さよならにさよなら!の巻【後編】
10月12日
木々の間から差し込む眩い光が、質量さえも感じる濃厚な空気の中をオーロラのように揺らめいて、まるで変態の神様が目の前に降臨してきたような、凛然とした雰囲気に包まれていた。
湿った路面に散らばった、小判のように輝く木漏れ日を踏みながら、名前も知らない峠道をピンク色のロードレーサー<クレイジィ・エンジェル>が行く。
「樹海ライン」と言われている、この道の上り坂はいつまで続くのか、ふと不安になって後ろを振り返ると、今まで上って来た峠道と出発してきた麓の町がずっと遠くに見える。
峠道は時に息もつかせぬほどに険しく、車が行き違いも出来ないような隘路もあり、工事中の部分もあって時に穏やかでもあった。
何だか、今まで自分が歩んできた人生のようである。
そしてなぜなのだろう?いつも誰かが私を守り、背中を押してくれているような気がするのは・・。
坂の頂上には、この峠の名前が記された標識があった。
・・ほう!お前の名は<枝折峠>というのか。可愛くて良い名だね。
反対側からロードレーサーに乗ったおねいさんが息を切らせながらやって来て、『ここが坂の頂上ですか?』と聞いてきたので、私がそうですよと答えると、おねいさんがあまりにも開放感あふれる顔で笑うので、私もつられて笑ってしまった。
自転車ばかり夢中になるべきではない。とはいっても、この楽しみはしばらくはやめられそうになかった。
でもそのうち、部屋の片隅でくたびれた・・というより満足して眠るように佇む愛機を眺めて、コイツと走りぬけた日々を懐かしむ時がやってくるのかもしれない。
なぜ人には時間の概念があるのか。
なぜ失ったものはもう戻らないのか。
なぜ過去を懐かしんだり悔んだりするのか。
私はちょっとだけ分かってきたような気がするよ。
過去・未来・昨日・今日・明日・・人は日々精進するために、実際にはありもしない時間の概念を持つ。
人が過去を感じる事が出来るのは、よりよき未来を生きるためなのだ。
・・失ったモノがいつでも戻ってくるようになったら、もうモノを大切にしなくなると思う。
だから大切なモノを失わないために、失ったモノはもう戻らないのだ。
残念な事に大切なモノを失ってしまったとしても、今度はその分、他のモノを同じくらい大切にしてあげればいいじゃないか。
過去を懐かしむのは、その思い出が本当に素晴らしいものだったから。
例え、何かに躓いてしまっても後悔ばかりに心を奪われず、楽しかった時を思いだし、もうちょっとやってみようと勇気を奮い起す事が出来る。
過去を悔むのは、もうこれからは悔まないようにするため。
・・何か失敗をしても悔む事がなかったら、何度も同じ過ちを繰り返してしまうだけになるだろう。
だから過ちを人生の糧として立ち上がるために、人は悔む事が出来るのだ。
晩秋の青空と色づいた山々のコントラストが見事な「奥只見湖」に到着し、私はバス旅行の人たちと一緒に景色を眺めて見惚れている。
フッ・・いくらこの景色が美しかろうと、自分が美しくなるわけじゃあるまいし。
そもそも、綺麗な自然を守るためには、人がやって来ない方が良いのだ。
本当に自然を愛するのであれば、そうっとしておくのが良い。
せめて空気を汚さないように、こうして自転車で走ってくるしか・・本当、俺の人生って何なんだろう?一体、人は何のために産まれてくるんだろう?
人生ってやっぱり修行なのかもしれないなって、私は思うのだ。
きっと、人生とは無意味なのだという事を受け入れ、今より少しでも良くなるように・・意味あるものにするために考え行動し続けること。
修行に終わりなどはない。そして気が付いたらきっと、ほんのちょっとだけ良くなっているのさ。
奥只見湖を取り囲む峻険な山々を、錐で一筆書きにえぐったような、細くギザギザとした道を上ったり下ったりをひたすら繰り返す。それがあまりにもドラゴンボール的修行すぎた。
ようやく湖から離れてヘロヘロになりながら、ポツンとある畑の横を通り過ぎていくと、農家の人に呼び止められた。
『おう!自転車の人!頑張ってるね!!腹減ったろう?何か食わしてあげるから、休んで行きな!!』
私はテーブルについて、農家の人に畑でとれた野菜とご飯を御馳走になっている。
それにしてもこの・・人の優しさって、どこから湧いてくるのだろうか?
この人たちにはあるのに、どうして私には無いのだろう・・。
農家の人たちに背中を押され、私は尾瀬へ向かう坂を上り続ける。
私はもうへとへとで呆けた表情を浮かべ、尾瀬御池のロッジで牛丼を食っていた。それにしても、『遥かな尾瀬、遠い空』にもほどがある!!
せっかくだからこの先の尾瀬が沼まで行けばいいのに・・と思うかもしれないが、今回は時間が無い。
いや・・そもそも私は、自然の奥地へ行こうとか思わないタチの男である。
平気で遠くまで自転車で行こうと思うのに、自転車で行けないような奥地まで行くのは躊躇われる・・というより単にめんどくさいだけなのか(笑)
ま、尾瀬は『滅多に行けない神聖なる場所』ということにしておきたいのさ。
黄金色に燃えたつ炎のごとく紅葉した木々のアーチをくぐり、ピンク色の愛機は哀愁を漂わせながら坂道を下ってゆくのだった。
国道の別れ道から上り坂になって、よろよろと走っている途中、台風の影響なのか道路が川に崩れ落ち、仮設の道路が敷かれているところがあった。
私はかつてボランティアに行った東北や栃木の被災地の事を思い出す。
もしかしたら、まだ私に何か出来る事があるのではないか?だとしたら、そのうちまた手助けをしに行かにゃあならんなぁ。
太陽が山の向こうに落ちて、どんどん夜の闇が浸食してくる頃。
今回リンコーして帰る、会津高原尾瀬口駅に到着した。
プラカードが貼ってある変なロードレーサーも、帰ったら洗車してやらないとな。私は愛機に御苦労さんと声をかけながらリンコー袋にしまう。
それにしても、私がこんな変な愛機に乗ったり、市民運動に参加して声をあげたりするのも、ずっと前にさよならした祖母と祖父の影響が強いのだろうな。
祖母たちは、事あるごとに『戦争なんてもう懲り懲りだよ。お前に同じような思いはさせたくない!』って言っていたよ。
だから、私はその言葉を受け継いで『かつて祖母たちを苦しめた戦争を、またこの国にさせてはならん!未来を生きる子孫に同じ思いをさせてはならん!』と思うようになったのかもしれない。
ねえ、ばあちゃん・・じいちゃん。
今もきっとすぐそばにいてくれて、俺の背中を押してくれているんだよね?
いつも俺を守ってくれているんだよね?
そもそも、『さよなら』なんかしていないんだよね?
もう会う事は出来なくても、姿は見えなくても、想いは受け継がれる。
だから・・『さよならにさよなら』なのだ。
『明日』というのは、単に時計の針が0時を過ぎた時のことをいうのではくて、昨日までの経験を生かして、希望を明日につなげることを言うのだ。
『過去』があるから『今』があり、そして『未来』につながる。
だから、過去の事も、今起こっている事にも、これから起きようとしている事にも、勇気を持って立ち向かわなきゃダメなんだ。
そうすることで私たちは、ようやく明日を迎えることが出来る。
未来は・・希望は広がっているのさ。
ほら・・すぐ目の前にね!!
<おしまい>
今回のエンディングテーマ!!
『さよならにさよなら』
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=hz_w5xidFWQさよならにさよなら!の巻【中編】
10月11日
日本海沿いの国道8号線を行きかう、自動車のドライバーの視線を感じながら、私はいつものようにパンク修理をしていた。
ちょうどパンク修理がしたくなってたところなんだぜ!!
自転車はパンクするから素晴らしい!
そしてその場ですぐ直るところも素晴らしい!!
・・と気丈に振る舞っているのだが嘘である!!
正直心が折れそうであった!!
さらに楽しみにしていた、「8番ラーメン」がどこにも見当たらず、北陸の友達にメッセンジャーでどういう事なのかと尋ねると、「新潟側には無い(笑)」という答えが返ってきて、もう二度と立ち上がれないくらいにへこたれた。
しかし、いつまでもこうしては居られない。天気予報ではこれから天気が悪化するようなので、私はさっさと修理を終えて発進した。
愛機をとめて日本海を眺め、『綺麗な海と美味しい海の幸!』という看板を見ると、思わずため息が出る。
私も長年、人間という生き物を観察してきて良く分かったよ。
人間は、その綺麗な海と美味しい海の幸を大切にしよう!とは思わない。
モノだろうが、自分の子供だろうが自慢だけはしっかりするが、その後はどうでもいいというのが人間なのさ。
柏崎の海浜公園に到着し、テントが張ってある受付で著名運動をしながら、受付のおばちゃんに尋ねた。
『あのー・・柏崎刈羽原発って、あの煙突がいっぱい立って光ってる奴っすか?ホント、すぐ近くにあるって感じっすねー・・』
私が海岸線に見える不気味な施設を指差すと、おばちゃんはこともなげに答える。
『うん。あれがそうよ!まるで敵に狙って下さいと言わんばかりだよねえ。』
実は、政府は原発が攻撃された場合、最大で1.8万人が犠牲になるという試算をしていたのだが、反対運動が活発になるのを恐れて黙っていたのだ。
つーか、なんでこんな遠くから首都圏に送電しなくてはならないのか・・?
自転車で走ってきた私が言うのだから間違いないが、かなり遠いぞ?
・・それはこの原発があまりにも危険だから、首都圏には建てる事が出来ないからである。すなわち、原発が建っているこの地は犠牲になっても良いという判断なのだ。
そもそも、原発は必要なのか?今までの人生で一番暑かったと思う、今年の夏でさえ、原発無しで電気は十分足りたというのに。
石油が輸入できなくなった時に備えて?いやいや、石油が無くなったら、外部電源で動いている原発も動かなくなるだろ。さらに化学製品も作れなくなるので、そんなに電気が必要なくなる。核燃料であるウランだって輸入してるうえ、埋蔵量も石油の数分の一しかないのだぞ。
じゃあ、なんで政府や電力会社は必要だと言い張るのか?
それは日本政府が目論む核武装のためと、電力会社の帳簿上の問題でしかないのだろうか・・。
ところが『日米原子力協定』というお約束により、日本の原発は宗主国様の許可を得て言うとおりに動かす事になっており、日本が決めていいのは電気料金だけだそうである。なんだこりゃ?
つまり、これは日本の原発は<日本のため>というよりも、<宗主国様や他の国の核兵器の燃料を作るため>の工場なのではないのか。
宗主国様のために原発で働く人たちが放射能にまみれるばかりではなく、日本全体が核のゴミまみれになり、放射能汚染や『食べて応援』による内部被ばくによって、健康な子供が生まれなくなってしまう。
福島の原発事故が起こってから、この国では甲状腺がんになる人が通常の300倍になり、白血病になる人が昨年の7倍になってしまった・・。
人が近づくと20秒で死んでしまい、無毒化するまで何十万年もかかるという核のゴミ、どうするのかねマジで。
未だに収束できない福島の原発事故で発生し続ける核のゴミや、汚染水はどうすんのかね?・・もうどうしようも出来ないんだろうが。
原発再稼働などもってのほかだし、徹底的にいらねえじゃん。
私は『なくそテ原発!柏崎大集会』という横断幕が張られたステージのある、ドーム状の会場内に入り、座れそうな所を探したが『○○地域のみなさん』と書かれたプラカードが立っているばかりである。
『東京からチャリで走ってきた頭がおかしいみなさん』の場所が用意されていなくてチト残念である。あ・・俺だけか(笑)
私は空いているところにテキトーに腰を下ろした。
集会が始まり、福島から新潟に移住してきたというお母さんのスピーチが始まった。
平和に暮らしていた場所が放射能汚染されて危険だと知り、旦那さんは家族だけを新潟に移住させ、自分だけ福島に残り仕事をして、週末は新潟に家族に会いに来るそうである。また福島に帰る時、子供がお父さんと別れたくないと泣き喚くのだ。安全だとされていた原発が爆発し、家族がバラバラになるとは思ってなかっただろう・・それにしても、ずいぶん優しい旦那さんだな。
私は他人の立場になって物事を考える事が出来ない鬼畜なので、自分がそんな立場になったらどうしようかと考えた。
すると・・目に大量のゴミが入ってしまったらしく、涙が滂沱と溢れて止まらなくなり、ポケットティッシュがあっと言う間に無くなった。ちらっと周囲を見ると、他の人はハンカチを目に当ててすすり泣いている。
スピーチしているお母さんの声が途切れ途切れになり、どうしたのかと思ったら泣いてしまっているのだった。
次に登場したのが、福島原発告発団の人だった。
放射能汚染されている地域を安全と偽り、住民を戻し賠償金を打ち切ろうとするなど、福島で何が起こっているのかを淡々と語る姿に、私は自分が無関心であり続けていることが恥ずかしくなった。
原発がぶっ壊れる以前も平和だと思い込んで幻想の中に浸っていたことを悔み、また目にゴミが大量に入ってしまったらしく、涙が出てきた。
自転車なんぞに乗って、キモいバカ顔浮かべて遠くへ走って行ったり、峠に行ったりしてばかりのクズすぎる自分を、思いっきりぶん殴ってやりたい。
怒羅衛門~!野火多よりもっとダメでバカなボクちんを助けて~!!タイムマシーンで過去に戻って人生やり直させてよ~!!
最後に登場したのは、『制服向上委員会』という、テレビで見た事の無いアイドルグループであった。
『よくサヨクとかウヨクとか言われますが、私たちは‘清く‘です!!』
私にはサヨクだのウヨクだのというのは、ただのレッテル張りにしか思えなかった。
私には、原発やTPPを推進して日本の大地を破壊し、私たちから自由と権利を奪い、『国家総動員!一億玉砕!』とかいって、日本をまた戦争へ引きずり込もうとする勢力と、原発をやめさせ戦争を防ぎ、日本の清く美しき山河と、子孫の未来を保守しようとする人たちの戦いにしか見えなかった。
『OH!ずさんなその政治♪諸悪の根源!自滅党~♪』
こんな権力に逆らいまくりなの歌ったら相当叩かれるだろうが、それでもめげないとは、ずいぶん勇気のあるアイドルだな。
しかし諸悪の根源は、自滅党ではなく、本当は無関心だった私たちなのだ。
何でも人のせいにしちゃダメなのさ。
物事の原因と解決する方法は自分の中にしかない。
変える事が出来るのは自分だけなのだ。
わざわざ東京から自転車でこの集会に参加しに来た甲斐があったよ。
こうして抑圧に屈せず、自分たちの生活や子供たちの未来を守ろうとする人たちの姿を見ていると、何だか嬉しくなる。
もしかしたら、これが本来の人の姿なのかもしれない。
人にはなぜ時間の概念があるのか。
なぜ時間は戻らないのか。
なぜ人は過去を懐かしんだり悔んだりするのか。
なぜ失ったモノはもう返って来ないのか・・。
怒羅衛門に頼らなくても、自分たちで何とかする。
・・だって私たちが怒羅衛門なのだから。
悪天候のため、集会の後のデモ行進は中止になったので、私は雨に濡れながら柏崎の駅に向かった。雨の中、エロマンガ喫茶がある小地谷まで自走で行くのがダルいので、リンコーするのだ。私はテキトーだからね。
駅前で愛機を分解していると、元気なガキんちょたちが叫びながら走って行く。
『お前、原発反対か!?』
『当たり前だろ~!!』
私はそれを聞いて驚いた。自分がガキの頃は、そんなおぞましいモノがあるなんて知らなかったし。
・・俺もだよ。だから、俺たち大人がお前たちの未来を守るのだ。
私は立ち去って行くガキんちょを見て微笑むと、愛機を担いで、電車に乗り込んだ。
<つづく>
さよならにさよなら!の巻【前編】
10月10日
笹子トンネルの出口から飛び出してきた、ピンク色のロードレーサーが弾丸のように下り坂を駆けてゆき、国道20号線沿いにぶどう農園が軒を連ねる、山梨県の勝沼に入る。
ウム。ちょうど腹が減ってきた・・。
ぶどう農園のテーブルで、美味しいぶどうにむしゃぶりついていると、農家のおっさんが私の変なロードレーサーをしげしげと眺めている。
『STOP!TPP・・原発はいらない!か。君はみんなに関心を持ってもらうために、このプラカードを貼った自転車で日本中を行脚してるんだね。それにしても、TPPはもう合意しちゃったみたいだし、どうなるんだろうねぇ?』
農家のおっさんが話しかけてきたので、私はジューシーなぶどうを飲み込みながら答える。
『このままTPPが合意に持ち込まれたら日本の農業は壊滅します!!新潟の原発が再稼働して爆発しちゃったら、放射能汚染でこの辺一帯の畑も全滅ですね。この美味しいぶどうだって食べられなくなちゃうし!!
ちなみに、TPPは<大筋で合意>というだけで、完全に合意したわけじゃないんです。アメリカや他の国でも反対している人がたくさん居るんですよ。
テレビの誘導で諦めさせる作戦なんでしょうけど、騙されちゃダメです。戦争法案の採決も本当は無効なのに、成立した事にしやがった!日本の未来を守るために、これからも反対の声を上げ続けるべきっす!こんな当たり前のことが出来なければ、俺たちはお終いです!!』
このTPPによって安い農産物が流入し日本の農業が追い込まれて、ただでさえ低い食料自給率が、さらに低下させられてしまう。さらに毒性のある遺伝子組み換えの食品や種、それとセットになっている猛毒の除草剤を押しつけられ、人も大地も破壊されてしまう。
でも本当に恐ろしいのは、この条約に含まれている、日本を宗主国様やグローバル企業が思い通りにするための毒素条項である。
憲法があるからそんなに怖がる必要はない?
協定や条約が憲法より優先されるなんてあり得ない?
本当にそう思うか?実際、憲法より優先される日米地位協定によって、日本は法的に宗主国様の植民地だし、日本政府は憲法を守らず戦争法を成立させただろう?
このTPPは日本政府が自ら進んで、私たちを宗主国様に売り渡しているのだ・・。
これが『自発的隷従』とかいう奴なのか。教育と習慣によって理不尽と戦おうとする勇気を無くし、心が卑屈で無気力になり自ら進んで自由を投げ出すようになるらしいが、日本人はそんな人があまりにも多すぎる・・。
私はぶどうを食い終わり、『ごちそうさま』とおっさんに言い残すと、プラカードを貼り付けた変なピンク色のロードレーサーに乗り込んだ。
他人に興味を持ってもらうため・・いいや、それよりも自分が他人に流されて無関心になってしまわないためなのだ・・。
農園の人たちが、『気をつけてね!』と、笑顔で手を振っている。
私も手を振り返し、何度走ったか分からない国道20号線を走り始めた。
私は色づいた街路樹の並ぶ遊歩道の、落ち葉の上に腰を下ろして諏訪湖を眺めて、ママチャリで初めてこの地にやってきた時のことを思い出していた。
この国は破滅するだろうから、今のうちにたくさん走っておこう!
・・とか、思っていたら本当にその時が来るとは。
どうやら『すべてにさよなら』が迫ってきたようだ。
できる事なら、お気楽に楽しく走っていられたあの頃に戻りたい。
なぜ時間は過ぎるのか。
なぜ時間は戻らないのか。
なぜ失ったモノは返って来ないのか。
いいや・・きっと『時間』なんてものは存在していない。
『時間』なんてものを気にするのは人間だけだ。
過去も未来も無い。あるのは『今』だけなのだろう。
じゃあ、なんで人間は『時間』など気にするのだろう?
なぜ私のように、過去を懐かしんだり未来に不安を抱いたりするのだろう?
なぜ私たち人間は生まれてきたのだろう?
私はシャッターの降りた、道の駅『小谷』で休憩していた。
この先は糸魚川まで下り坂だが、洞門と呼ばれている真っ暗でおっかないトンネル状の道路が続くのだった。
だけど、お前がいれば大丈夫だ!!
なあ・・<クレイジィ・エンジェル>よ。
ヘッドライトを煌めかせ、<狂った天使>が闇夜を切り開いて洞門の中を疾駆する。
大地震が来ると、ここを境に日本列島は真っ二つに割れるという、フォッサマグナの西縁を走って行くと、あっと言う間に日本海である。
丸一日走っているのに、あっという間とか・・本当に時間の感覚なんてテキトーだな。
無事に糸魚川に着いたのはいいのだが、今夜泊まろうと思っていたエロマンガ喫茶の営業時間が、午前0時までに変更されてしまっており、入店する事が出来ない。
私は仕方なく、24時間営業のエロマンガ喫茶がある直江津の方へと走り始めた。
つーか、俺は何やってんのかな?
そんなことを問いかけても、真夜中の日本海は何も答えてはくれず、何も見えない暗闇からは、寂寥とした波が砕ける音だけが聞こえてくる。
<つづく>
たそがれ三浦半島!の巻
10月3日
『アハハハ。何度見てもブラック上官のそのジャージ?初音ミクみたいで超ウケますわぁ。ヽ(´▽`)/』
『全身ピンク野郎のお前に言われたくねえ!!』
最高の秋晴れの空の下、最高にカッコ悪い2人組が三浦半島の観音崎で海をバックに写真を撮ってもらっていた。
写真を撮ってくれているお兄さんも何だか顔が引きつっており、今すぐ大爆笑してえという衝動を必死に堪えているようであった。
チクショー・・<あの男>がジャージをデザインするとロクな事にならねえ・・などとブツブツ呟いているブラック上官なのだが、まんざらでもなさそうなのは気のせいだろうか?
ちなみに<あの男>というのは『メガネの上官』という男の事なのだが、私も今日まで知らなかったけど、変なモノを考える事に関しては人知を超えたセンスを発揮するようである。
是非とも東京オリンピックのエンブレムもデザインしてもらい、計画すべてをオジャンにして欲しいものだ。
・・それ以前に、何だか昔みたいに開催されずに戦争突入しそうだけど・・。
ジュースを飲みながら青空を見上げると、メガネの上官がキラーンとメガネを輝かせている姿が浮かんだ。
私とブラック上官の2機のロードレーサーがのんびりと海風を受けながら海岸線沿いの道を走っていると、私の脚がたるんだ自分の腹にぶつかる。
クックックッ・・鍛え上げたぜい肉が唸るぜ。
ゴロ寝したりお菓子を貪り食ったり、散々苦労して作ったぜい肉をタプタプ言わせていると、何だか必死こいて走ってくるロードレーサーの群れとすれ違った。
・・そんなどうでもいい事に必死こいている場合じゃないだろう・・。
ニュージーランドの詩人が、『日本人は何もしない為なら何でもする』と言ったらしいが、まったくその通り過ぎるな。
ここ久里浜には原発で使う核燃料を作る工場があって、その核燃料が新潟県にある原発へと輸送されたのだ。
川内原発に続いて動くのか・・柏崎刈羽原発が。
すでに爆発している福島の奴に加えて九州の奴、そして新潟の奴も爆発したら、東京は十字砲火食らいますやん。
すでに終わってる日本にトドメが刺される日も近いな。
静かな漁港のすぐ近くにある食堂で、私とブラック上官はちょっと遅めのランチを食らう事にする。
良くありがちな有象無象と同じく、SNSにランチのどうでもいい写真をアップしてニンマリし、野獣のように食らう。
その後、私たちは漁港で水面にゆたう陽の光を眺めてたそがれていた。
ああ・・もうじきTPPが合意に持ち込まれる。
あれにはISD条項、NVC条項、スナップ・バック条項、ラチェット規定という、日本を宗主国様に丸ごと売り渡すためのカラクリが仕掛けられているのに・・。
すでに終わっている日本にトドメが刺されて、さらに八つ裂きにされる。
私は何だか寂しげな、ブラック上官の背中に語りかけようとすると、彼は衝撃の言葉を口走った。
『おかしいなぁ?なんで♀が居ないんだろう・・。』
ブラック上官は、たそがれ清兵衛というか・・
どうしようもねえ、たそがれ助平衛であった!!
私はその言葉を聞かなかった事にし、先に行こうと促し城ケ島へ向かった。
帰路につく2機のロードレーサーが茜色に染まる。
今日も楽しくて下らなかった1日が終わり、明日もまた楽しくて下らない1日が始まる。だが、数年後となると分からんな。ちっとも楽しくないかも知れないし、この国はもう無いかも知れないな。
特定秘密保護法、マイナンバー制、TPP・・
ひょっとすると、この世はワンワールド政府によって支配されるディストピアになっているのかも知れない。
そうならないためにも、目先の楽しさばかりに捕らわれてはいけないのだと私は思う。かといって、ウンザリするような現実にばかり捕らわれてもいけない。
うむ・・来週の3連休は日本海に沈む夕陽を見に行こうかな。
この世に生きるすべての生物を慈しむような優しい希望の光を残して、静かな海に陽が沈む。
私たちはその様子を横に見て、明日の風を感じながら、たそがれ時の海辺を走る。
絶望という名の希望!の巻
9月21日
シルバーウィークも真っ最中だし麗らかな秋空の下だし、ロードレーサーだってびゅんびゅん行きかっちゃう感じの江戸川サイクリングロードなのだが、どこから来たのか御苦労さんねって感じの、荷台に荷物を満載した重苦しいママチャリがノロノロ走っている姿があった。
コイツには変速機もない、サイコンもない、坂道上れない、スピードも出ない・・ないない尽くしで、まるで私の分身のような奴である。
まったく私は本当に何もできないクソ無能だった。
ワンコを連れた親子連れの姿を見て、ワンコを見て微笑むことはできるが、ガキんちょの顔はもう直視できなかった。
彼らにはもう未来はない。
いや、『何もない』ならまだマシだ。
何しろ、権力の暴走を縛るための憲法が強引に破られてしまったので、もう何でもありだ。待っているのは、人としての楽しみや自由、権利も奪われ、強い者にやりたい放題虐げられ続けるだけの生き地獄である。
私はあの戦争法の強行採決のシーンを見てゾッとしたよ。こうなる事は分かっていたが、現実となってしまうと心底寒気がする。
あれは無効だろ?それなのになぜ成立した事になってしまうんだ・・。
ああ・・本当に終わるんだな・・。
ガキどもよ!!本当に申し訳ありませんでしたぁぁ!!!!
社会を守るために、大人は一生懸命仕事してるんだぞ!とか嘘です!!
テメエのくっだらねえ欲望のために仕事してお金稼いでるだけでしたぁ!!
今まで築き支えてきたものはすべて!ガキどもの未来を破壊する元になってしまったッッッ!!悪いモノを正そうともせず何も考えず無関心で強い者にヘーコラし続けるゴミ人生でしたぁぁぁ!!
俺たち大人は、なんんん~~の役にも立ちませんでしたぁぁぁぁ!!
これにて日本は終の了でございますぅぅぅ!!!
私は自転車道の脇にあるベンチにだらしなく座って空を見上げていた。
嗚呼、あの青空の向こうに・・このまま自転車で、戦争法も原発もTPPも残業代ゼロ法案もマイナンバー制もない世界に流れて行きたいぜ・・。
これからやってくる超増税。そして新たに加えられるだろう税金・・携帯税、贅沢税、死亡税、空気税、うんこ税、屁税、変態税、ゴロ寝税・・
さらに正社員など廃止にしちゃって、みんな派遣にしちゃう。
とほほ・・貧困の果てには経済的徴兵制とか原発の作業員が待ってる。
うーん・・美しい日本を取りもろふ。
しかしこうも考えられないか。
『もう終わりだ』ということが確実であると、もう何も頑張る必要が無い。
実に気楽でいいじゃないか。
『絶望という名の希望』
ふふふ・・あはははは!!私は自転車道から見える、今にも雲で塞がれてしまいそうな夕陽を見て声をあげて笑った。
次は10年後だという、どうやら日本最後となるだろうシルバーウィークを楽しむとしよう。私は麦わら帽子をギュッと被り直し、愛機を走らせて行った。
翌朝。
逞しき質実剛健な漆黒のボディーを朝日に輝かせながら、ママチャリ『ブリブリはやぶさ号』が栃木市にある災害ボランティアセンターに到着した。
私が毎晩、仕事終わりに国会前へデモに行くとか無駄で愚かな事をやっている間、こちらでは台風18号による被害を受けてしまっていたのだ・・。
受付を済ませ、積んできた長靴や安全第一なヘルメットを装着して準備万端である。今まで何もできなくて申し訳なかった!
今出来る人が、出来る時に、出来る事をする!!
さあ!お手伝いさせていただきますよ!!
参加者が広場に集まってブリーフィングが始まり、そして班分けである。
私は同じ班の、長野県から車で駆けつけたというおねいさんに話しかけた。
『あのー・・おねいさんとかここにいらっしゃる人たちは、なんでこんなに優しいんですかね?俺なんか自転車旅行のついでみたいな感じで来てる、良心のかけらもないクソ野郎なのに。』
おねいさんは、『え?私は優しいんですかね?』と、わけが分からないというように首をかしげた。
ボランティアは基本的に自己完結なので、現地まで自力で行かなくてはならない。私は同じ班の千葉からやってきたおっさんの車に乗せてもらう。
おっさんは、散らかっててすまんね。と言いながら、車内に無造作に放り込まれている登山用のロープやテントを片づけている。
『あれ!おっさん、山をやるんですか?この連休行かなくて良かったんですか?』
『うん。山に行こうかと思ってたんだけど、それどころじゃないから5連休はずっとここでボランティアをすることにしたんだ。』
何とこのおっさんは、被災地で困っている人たちを放って山に行っても楽しくないと言っているのだ。
きっとこのおっさんは、目の前の惨事を目にしながら『楽しさ』を追い求めることが虚しくなって、困っている人のことを我がことのように思い、不安でいっぱいになってしまうのだろう。
人の心を持たぬ外道である私には、この感情は一生かかっても分かりそうになかった。
午前は避難所となっている福祉センターでお風呂とトイレのお掃除をし、午後は民家へ流れ込んだ泥のお掃除に向かった。
それにしても驚くのが、頼まれてもいないのに門扉をピカピカにしてあげたり、わざわざ廃棄物の手続きをしてあげたりしているところだ。
なんでこんな泥まみれになってまで他人に親切に出来るのだろう?
人の世が悪くならないようにするためには、多少は人助けも必要だとロジカルに考えて行動するだけの私には、どうしても分からなかった。
無事に作業が終わり、ボランティアセンターで終了の報告をすると、せっかくだからみんなで銭湯に行こうという話になった。
もちろん行かせて頂きましょう!私の自慢のブヨンブヨンの腹を見せつけてあげましょう!!
そしてあなた方が何者なのか、心のうちも素っ裸にさせてもらいましょう・・。
私たちが向かったのはこれがまた、ドラマとかに出てきそうなほど見事な、昔ながらの銭湯である。
この銭湯は栃木市で唯一の生き残りらしいよ。と、那須から来た社長さんが言っていた。
『オレも昔は君みたいに自転車で走り回っていたよ。』と、湯船につかりながら社長さんが言う。私がこの夏に走った北海道のルートを話すと、彼は懐かしむように自分も同じところを走ったと教えてくれた。
私が、何でもう自転車に乗らないのかと尋ねると、自転車とか楽しみを追い求めることには満足したし、あとは自分に出来る事をやるだけでいいのだと言う。明日も仕事を終えたらまたここでボランティアをするのだそうだ。
彼のこの無欲さは一体何なのだ?
きっと私のように、考えて行動しているのではないのだな。
もはや困っている人を助けたいという純粋な『良心』そのものが行動原理になっているのだろう。
つまり私のように、自転車とか下らないことばかり夢中になってしまうのではなく、バランスを取るために他の事も考えるようにする・・とかではないのだ。
道理で私には理解できないわけだな・・。
『俺はあなたのような人を見た事がありませんよ。』
と私が言うと、やっぱり彼も不思議そうな顔をした。
次の日、超豪華エロマンガ喫茶を出発してすぐに愛機はパンクした。
こんなことはいつもの事で、自転車はパンクして当たり前。
ママチャリはパンク修理が少々めんどくさいが、そこがまたイイ。
だから可愛いのだ。私は粛々と修理を始める。
私たち人類の歴史もそう。すぐに道を踏み外し失敗ばかりだった。
失敗するのが人間なんだよ。だから人間は愛おしい。
今の社会がぶっ壊れつつあるなら、粛々と修理をするだけなんだよね。
私はバックミラーで走ってきた道を覗いて微笑む。
私の人生は良いも悪いもひっくるめて、実に楽しくて良い人生だった。
だがこのままでは確実に破滅するしかない現実から目をそらし、悪化の道を辿れば、これまで築いてきたものが無駄になる。
私たちが立ち向かうべきなのは、この世界であり他の何でもない。
この世界で何が起こっているのか、しっかりと向き合う勇気を持たなくてはならない。
確かに私たちはもう終わりに向かっているが、絶望というのは意味の無いことだ。すなわち絶望なんてものは、そもそも存在していないんだ。
破滅を回避するにはその原因を排除するだけという、実に簡単な事だ。
絶望とは希望の事である。
私は前を見据えた。そこには眩い光の中に一本の道だけがある。
人間にはどんな困難にも立ち向かう力があると、私は信じる。
そうすれば、いつも希望へと道は続いているのだ。
私は今日も力なくペダルをこぎ、何のとりえもない私の愛機は、ゆっくりと我が家へと帰ってゆく。
今回のエンディングテーマ!!『There will be love there-愛のある場所-』
https://www.youtube.com/watch?v=k79fQReO3uo