父の命日です。 | 真理のパフォマー 女優セラピストヒーラー くみちゃんのレッツらゴー。
今日の仙台は、どんと祭。

夕刻の街中に裸参りの鐘の音が鳴り響く、冬の1日です。



そして1月14日は、私の父の命日です。


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写真は京都の先斗町で、舞妓さんと遊ぶ20歳くらいの父。



父は2010年1月14日に亡くなりました。
10月14日に入院して、ちょうど3ヶ月目で亡くなりました。

父は、自宅を担保にして3,000万の借金をしていました。
私の兄、長男を保証人にして。
人に貸したお金も回収出来ず、最後の何年間かは生きる我利我利亡者(ガリガリモウジャ)のようになってしまいました(T_T)



2010年1月14日、あの日はラジオドラマの収録だったなーー。

その日のことを、当時のmixiに書いていたの。
転載します。
良かったら読んでね❤️





ラジオドラマの読み合わせが終わったのが、確か5時過ぎでした。 

家で待っていた母に、今からお父さんの病院に行く? 
と電話しました。 
今から行っても、面会時間終わっちゃうねえ、 
明日早くに行こうね、と電話を切りました。 
切ってすぐに病院から、電話が入りました。 

お父様の容体が変わりました。なるべく早くに来てください。 


1時間くらいかかりそうですが、間に合いますか? 
と聞くと、 

わかりません。くれぐれも気をつけて、いらしてください。 


兄に電話して伝えました。 
兄の会社は、病院から5分くらいのところ。 
兄が急いで病院に向かいました。 


母を迎えに行く途中、宮町東照宮のどんと祭の渋滞に巻き込まれました。 

どこに抜けても渋滞で、私は心の中でお父さんに語りかけました。 


お父さんお願い、お母さんと私が行くまで待っていて。 
お願い、待っていて。 



その瞬間、圧倒的な、巨大な、絶対的な慈愛が、 
私を包んでいた。 

それと同時に、どうしようもない悲しみが溢れ、 
渋滞の中ハンドルを握りしめて号泣しました。 
遠くに裸参りの鐘の音を聞きながら。 

お願い。お願い。お願い。 



今感じている愛が、父のものだとはっきり分かっていながら、 
認めたくなかった。 
もう父が亡くなってしまったことを。 



実家に着く直前、兄から電話がきて、 
父が亡くなっていたことを聞かされました。 

兄も、父の最期には会えなかったのです。 

父はたった一人で旅立ちました。 



母は寒さの中、外に立って待っていました。 

お母さん、遅くなってごめんね。 
一人で待たせて、ごめんね。 
お父さんの最期に間に合わなくて、ごめんね。



父は喀血して亡くなりました。 
きっと、誰にも見せたくなかったんだと思う。 
特に母には。 

最期まで、かっこつけておしゃれな父のまま、 
二枚目で無口で照れ屋で。 





1週間後に、がじゅまるの公演がありました。 

その日の朝、自分の顔を久しぶりに鏡に映してみました。 

びっくりしました! 

私の瞳の奥が、父に繋がっていたのです!! 

というか、父の瞳だったのです。 


入院中、顔を拭くたびに、語りかけるたびに、 
毎日覗き込んでいた、父の瞳。 
そこに繋がる、父のたましい。 
父のいのち。 

私の瞳の奥、私のたましいが、父と繋がっていました。 

というより、父そのものだったのです。 



がじゅまるの公演が終わって、いつものように子供たちを 
廊下で見送りました。 

びっくりしました!! 

子供たち一人一人の瞳が、父に繋がっていたのです。 

というより、父そのものだったのです。 


「ありがとう!楽しかったよ!また来てね!また会おうね!」 

子供たちを通して、父が私に語りかけていました。 




そして今は、全ての人に、ものに、存在に、 
父を感じ、認めています。 






母は、父の入院中に父を赦し、自分を赦し、 
自分の愛を解放しました。 
その結果、いみじくも大恋愛を経験したのです、父と! 

そんな中、突然父が逝ってしまったので、 
生きる気力を失ってしまいました。 
葬儀の2日後、肺炎になって緊急入院しました。 

母は2年前肺がんで、手術しています。 
肺炎だけは気をつけてね、と先生から言われていました。 
私も二人の兄も、かなり落ち込みました。 
もしかして、お母さんまで!? 
そしたら、 
「よっぽど繋がりの深い、仲の良い夫婦だったんだねえ、」 
なんてみんなに言われるなあ、 
なんて冗談でも言ってはいけないようなことを、 
話して笑いました。 

そう、私たち家族の素晴らしいところは、 
どんな時でも、どんなことも、 
笑いに繋がる要素を見つけて、大笑いできることです!! 


父が亡くなって霊安室に運ばれたときも、 
母が、父をうちに連れて帰りたい、と言いました。 
あんなに大好きなのにずーっとお風呂に入っていないから、 
うちのお風呂に入れてあげたい、と言うのです。 
私は泣きながら、申し訳ないけど私は入れてあげられないよ、 
と言いました。 
重いし、固いし、入れられないよ。 
じゃあ、今帰り道にコロナの湯があるから、 
そこに入れていこう! 
お兄ちゃんとタカシ君が、お父さんの両肩を支えて入れば大丈夫。 
ちょっと顔色が悪い、体がやけに真っ直ぐな痩せた人だなあ、 
くらいで分かんないよ! 
昔ドリフのコントにあったねえ、 
と言ってみんな爆笑しました。 
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら。 



父の遺してくれたプレゼント。 

それは、実際には負の遺産です。 

でも、そのおかげで私はたくさんの人たちの優しさを知りました。 

本当の豊かさへの切符を手にしました。 

お兄ちゃんの素晴らしさを改めて知ることができました。 

タカシ君の素晴らしさも。 

自分の素晴らしさも。 

そして、仲間の素晴らしさも!! 

この地球の、世界の素晴らしさも。 


昨日、先週退院した母の、診察の日でした。 
それによっては、再び入院し、 
手術かもしれないと言われていたのですが、 
主治医の先生は 
「だいぶ良くなっていますよ!大丈夫!お薬で様子を見ましょう。」 
と言ってくださいました。 

良かった。 
本当に。 

嬉しいです。とっても。 

心配していないつもりでしたが、 
実はすごく心配してたんだな。 



たくさんの愛をありがとう。 

たくさんの優しい、あたたかい想いをありがとう。 

みなさんの愛に支えられて、ここまできました。 



本当にありがとう。 


ありったけの愛を込めて 



くみちゃんより。 






そういえば、だいぶ前に
「くみちゃんのルーツ」
というブログを書いてました。
父と母のことが書いてあります。


パート1からだいぶ時間が経っていますが、
これからちょっとずつ、mixiの記事も転載しながら、書いていこうと思います✨

くみちゃんのルーツ、
父と母の愛の日々を。




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