5月3日は憲法記念日?? ~ゴミの日とも揶揄される憲法記念日の秘密~ | 幸食研究所ブログ

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5月3日の今日は、「憲法記念日」と呼ばれる祝日でした。

この憲法記念日に考えたい事があります。

憲法記念日(けんぽうきねんび)は、国民の祝日の一つ。日付は5月3日。国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」ことを趣旨としている[1]。1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行されたことを記念して、1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法によって制定された。ゴールデンウィークを構成する日の一つでもある。

< Wikipediaより>


近年ますます憲法改正についての多くの議論があり、この日も改憲派や護憲派が議論を盛んにしています。

しかし左派と言うよりは反日活動家や勢力が声高に叫ぶ、「憲法9条改正は戦争に繋がる!!」と言う主張は全く持って意味がわかりません。

先日の安倍総理が米国両院議会での戦後初めてのスピーチは、多くの賞賛が寄せられ、日米関係の再確認、そして新世界秩序の始まりと言われています。


それに関しては改めて取り上げたいと思いますが、確かにその極端にアメリカよりの政策は危険性もあります。

アメリカは安倍総理を準国賓として異例な扱いで向かい入れ、そのおもてなしは異常です。

アメリカと言う国は、国益こそすべての国です。

それだけの事をするには、それだけの意図があります。

その大きな一つは、日本をアメリカの戦争経済に引きずり込む意図もあります。

その意味では反日勢力の言う、「安倍総理の対米追従姿勢」には危険があるのも事実でしょう。


しかし、現行憲法には多くの問題があります。

この憲法は日本が大東亜戦争に負け、占領されていた時にGHQ(連合国軍最高司令部)が作成した憲法です。

戦勝国が敗戦国の憲法を作り変えることは国際法違反です。

このため、占領憲法を作成するアメリカGHQは、日本人の手でこの憲法を作ったと見せかける必要がありました。

その為、GHQは広く憲法制定に関するパブリック・コメント(意見公募)を募ったのです。

その中の憲法学者、鈴木安蔵を中心とした「憲法研究会」の憲法草案にGHQは目を付けます。

この「憲法研究会」の草案を参考に現行憲法は作成されたから、これは日本人の手で作られた憲法だと反日勢力は主張します。

しかしこの「憲法研究会」の鈴木は、戦前暴力主義の左翼学生運動などで治安維持法違反で検挙され、2年間服役している人物です。

治安維持法は戦前が自由のない暗黒の時代だったとする代名詞に使われる極悪な法だとされていますが、全く事実は逆です。

当時はロシア革命から始まった暴力革命が世界中に猛威を振るいました。

それが共産主義勢力のコミンテルンです。

戦前の日本ではこの革命組織に毒された朝鮮人や共産主義者が日本の転覆を暴力的に起こし、天皇家の破壊を企てていたのです。

この急先鋒が鈴木で、鈴木は凶悪なコミンテルンだったのです。


そして当時のGHQ及びアメリカは、このコミンテルンに動かされていました。

コミンテルンの秘密工作員であるハーバード・ノーマンは日本の専門家としてGHQ総司令官のマッカーサーと共に来日。



カナダ大使館勤めの時に出会っている鈴木を探し出します。

要はコミンテルンの影響下にある鈴木を前面に押し立て、日本人の手で憲法を草案したように見せかけたのです。

ですので、事実上日本国憲法は、アメリカGHQの作った占領憲法です。

ちなみにこの憲法研究会のメンバーであった高野岩三郎はGHQの下でNHK初代会長となり、天皇制廃止を主張し続けた人物です。

NHKがいまだに売国メディアと言われているのはここから始まっており、いまだその思想は変わっていません。

そしてこのハーバード・ノーマンは、イギリスMI5(諜報機関)によってイギリス留学時代にコミンテルンだとされていた秘密文書が公開され、
1952年、アメリカ上院司法委員会の報告でノーマンはソ連のスパイとされました。

その後赴任先のエジプトのカイロで謎の投身自殺をしました。


このようにアメリカ自体もコミンテルンに支配されていたのですが、その影響下で作られた憲法であり、その為、現在の日本共産党を始めとした反日勢力は、猛烈に憲法改正を反対するのです。




何より、この憲法改正は是か非か?この議論自体が大きな罠です。


そもそも戦争に負け、全ての罪を着せられた日本に存在していた明治憲法(大日本帝国憲法)はなぜ変えなければならなかったのか??

それ自体が本当に悪い憲法だったのでしょうか??

いえ、断じてそうではありません。


戦後の私たちは、「明治憲法を悪であり、アメリカの影響により素晴らしい日本国憲法を作った
」と教えられていますが、これ自体が捏造史観なのです。


「敗戦後の日本では、大日本帝国憲法はタブー中のタブーです。とくに東京大学の憲法学を中心とする学界では、正式略称である『帝国憲法』という単語さえ使わせませんでした。

それは戦前の全ては悪で、天皇陛下こそ軍国主義の象徴だとし、国民と天皇陛下を切り離したかったのです。

なぜなら、世界から最も尊ばれる天皇陛下のご存在こそ、日本が日本であったからです。

明治憲法の一条だけでも見てみましょう。↓↓↓

明治の大日本帝国憲法には、第一条に、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあります。

これは長い日本の歴史と伝統に基づいて、天照大御神の御神勅を表現したものです。

この条文を戦後の史家はまるで、時代に反動するとても悪いもののように主張します。天皇という一人の人間に権力が集中して、横暴極まりない政治が行われるかのように思わせます。

しかし明治に、そのようなことはありませんでした。

維新後のまだ混乱した状態の中で、あれほど迅速に国際的にも危機を乗り越えて近代国家の基礎を築けたのは、天皇という存在があったればこそです。

また外国文化のあふれるような流入で、道徳が混乱し、世の中が乱れようとしたときにも、明治天皇は教育勅語を下賜され、それによって教育が整い、乱れが収まったといいます。

天皇に統治権があるとはいえ、じっさいに統治権を行使したのは内閣であり、明治の政治家は、みな天皇への忠誠の心を持っていましたから、天皇の前へ出ると、自然に天皇のみ心にかなうように、国家のために尽くさずにはおれない、真心を出さずにはおれない気持ちになったといいます。

そうした存在が天皇という存在でした。



このように、そもそも戦争に負け、アメリカ及びその支配勢力であったコミンテルンは、自分たちの戦争を正当化させる為に、国際法違反である敗戦国の憲法を変えてしまったのです。

そしてこの流れを見れば解るように、現行憲法自体に矛盾と嘘から成り立っている不条理な憲法なのです。

憲法とは国の規範です。

この規範が嘘から成り立っている以上、私たちが規範に沿って作り上げる社会はどこまで行っても矛盾だらけとなってしまうのです。

それが現在の日本の歪みです。

現在起きている憲法改正論争自体が二分法の罠であり、国民を分断する支配戦略なのです。

今こそ冷静に、憲法9条の議論だけでなく、日本とは何かを真剣に考え直し、本当の日本の在り方を憲法から見直す必要があるのです。

「二分法の罠についてはこちら↓↓↓」
http://ameblo.jp/kousyoku-labo/entry-11998746781.html


*ちなみに、先進国における憲法改正の回数は↓↓↓

ドイツ:     59回
フランス:    27回
カナダ:    19回
イタリア:   16回
アメリカ:    6回
日本:      0回