本当に縁起を良くする方法 | 真実は人を幸福にするか?

真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ

「縁起が良い」
「縁起が悪い」

これは世の中でしばしば口にされる言葉ですが、そもそも「縁起」という単語自体、どういう意味かわかりますか?
「縁起」とは、そもそも仏教用語です。
「この世とあの世にあるものには実体が無い」と仏教では説明します。

※この世:生きているこの世界
  あの世:死後の世界(霊界)
  彼岸:この世もあの世も超えた究極の世界(ブラフマン)

どこかの宗派の教義ではなく、お釈迦さんの時代からあった基本概念です。
「この世とあの世にあるものには実体が無い」と言いつつも、目の前にスマートホンがあるじゃないか?目の前にパソコンがあるじゃないか?
ここに居る私に実体が無いと言うのか?
僕たちはハッキリと生きてるんだ。
夕暮れよりももっと赤い血が身体中を流れてるんだぜ~


確かにそうです。
その反論の意味、わかります。
ですが、ここでもう一つのカギとなる単語は「実体」です。
仏教で「実体」と言った場合、他のものの影響無く、そこに存在し得る、という意味です。
「物体がある」という意味ならば、確かにスマートホンもパソコンも実体があります。
ですが、仏教概念における「実体」とは、他のものの影響が無い、という事です。
では、「他のものの影響がある」かどうかを、仏教では、どう判断するかと申しますと、ぶっ壊れるかどうか?です。
スマートホンも、パソコンも、人体も、どんなに丁寧に使っていても、いつかはぶっ壊れます。
機械は、部品一つ故障しただけで動かなくなる可能性がありますし、人体も同様です。
機械も人体も、要素と要素の組み合わせであり、だからぶっ壊れるんです。
地球も太陽も、いつかぶっ壊れます。
これを「実体が無い」と仏教では言います。
「実体は無いけど、とりあえず、仮にそこに存在している」というのが、この世の中の物や出来事です。
(大乗仏教では、これを「空」と言います)
「出来事」と言うのは、「今日、良い事がありました」「今日、悪い事がありました」の出来事です。
じゃあ、どうして事物が存在しているかと言えば、さまざまな要素の組み合わせによって存在しているのです。
この要素の組み合わせによって、物や出来事が形成される事を「縁起」と言います。

「恵方巻を食べると縁起が良い」と言う事を言います。
ですが、ここまで説明した事から考えますと、恵方巻で縁起が良くなる、なんてわけは無い、とお分かりでしょう。
余談ですが、恵方巻は、どっかのコンビニの店長が、余った太巻きを売る為に考えたインチキ商法が広まってしまったという説がありますが、この説自体も出典が無いので、軽く聞き流して下さい。

仏教では、良い縁起は、良い行い、良い言動、良い思いによってもたらされると考えます(身口意)。
悪い縁起は、単純にその逆ですね。

良い行い、良い言動、良い思い。
そんなのわかってるけど、なかなか出来ないんですよね。
これは日常の心がけとして、ちょっと神道を見てみましょう。
神道。少なくとも伊勢神宮を本部とする神社本庁の神道には、教義が存在しません。
教義は存在しませんが、儀式は存在します。
「祈り」「お祓い」ですね。
これらの行いにより、「縁起が良くなる」と人は思うわけですし、昔から、効果を体験している人がおりますので、ちょっとそこを考えてみます。

神道でお祓いを行う場合、何を祓うかと言うと、「罪」「けがれ」を祓うというのが国学院大学的には正答なんでしょうけど、
「どっかで何か悪いものでも憑りついてしまったんじゃないか?お祓いに行こう」
と思って、普通は神社に行くわけですね。
単純に言うと悪魔祓いですね。
神道には「悪魔」という単語がありません。
ですから、「悪魔祓い」とは言いませんが、実際は、それをやっているんです。
人を幸福へと導くのが神ですね。
それと反対の働きをする存在もある。
神道では、それを祓ったり、祀る事により、鎮める、という方法をとって来ました。

嫌なのは、この「憑く」というやつですね。
信じるか、信じないかは人それぞれですが、多くの人がそれを何となく感じる事があって、だから、神社のお祓い、というのは今日でも需要があるんですね。
お祓いを受け、お札を授かって、それをしかる場所に貼るわけです。

仏教では、明確に「悪魔」を説きます。
人の成仏を妨げる働きとしての「悪魔」です。
天台宗や真言宗などでは、お経を読んで、背中を九字切りしてもらって、祓うんです。

「最近、悪い事が、たて続けに起こって気持ち悪い」と感じる事ってありますよね?
そういう時に、神社や仏閣でお祓いをしていただくと、そこから凶(不運)の連鎖が止まる。
それをきっかけに、やたら調子の良い日々が続く事もある。

神道や仏教の概念で言えば、縁起が良い状態というのは、神仏に常時、ガードされている状態ですね。
風水で言えば、自分自身に結界が張られているんですね。
結界が張られているから、悪魔が入って来れない。
憑りつく事が出来ない。
だから、悪い事が生じない。
常に良い神が寄り添うから、良い事しか生じない。
(人間の感覚的な良し悪しと、神仏から見た良し悪しは違うと思いますが、それは後でちょっと述べます)
良い事が生じる事を「縁起が良い」と言うわけです。

逆に、自分自身の結界が弱くなった場合に、悪魔が侵入して来る。
そして憑りつく。
そこから、不運が連続して起こる。
これが「縁起が悪い」。

もちろん、最初、お話したように、言動、行動、思念が正しければ、縁起が良い状態が多くなる。
言動、行動、思念が間違っていれば、縁起が悪い状態が多くなる。
ですが、「結界」という考え方も、重要だと思うんですね。

というのは、私自身、自分自身の結界の強弱を感じる事があるからなんです。
「結界を張る」という行為は、実は自分でも出来ます。
それが日々の祈りです。
神棚や仏壇に祈る。
祝詞やお経を読んで、神仏の加護を祈る。
これは結界を張る作業なんです。
これを日夜、やっておりますと、結界が徐々に強くなって、人生が順調になります。
やり方にもよると思いますが、正しくやれば、そうなると思うんです。
「祈り」とは、自分に結界を張る儀式でもあるんです。

私は、たまにこの祈りが続かなくなる時があるんです。
何となく、祈るのがめんどくさい。
そう感じる事自体、すでに憑依されてしまっているのかも知れません。   ※悪魔=亡者の霊
それで、何日か、祈りを欠かしますと、ハッキリと凶が続きますね。
「縁起が悪い」状態が続くんです。
こういう時って、どんなに注意してもダメです。
自分が大切にしているものを家族が失くしたり、職場に行くとトラブルが発生していて、巻き込まれたり。
自宅の家電が予想外の壊れ方をしたり。
ウィルスが侵入して、パソコンが使えなくなったり。
データーを書き換えられたり。
職場での評価が悪くなったり。
このメチャクチャがずっと、続きます。

私の場合ですが、月に一度は神社に参拝に行き、朝は10分くらい。
夜は一時間くらい自宅で祈るんです。
これが基本です。
この基本を逸脱すると、「縁起が悪い」状態が続く。
そこで、また、基本に戻り、数日すると、縁起が良い状態、少なくとも、悪い状態では無くなります。
「縁起が良い」状態の時は、色んなトラブルが回避出来ます。
回避出来なくても、上手く、解決出来ます。
自分に対する良い評判が流れるようになります。
頭がスッキリして、集中力が持続します。
顔つきが良くなります。

もちろん、祈るだけではだめで、本当は、善い行い、善い言動、善い思念を実践する必要があるんでしょうけどね。
そして、人生に目標を持って、しっかり生きて行く事でしょうね。
また、人生には避けられない苦しみがあります。
仏教では「カルマ」と言う事を説きます。
これは、これまでの輪廻転生の中で行った悪事の記録です。
借金みたいなもんですね。
借金を返すというのは、一生懸命に働かなければなりません。
その額が大きいほど、返済に苦しみを伴います。
カルマも同じであり、この世に生まれて来たのは、カルマがあるからです。
カルマという負債の返済の為に生まれて来たのです。
ですから、生きる事は苦しい。
お釈迦さまは「一切皆苦」(いっさいかいく)とおっしゃったのです。
これは、人生のすべてが苦しみであると言う意味です。

ですから、どんなにお祓いをやっても、毎日、祈っても、事故に遭うべき時には逢うし、病気になるべき時にはなります。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候」(江戸時代の僧、良寛)
「雨の日には 雨の中を 風の日には 風の中を」(相田 みつを)

ですが、逢わないで済むトラブルならば、避けたいですよね。
悪魔は、カルマとか関係なく、逢わないで済むトラブルを運んで来ます。
人を絶望させるように、不運が重なるように、縁起を組み立てます。
(負の縁起)
カルマによって苦しむなら仕方ありませんが、やってもいない借金を「払え」と言って来るのが悪魔です。
ですから、日々の祈りで結界を張り、悪魔を追い出す、と言う事を、皆さんのご先祖様はやって来たのです。

ところで、プチ知識です。
神社本庁系の神社でお祓いを受けると、一回五千円です。
今後、値上げも考えられます。
真言宗、天台宗、修験道のお寺だと、「護摩行」というのが定期的にやっておりまして、そこに参加しますと、せいぜい、護摩木一本五百円程度です。
ただ、一番、良いのは、自分と縁を感じるような神社。
基本的には近所の神社ですかね。
別に遠くてもいいんですが、とにかく、「ここいいな」と感じる神社を探しておく。
そこに、毎月、一回、お参りして、十分くらい、境内でボーッとして来るんです。
柏手パチパチやって、おみくじ引いて、即座に帰るのはもったいないです。
境内の邪魔にならない所で、ボーッとする。
この時間に、自然にお祓いされるんですね。
そして、神様を味方につけて帰る。
ぜひ、実行なさって下さい。

「私はもうダメだ。ダメな星のもとに生まれたんだ」という極度のマイナス思考は悪魔を呼び寄せます。
すると、余計に「悪い縁起」を多発させます。
思い当たる人は、ここまでお話した「良い縁起」を生み出す方法を、とにかく必死にやりましょう。
じゃないと、最悪、魂ごと、あの世に持って行かれます。

ちょっと宗教的な話になりましたが、日本人ならば、受け容れやすい話だと思います。
ここでお話した事は、先祖から、ずっとやって来た事ですから。

 


↓以上の話を動画にしたものを公開しております。
  どうぞ、ご覧下さい。

 

 


◎掲示板「大梵天寺」お気軽にお茶を飲みに来て下さい。    
 (和尚が独り言をつぶやいています)
 http://daibontenji.bbs.fc2.com

 ◎Twitterアカウント   
 (リツイート歓迎)
 https://twitter.com/kuwatayoshio

◎メール
 kuwatayoshio あっとまーく gmail.com