21世紀の先生の姿 | (旧)薄口コラム

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本体ブログの過去記事の冒頭を定期的にピックアップしていこうと思います。
興味を持っていただけた場合は、下記リンクから是非本体にお越し下さい。

画家であり医学に通じていたレオナルド(ダ・ヴィンチ)
哲学や政治だけでなく、音楽の才能も秀でていたとされるルソー。
そしてあらゆる学問の見識のある柳田國男。
この辺の人たちについて、僕はずっと才能を振り回している人たちにだと思っていました。
なんなら有り余る才能であるが故に、他ジャンルに手を伸ばすイヤなヤツらくらいの印象です(笑)
でも最近、こういうタイプの人たちに対する考え方が変わってきました。
「才能が有り余っていたから他ジャンルに手を出した」のではなく、「いろんなジャンルに精通していたから、偉業を残した」のではないか?と。


20世紀を表す象徴的な言葉の一つは、「細分化」であると思います。
職人の技術や仕事のプロセス、身体や分子構造に至るまでを細分化して、再現可能なものにする。
僕の認識では今まで複製、取り替えが不可能だったものを可能にすることで、あらゆるものの効率を高めたのが今の社会です。
教育も例外ではありません。
専任講師による科目ごとの分業化、ペーパーテストによる到達度の定量的な測定により、効率を高めることをなされてきました。


20世紀はそうしたスタイルが最もマッチしていたと思います。
理由は2つ。
ひとつは生徒に対する先生の割合が相対的に少なかったから。
もうひとつは物理的・時間的な障壁が存在したから。


日本では戦後急激に人口が増加しました。
その結果子供達が増え、相対的に先生の数が足りなくなる。
高度成長もあり、当時はいかに効率よく(先生一人当たりの生徒数を増やし)、平均的な子供たちを増やすかに重きを置かれた時代だったと思います。
そのために採用された手法が科目の分業化とペーパーテストじゃないかというのが僕の考えです。
専門家することで教師の負担を減らし、テストで明確なラインを示すというのは、確かに理にかなっています。


またもう一つの理由も重要です。
当時はIT技術もなく、情報も人の移動も今と比べて大きなコストでした。
そのため仮に平準化された能力であったとしても、その土地毎に一定数が必要とされていました。
つまり、同じような人間が各地域毎に存在できた時代です。

こうした状況は、21世紀になって一変しました。



お手数ですが、続きはメインブログにお越し下さい。