ」とでもいいたげな迫力満点のファイトぶりは、まさに女王の貫録だったし、スピードと運動神経で重い重い奈苗の技に対抗したイオも、新世代の代表の実力を見せてくれたのである。


 考えてみれば、ゆずポンがいなくなった後のスターダムを見るのは初めてだったけど、団体は順調に成長しているようだ。わずか2年余りしかいなかった「グラレスラー」が残したものが、順調に育っていくのを見るのは、意外と楽しいものだった。