常々考えていて

執筆活動の礎にもなっていること

 

共感を得ることってのは

なにをとっても大事なことで

 

社会を形成することで

必要不可欠なもの

 

小説の主人公とか

登場人物って

読み手と違う世界に生きていたり

あり得ないくらいの逆境に立たされています

 

本来、中々共感されにくい

 

読んでいるうちに

もしかしたら自分の中にも

登場人物と同じ境遇になる可能性や

自分の中にも同じような感情が潜んでるかも

そう思わせることで

共感を広げていくんですよね

 

どうやってそれをするのかについて

まだ答えを見つけられているわけじゃないんですが

 

執筆しているときのイメージは

 

人を円と例えると

円の範囲を広げたり

別の円(要素)を足したりして

全体の円を広げていくんですね

 

何いってるんじゃと思うと思いますが

 

めちゃくちゃ簡単に言うと

 

 

 

まぎわのごはんでは

マスターを

医者+料理人

の二つの円を重ねることで

物語の深みを作ったり

医者を身近に感じさせるキャラを

作ったりしています

 

 

 

アンドクターでは

医者とクレーム対応事務員のバディーを作ることで

医者の円と事務員の円の重なり部分を

物語形式で深掘りしていきました

 

円を広げて縁を作る

これが小説では

結構有効な手法なんです

 

ただ、

現状の世界では

逆のことが起こっている

最近、とくにそれを感じます

 

最近話題になっている

LGBTQとかね

 

トランス〇〇って概念が出てきて

世間の中でのルール作りが

迷走と混沌を極めてきて

大変な状況になってきている

 

多分、言い出しっぺの人たちは

認知と共感を得るために

新たなカテゴライズを作って

世間に「こういう人たちもいます!」

って訴えてきたのだと思うんだけど

 

狭いカテゴライズを作ったら

一定の認知には一役買いますが

そのあとが大変なんです

 

他のカテゴライズを全部決めなきゃならないし

それぞれの違いを明確にして

権利をどこまで認めるかを決めなきゃいけないし

抗争も起こるし

 

多分ね

現在の世界線として

情報過多&流れていくのが早すぎる

から、カテゴライズ&ラベリング

ってのをしないと、

話題にもならないからだと思うんだけど

 

じゃあその結果

共感が広がる世界に繋がるかって言うと

 

やっぱり微妙オブ微妙

だと思いますね

 

まあ、私はせっかく

小説という、ゆるりやんわりじっくりと

共感性を追い求めていける手法を手に入れたので

 

独自路線でやっていきたいと思います

 

SNSはつかりすぎるとつかれますね

 

では