真夏の夜の最北の町!の巻
8月10日
『もしもし、九州電力さんですか?お忙しいところすみませんね。何だか、明日から川内原発を再稼働するとの事なのですが、中止して頂きたいと思い、お電話させていただいております。
原発など無くても電気は足りているというのは事実ですし、今度事故が起こったら、日本はもうお終いなのですよ。
危険な原発を無くし、美しい山河と、生きるに値する社会を子供たちに残すというのが、私たちの使命なのだと思いますよ。
福島の原発事故だって終息出来ず、放射能がダダ漏れ状況のなのに、再稼働などあまりにも無責任ではありませんか。私は、このような所業をこの日本の大地に生きる人間として許すわけにはいきません!!
私のような市民の声があったという事を御社の中に伝えていただき、よく議論して、原発の再稼働を中止するという結論に達して頂ければ幸いです。お忙しいところ時間を頂き、ありがとうございます。では・・。』
私は、騒がしい旭川駅構内にある公衆電話の受話器をおいて、一息入れた。行きかう人々の向こうに、旭川の都会的な街並みが見え、私と同じような自転車旅行者が愛機を組み立てている姿もある。
つーか、俺はなんでこんな北の大地から南国に電話などしてるんだッッ!?アホかッッ!?
私もアホだが、日本を破滅させる原発の再稼働はもっとアホである。
私は旅の最中でも、これが気になって気になって仕方がないのだった。
ふむ・・本社は通話料金が取られるようだが、各営業所はフリーダイヤルのようである。ではあと何件か電話しておくか・・。私はまた受話器をあげて番号をプッシュした。
それにしても、こうした行動をとると突っかかってくる人や、無関心な態度を取る人が居るのは何故だ?
何で、自分の住む大地や子供たちの未来が破壊されてしまっても、何とも思わないのかね?無知なのは問題外だが、仕事の絡みか?
やっぱし結局はお金か?
一体、何のために子供は生まれてきたんだ?
無関心を装い、自分たちがしでかした失敗の責任を、子供たちに押し付けるためだろうか?
・・マザーテレサがこう言っていたそうである。
『愛の反対は憎しみではなく、無関心です。
憎しみの感情すらもない無関心なのです。』
・・と。
まったく寒気がするな。まあ、あっしは通りすがりのしがない旅がらす。
そんな人でなしの事なんて、あっしには関わりのねぇ事でござんす。
マトモな奴、マトモじゃない奴・・選別など出来やしませんぜ。
あっしは、すべての人の幸せと平和を願うだけ。それにしても・・
後先も考えず性懲りもなく危険な原発を動かし、それでも人はみな無関心。
もう終わりでがんす。
明日、世界が終わるとしたら・・俺ならまずは旭川ラーメンでも食うな!!
次の列車まで時間があるので、私は愛機<みにべろりん姫>に乗って街に繰り出していった。
1両編成の鈍行列車が、小雨の降る音威子府駅で1時間20分も止まりっぱなしであった。駅の周りには時間をつぶせるような施設などあるわけがなく、また、そこがイイのだ。
まあ、分厚いエロ本を読んでいる私には時間とか関係ないのだが。
ほう・・近い将来、人間による環境破壊で、残された自然はごく僅かになってしまうだろう。そこに観光客が殺到するとそれすらも破壊されてしまうので、立ち入りを禁止し、子供には、かつてこんな自然がありました的なエロビデオを見せて教育し、家にこもってエロゲームでもさせておくのが良い・・。
私はうんざりしながらエロ本のページをめくっており、その筆者もこの本を書いててうんざりすると言っているありさまであった。
エロ本の筆者と一緒にうんざりしていると、列車はゴトリと動きだした。
大地をのたくる川沿いを跳ねるように走り、うっそうと茂った原野を突っ切る線路の上で、列車は歓喜と絶望の入り混じったような汽笛をあげる。
私はもうとっくに都内の列車では不可能になっているだろう、窓を開けて大自然から吹き込む風を感じた。
しかし、私はハゲなので艶やかな黒髪がなびく事もなく、ただ眩しいだけなのだ。
地球は・・俺の頭みたいにツルツルになってしまうのか。
何だか旅を楽しむというより、今はこうして鬱になっていたい気分である。
列車は終着駅に到着した。ここは本当の終着駅でなのである。
線路はどこまでも続かない。これより先には線路はない。
最北端の駅、稚内到着。
私は、再開発で以前来た時とはガラッと変わって道の駅も出来ている、駅周辺を見渡し、「港の湯」という日帰り温泉に行く事にした。
休憩所のリクライニング席でのんびり天気予報を見ていると、宗谷地方はこれから竜巻の可能性があるとのテロップが流れて、危うく手に持ったコーヒー牛乳のビンを落っことしそうになった。
あははは・・ご冗談を。
最北端だと寒いくらいだと思っていたが、ちょっと暑いくらいだぜ。と思いながら、港で明かりが煌々と灯った、白い鯨のように大きな漁船を眺めていると、パラパラと雨が降ってきたではないか。マジで来んのか、竜巻?
こいつぁ、どうもエキサイティングな夜になりそうだな。と思いながら、私はいつもの野宿場所へと急ぐのであった。
<つづく>
遥かなる大地、北海道!の巻【プロローグ編】
8月9日
北国の涼しい夜風に吹かれながら、青森駅のホームで過ごす事、1時間半。
指定席が取れなかった列車の自由席を押さえるためにダルそうな顔して並んでいると、同じ境遇の暇そうなおっさんとの奇妙な友情が生まれつつあった。
『それにしても急行はまなすって、こんなに人気ありましたっけ?指定席は2週間前から満席だし、2年前に乗った時は、余裕でしたけど。』
北海道生まれの人は暑がりだというのは本当らしく、東北を鉄道で回って千歳に帰るところだという、鉄道好きのおっさんは、センスの悪い扇子でパタパタ煽ぎながら答えた。
『来年の春の北海道新幹線の開通で、廃止になりそうだからじゃないかな。しかも、このお盆休みの書き入れ時だというのに、新幹線の訓練運転のために何日も運休するんだよ。ワケわからないよなぁ・・。』
北海道新幹線ねぇ・・この狭い日本をそんなに急いでどこへ行く。
大体、直通というのがつまらねえ。
私は、青森で列車を乗り換えるということに旅情を感じるのだが。
それにしても、事故が連発するJR北海道は大丈夫なのだろうか。
この前、特急列車がやらかしたみたいに、青函トンネルで新幹線が事故ったら鉄道会社にとっては大ダメージだぞ。
不祥事が続くのはもしかして、お金も人員もなさすぎて、ヤケッパチになってしまっているのではないのか。
民営化して限界まで削った事だし、そろそろまた国鉄に戻すっていうのも良いのではないかと思うのだが・・。
みんな並び疲れたのか、深閑としていたホームに一抹のざわめきが起こったかと思うと、ディーゼル機関車に牽引されて、青い塗装を身にまとった客車列車がゆっくりと入線してきた。
日本最後の夜行急行、はまなす号である。
ところどころ塗装がはげて痛々しいところが、私にとっては実に愛おしく、こんなになるまでよく走ってくれているなと、抱きしめて撫でさすってやりたい。
颯爽と乗車して席を確保し、その後でリンコー袋に入った愛機を車内に引っ張り込む。
自由席は、座席の背もたれの倒れる角度が究極に浅くて、寝心地が悪そうなのも、これがまたイイのだ。
もちろん、寝台やカーペット席に代わってくれるというのなら、喜んでそうさせていただきますけども♡
次第に車内は混雑し始め、デッキまで人であふれてきた。
これから何時間も地べたに座り込むハメになる人には気の毒だが、俺たちはずっと並んでいて良かったですのう・・と私とおっさんはニヤケて笑いあった。
夜行列車は青函トンネルを抜けて、真夜中の北の大地に上陸したようだったが、まるで揺りかごの中でうずくまっているような、列車の心地よい揺れに導かれて、私は眠ってしまっていた。
翌朝、はまなす号は札幌に到着した。
すでにおっさんの姿は無く、私は無言で愛機と巨大なリュックを背負ってホームに降り立つ。
実に一年ぶりの北海道の空気であった。
私はもはや出会いを求めているわけでもなく、楽しさを満喫したいわけでもない。
ただ、この地にまたやってこれたという喜びだけを感じる旅。
別に良い景色が見れなくても、美味いものを食わなくてもいい。
どこか人気が少なく暗くて寒いところに佇んでいるだけでもいい。
陰気でちっとも楽しくなさそうな旅の幕開けである。
私はホームを降り、とりあえず便所でうん○こをし、さらに北へと向かう鈍行列車に乗り込んだ。
<つづく>
時の旅人!の巻【後編】
7月26日
虫の鳴く声がどことなく聞こえ、外灯が仄かに照らす薄暗いバス停の中で目を覚ました私は、思わす苦笑した。
ここで野宿しようと思って、中に入って眠りについた時と、まったく状況が変わってねえ・・。
ひんやりとした空気の中に埋没したような山の中のバス停から出ると、私はピンク色の愛機に乗って、暗闇へと踊りだした。
長い夜が明けて、まばゆい朝日が牧草地を黄金色に輝かせていた。
柵のすぐ向こうでは、放牧された黒い牛が草原の中をのそのそと徘徊しており、初めてこの道をやってきた私をじっと見ている。
空気が澄んでいるからなのか、とてつもなく濃厚だからなのか、すぐ間近の山が青く染まって見え、自分が山の中にいるのか、それとも海の中を走っているのか分からなくなってきた。
こうして山奥を行く、ひっそりとした道を登りながら山々を眺めていると、なんだか、私の心が世界のすべてを包み込むように、どこまでも無限に広がって大自然そのものになっていくような気がした。
私はただここにいるだけで。空にたなびく雲を見上げているだけで全身に恍惚とした光を感じた。
幸せか。そんなものはすでに与えられており、気がつくかどうかなのではないのだろうか。人間にはそもそも『欲しいもの』など無いのではないか。
地球上で一番幸せに鈍感な生物は人間ではないのか。
誇るべきものとは何か。
いかに多くのお金を稼ぐこと?他人にもてはやされること?
スポーツや趣味に夢中になって結果を追い求めたりする行為を継続すること?自転車で遠くに行ったり速く走ること?
いや、何の意味もないだろソレ。
人間のやることで素晴らしくて誇れることなど、何一つとしてありゃしないよ。
私が思うに・・
『俺には誇ることなど何もないが、これでいいんだ。いろいろやってきたけど、やりたいことなど、そもそも無かったんだ。俺はただ、どうでもいい事に振りまわされていただけだったんだなぁ。』
・・と言える人生ほど、自分にとっては素晴らしいものではないだろうか。
自己満足でよいのだ。他人に誇れるものなどありはしない。
また、私は人として成長しているなと思う人を見た事が無い。
つーか、人は成長などしないだろ。
科学技術や社会制度は進歩しても、本質的な人の性質は昔から何も変わってないだろ。だから憲法を守らない政府があったり、そのせいで自分の生命に危険が迫っているのに気がつかない無関心な人が多いのだろう?
地球に生かされているだけのちっぽけな人間が、大自然の営み以上の何が出来ると言うのだろうか。何を誇れるというのか。
人間の英知は自然を制御できるって?それは『驕り』だと思う。
その驕りのせいで、人間は地球史上6度目の大絶滅を引き起こしつつあり、経済を回すために地球を破壊し毒を垂れ流しすぎて、もはやそうしなくては生きていけない生物になってしまっている。
人間は何をやってもダメなんだから、何かをするより何もしない方が遥かにマシなのだ。
私たちはもう長生きなどにこだわらないほうがいいし、子孫など残さないほうが良いのだろう。好き放題やらかし汚染しつくした後に生み出される方は気の毒だし。
自らの存在自体がこの世に不要だと悟り、戦争や原発といった愚かな行いをやめたうえで、潔く消えてゆく。
私もこの景色を目に焼き付けて、早くここから立ち去ったほうが良いのだろう。私の手はあまりにも汚れすぎてしまっているしな。
試しに自分の手の匂いをくんくん嗅ぐと、腐ったチーズみたいな匂いがして、ハマった。
青い空が衝突するくらい近くなると、いよいよ頂上なのであった。
この峠には何度来た事か。
この地を汚してはならないと思いながら、やっぱりこの素晴らしい景色が見たくなって、ついつい来てしまうな。
私はまるで原始時代に帰って来たような、果てしなく広がる雄大な大自然を眺めている。
そして日本国道最高地点、標高2172mと刻まれた石碑で、いつものように写真を撮り、私は渋峠を後にする。
びゅうびゅうと金切り声をあげる風の音を楽しみながら、私の愛機が草津白根山の膝元を疾駆する。
噴火警戒レベルが引き上げられ、閉鎖されたレストハウスの前を一瞬で通り過ぎ、逃げるように坂をかけ下って行くと草津温泉である。
西の河原露天風呂で汗を流し、温泉街で温泉まんじゅうを試食し、湯畑を一周すると、もう十分である。ここに来れたと言うだけで満足なのだ。
さらば、私の大好きな草津温泉。
私は満ち足りた表情で、標高1200mにある日本一の温泉地を後にした。
その中でもっともバカバカしいのは、自転車で走り回ることである。
こんな行為はさっさと満足して、他の事をやった方が良い・・。
同じ事を続けることには何の価値もないのだから。
だが、私には無理だ。
ほら、こうして榛名湖がきらきらと眩しく微笑んでやがる。
自転車で走っていると、世界のすべてが輝いて見えてしまうのだ。
私は筋金入りのバカなんだから仕方がない。愚かしい事を止められないのはどうしようもないのだよ。
何も持たなくても。
何もしなくても幸せを感じられるようになるまで・・。
もはや人間と自然は共存できない。人類はすべてを破壊して自滅するまで止まらないだろう。それでも私は、いつの日にか人類が改善して自然と共に栄える日を夢見て、バカ面引っ提げて訪れ続けるのさ。
私の愛機がリンコーする予定の、伊勢崎の町を目指して榛名山を離れる。
今日も灼熱の中を意味もなく自転車で遊び呆けるピンク色の変態、お金を稼ぐためにあくせく働く人たち。それらを操っている一部の人たち。
そんな人間たちの営みなんかどうでもいいとばかりに、頭上には眼に染みるような青い空が広がり、真夏の太陽が地上を照らし続けていた。
<おしまい>
今回のエンディングテーマ『時の旅人』
https://www.youtube.com/watch?v=qfgDoSau77c
時の旅人!の巻【前編】
7月25日AM8:30
妙義山の奇妙な形をした鋭峰が、朝日を受けて力強くそびえ立っている。
これから暑くなりそうな予感がする良く晴れた空の下、私はピンク色の愛機に乗って、横川駅のすぐそばにある『おぎのや』のドライブインへ滑り込んで行く。
おぎのやといえば、『峠の釜めし』という超高級駅弁であるが、私のような変態貧乏人風情が、こんな豪華な朝食を頂いてしまっても良いのでしょうか?
すでに封を解き放って、美味そうな具の乗った釜めしがあらわになっているので今さらだが、午前1時に東京を出発してひたすら働いてきた身体が、たまには贅沢したっていいんじゃないっすか?と弁明しているようだった。
じゃあ、仕方ないですね。頂くと致しましょうか。
この先で私を待っているのは碓氷峠である。
この峠を自転車で上るのは十数年ぶりで、胸をときめかせながら上って行くと、アプト式鉄道時代に作られたレンガ造りの美しい橋が見えてくる。
この橋も二世代前のものとなり、電化した線路も廃線になって、今では新幹線が通っている。
どんな思いでこの橋は作られたのだろうか。
この橋は、今の日本をどう思ってくれているかな。
こうしてロードレーサーで初めて坂を上っていると、案外勾配は緩かったんだなと思った。ママチャリを押して上って行ったあの頃が懐かしく、思わず学生時代に歌わされた合唱コンクール的な曲を口ずさんでいた。
『めくるめくる、きゃあエッチな風♪
めぐる想いに乗って、あの腐った日に会いに行こう♪』
あれ?あの頃は中学生だったっけ。いやもっと年老いていたような気もする。もうこの歳になると、記憶のすべてが曖昧で一緒くたとなってわけが分からなくなってくるのだ。
悪いことも良い事も関係なく歴史はめぐる。
私たちは連綿と流れる時の中を旅しているのだ。
僕らは時の旅人・・。
何だか、幼き日の屁のぬくもりが帰ってくるような気がして、私は思わず眼を細めて微笑んだ。
軽井沢に到着し、ただ涼しいそよ風に吹かれながら町並みを眺めていると、すぐ背後で、私を見て嘲り笑う声が聞こえた。
『・・ああ?ははは!!』
どうやら女子高生と思しき若者が、私の背中を見てしまったようである。
おっといけねえ!
リュックに変態なステッカーを貼っていたんだったな!
うっかりしていたぜ。
だが、他者の眼を気にしない自由で狂った精神を身に付けた私は無敵であった。
むしろ嘲笑されると嬉しい!!
さあ!もっと俺を蔑みの眼で見るがよいわ!!
どんどん坂を下って行き、小諸を過ぎたあたりから焼けた砂で覆われた砂漠の大地のごとき暑さになってきた。
『あぢゅいよ~!しんぢゃうよ~!!』
私は人目もはばからずに弱音を吐きまくり、いよいよチャリに乗っているのがバカらしくなって、お蕎麦屋さんに避難してしまうのであった。
蕎麦を食い終わっても外に出るのが嫌でスマホをいじっていると、お店の娘さんの、変態は早く立ち去って欲しい光線が私を貫くので、勇気を持って飛び出していった。
国道沿いを悠々と流れる千曲川と一緒に旅路を行くと、いよいよ長野の街である。
PM4:00
私は時間通りに長野駅前に到着した自分を褒め称え、人知れずニンマリと笑っていた。最近は運動不足でヤバイかもしれないと思っていたが、無事にたどり着けて偉いぞ!凄いぞ俺!!
何かをやり遂げた後の空がやたらと美しい。
さて、ここに集まりし戦争法案に反対する人たちと一緒にデモ行進でもしましょうかね。
『憲法を守れ!!戦争するな!!』
飛び入り参加の日本一周の旅人、東京からピンク色のロードでやってきた変態、プラカードや幟を掲げた300人の市民が、お巡りさんに守られながら街を行く。
不快そうな顔をする人、無関心な人、沿道から手を振ってくれる人・・
思想や性格、知能もそれぞれ違う、人間同士が皆で分かり合うなど、ありえない。
原発や戦争法案に賛成するのだって、良いとも思える。
人間は自分が一度、酷い目に遭わないとその愚かさが分からないものだ。
だからこそ、自ら愚かな行為に身を投じて目を覚まさせるのも悪くない。
そもそも、人類など地球上に要らないものだ。原発をじゃんじゃん再稼動してボンボン爆発して核のゴミまみれになって絶滅するのも良し。
戦争を盛り上げ、核戦争までエスカレートさせてサクッと絶滅するのも良いだろう。北斗の拳による仮説だと、それでも人類は生きているみたいだし、もしかしたら、過酷な環境でも生きてゆける、たくましい変な格好をしたお兄さんに進化するかもしれない。
原発や戦争法案に反対だと人間同士でいがみ合うなんて良くない。いつもニコニコ笑顔でいたいものだ。みんなと同じことをしていれば、諍いなど起こらないし平和ですむじゃないか。
みんなとチャリに乗って楽しさだけを追求していたい。滅亡する瞬間まで嫌なことは考えず笑っていたい・・これはある意味、悟りの境地に達したとも言える。
しかし、私はそうは思わないのだ。
私はすでに、原発や戦争がもたらす悲劇がどのようなものか学んでいる。
失ったものはもう二度と戻ってはこない。笑って済まないものだと知っている。
だから私は大切な日本の大地や、日本人が苦しんだり壊されていくのをただ指をくわえて見ているわけにはいかないのだ。
宗主国様の言いなりになる政府に騙されて自滅するほうに加担し、無知無関心、現実逃避ばかりの日本人など滅んで当たり前だが、私はそれを出来る限り阻止したい。大切なものを守りたいのだった。
これは私の感情論であり、意地なのだ。
私はちっとも論理的ではない愚か者なのだ。
権力が憲法を守っているから私たちは平和でいられたのに、それを守らなくなったらどうなるのか。分からないほうも問題があるだろう。
すでに原発は爆発してしまったし、日本は戦争をする国になるだろう。
私たちにはもう夢も希望も、何も無い。
私は今まで、金を稼ぐため以外に何の役にも立たない作業や、チャリに乗るとか、くだらないことばかり夢中になっていた自分を恥じる。
平和なときにこそ無関心にならず、人間は性悪で怠惰なものだと肝に銘じて、常に社会が悪化しないように気をつけておくべきだった。
まったく・・私は何の役にも立たないクズだったなぁ。
私は傍らにいる愛機『クレイジィ・エンジェル』を愛おしそうな眼で見た。
強烈な西日を浴びて、シャンパンゴールドに輝くチタンフレームが眩しい。
愛機よ・・俺の旅に付き合ってくれてありがとう。俺たちはいつまでも一緒だね。俺の人生には何の意味も価値も無かったけど、こうして長野に来ることが出来て、すごく幸せなんだよ。
愛機よ・・暑いし疲れたろう?
俺も疲れたんだ。
なんだかとても眠いんだ・・愛機よ・・。
何だか、美しい賛美歌と鐘の音が天から降ってくるようであった。
私はその心地よさに身をゆだて、静かに眼を閉じる。
『大丈夫ですか!プラカード持ちましょうか!!』
やたらと元気なおばはんが、私の手からプラカードを取り上げると、嬉しそうにそれを両手で掲げた。
はっ・・!危ねえ!!
危うく天からお迎えが来るところだったぜ!!
私は両手で愛機を支えて、前進した。
確かに、今は夢も希望も愛も無い。
ちっとも平和ではない世界である。
だけどね、無いのならこれから創ればいいのさ。
私たちはこれまで何度も過ちを繰り返し、不毛な戦いをしながら生きている。
それでもなお、同じ失敗はもう繰り返さないと誓う。
私たちは絶望から逃げず、それを乗り越える勇気を失くしてはならないのだ。
私は思うのだ。きっと、そんな勇気の中から平和や愛が生まれるのだと。
<つづく>
今回のエンディングテーマ!『愛という名の勇気』
https://www.youtube.com/watch?v=Ud_6Mg2xylM
そのすべてが夢幻なのだとしても!の巻
毎週金曜日の夜、国会前は戦争法案に反対する人々が押し寄せてきて声を上げ続けており、ただでさえ暑い日本の夏が、さらにヒートアップしているようだった。私もその気温上昇に一役買っているひとりなのだが。
『憲法を無視する総理はいらない!戦争法案は廃案だ!!』
周りにはプラカードを掲げた親子連れや、若者の姿が見える。
以前は、私のようなくたびれ果てたオッサンばかりだったというのに、本当に最近は流れが変わってきたなと感じる。
職場でも『お前は今日、国会前のデモに行くのか?お前のやっていることは正しい!頑張れよ!!』と声をかけてくれたり、市民運動に理解を示す人も増えてきた。
もちろん、『デモなどくだらねえ!バカじゃねえの?どうせ何も変わらねえよ!俺は野球を見に行くぞぉ!!』という先輩もいるが、それでいいのだと思うし、私はそんな先輩が実に人間的で愚かしくて可愛らしいと思う。
確かに先輩の言うとおりだと思うし、私から見たらデモも野球も・・
・・人間のやることなどすべて下らない。
戦争法案は明らかに憲法違反だが、日本国民じたいはどうなのか?
日本国憲法の前文に『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・』
とあるのだが、実際には『原発が爆発しようが、日本が戦争する国になろうが、知ったこっちゃないし、子供の未来など超どうでもいいので、チャリに乗ったり下らないことばっか夢中になる事を保持しようと決意した・・』の間違いじゃねえのか?
平和憲法は平和を願う人たちの思いによって支えられているのだ。
無知・無関心・現実逃避ばかりの日本人にはもはや、何の意味も価値もあるまい。もう自分の好きな事をやればいいのさ。先輩の言うとおりだ。
平和や愛などもすべては幻想。
どうせ人の世は虚無・・。
私は周りを見渡した。どうやら、ここに集まってきた人たちは諦めていないようなのだ。
『あまりにお金がかかり過ぎる新国立競技場に非難が殺到したから白紙にしたよな!じゃあ、戦争法案も白紙にしろ!!』
『国民は忘れっぽいから三連休の後はどうでもよくなってるみたいな事を言ったらしいな!忘れるかよ!何度でも抗議に来てやる!国民をナメるんじゃない!!』
日本は、自国の憲法よりも宗主国様との取り決めの方が上位になっており、さらに自滅党は宗主国様が作った政党なので、日本人の事など何とも思っていないばかりか、日本を戦争に巻き込むための法案を通せ。宗主国様のために日本を潰せ。と言う命令に従い続けているだけなのだ。
彼らにとっては、日本人が無関心でいるほど都合がよい。
だがすまないねぇ!!
俺はどうも、無関心ではいられないタチでね!!
私はまだ抗議が止まない国会前を後にした。
それにしても・・新国立競技場が一旦は白紙になったけど、オリンピックというのもわけが分からんな。
人が飛んだり跳ねたり走ったりするだけなのに、どうして何千億だかのスタジアムが必要なのか?何で巨額のお金が動く?
スポーツなど誰に見せびらかすものでも、見物するものでもなくて自分一人で満足する事に価値があると思うのだが・・。
2日後・・7月19日
私は箱根の旧道をピンク色の愛機で登りながら、ふと思った。
下らないことばかり夢中になるんじゃねえとか言っておきながら、舌の根も乾かぬうちにチャリ乗ってヒャッハーな俺って一体・・。
・・しかも、箱根は危険だとか言いながら、その箱根に来てるって・・。
私は『七曲』と呼ばれる難所で、自分のあまりのクズっぷりに頭を抱え込んでいたが、すぐに『ありのままの姿見せつけるぜ~♪』とか歌いながら、進撃を開始した。
そうさ!俺様はどうしようもない人間のカス!!
この地球に存在してはならない核廃棄物以下のゴミ!!
俺が悪いんじゃない!無関心なみんなが悪いんだいっ!!
みんながそうなのに、俺が悪いわけがないっ!!
所詮、これが人間という生き物なんだよ!!
私のようなバカなど見たくもないと言うかのように、霧で姿を隠してしまっている芦ノ湖の小波をただ眼で追っていると、観光客のお姉さんが話しかけてきた。
『うわっ!すごい全身ピンクですね!
・・お!原発に反対ですか。もしかして福島からいらっしゃったんですか?』
おっと、イケねえ!うっかり愛機に貼りつけてある変態なプラカードを見られてしまったようだ。
『いや・・東京からですわ!!』
やはり、『福島の原発事故は<福島だけの問題>』だと思っているのだろうか。関東だって福島と変わらないくらいに汚染されてしまっているのだが。
私は今日は大人しくしていてくれた箱根の山に感謝して、灼熱の静岡県へと下って行った。
静岡県由比の町・・私は名物の『桜えびのかき揚げ丼』を食らっていた。
こんなに美味しいかき揚げ丼も、東海地震が来て、浜岡原発が爆発したらもう食べる事が出来無くなってしまうのだ。
静岡県はあまりにも長大で暑かった。ジュースや抹茶ジェラートを貪るように食っていても、すぐに身体が干上がってしまう。
私はたまらず、お茶屋さんに入ってお茶を頂く事にした。
しばらく休憩してお金を払って立ち去ろうとすると、店主は『お金などいらん!もっとあげるからボトルを持ってこい!』と言うのだった。
冷たいお茶を入れたボトルを装着した愛機が、静岡の街中を行く。
それにしても、日本のお茶は本当に美味しいものだ。
TPPで日本の食文化が破壊されてしまうなんて、実に惜しいことだ。
さっそく、ボトルに入ったお茶を飲むと、何故だか疲れが飛んで、ペダルが進むのだった。はて・・お茶にこんな効能はあったのだろうか?
他者をいたわる人の優しさというのは、こんなにも心身が癒されるものなのだろうか?
真夜中になっても、私はまだ静岡県を走っている。
すぐそこに浜名湖が見えるはずだが、真っ暗でもちろん何も見えない。
『こんな所を走るヤツは珍しいな!どこまで行くんだい?』
コンビニで休憩していると、地元のおっさんが話しかけてきた。
『国道1号線がつまらないので、山を突っ切るコースで行こうかと思いましてね。明日の午後4時までに京都まで行きたいのですが。』
『へー京都まで!それにしても国道301線は山が大変だぞぉ!?俺も昔は自転車に乗っていたんだけど、バカバカしくなってもうやめた!!』
おっさんが舌を出して笑ったので、私も爆笑した。
『それは正しいですね!自転車などバカがやることです!!』
お互いに『気をつけて!』と言い合い、私は山奥へと突き進んでいった。
愛知県つくで高原の朝は、巨大なヤブ蚊が耳元を飛ぶ音で始まった。
道の駅のベンチで死んだように眠っていた私は飛び起きて、すでに食われた脚をボリボリかきむしりながら愛機に乗って、白く爽やかな霧が立ち込める道を走ってゆく。
豊田の市街地に入ると、地獄の釜で茹でられているような暑さが始まるのだった。
午後4時までに京都か・・ソイツぁ、どうやら無理だな・・今回は名古屋で良しとするか。
私は暑さでボヤけて見える丘陵地帯を越え、フラフラになって名古屋の街へと向かって行くのであった。
PM4:00
私は名古屋市内にあるスーパー銭湯に避難して、ヤバイくらいにだらけていたのだが、近くの公園へ向かうために支度をした。
灼熱の外気温に触れると、控えめに言っても死ぬほど暑かった。
こんな日は海かプールに行くか、冷房の効いた部屋でゴロ寝しながらエロ本を読むに限る。
しかし・・公園に行くと彼らは居た。
戦争法案に反対する幟やプラカードを掲げた市民がそこにいた。
名古屋だけではない。私の住む東京や行こうとしていた京都など、日本中の人たちが立ち上がっていた。
三連休で忘れていないばかりか、その最中に声を上げ動いていた。
自滅党の人が言った、『国民は三連休で忘れるんじゃないか?』とは・・
実は、『どうか忘れないでくれ!俺たちを止めてくれ!』というメッセージなのではないのだろうか。
ああ、止めてやるよ。
私たちには何としても守らなくてはならないものがある。
それは憲法だとか民主主義だとか立憲主義だとかいうものではなく、もっと根本的なものだ。
例え・・平和や愛などすべてが夢幻。
人の世が虚無なのだとしても。
東京からピンク色の変なチャリでやってきた旅人と共に、デモ隊がうだるような暑さの名古屋の街へと踊りだしていった。