私の大好きな街、ヒロシマ。 | 楪望オフィシャルブログ「ゆずりはのぞみの今日も明日ものーんストップ!NON STOP」Powered by Ameba

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局アナを卒業し、この春からフリーになりました。
まだまだのーんストップで走ります♪

8月6日。
今年もこの日がやってきました。

広島に原爆が投下されてから72年。
8時15分、広島の方角に向いて、そっと目を閉じました。

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72年という月日は、日々目まぐるしく変わる今の世の中にとっては、遠い昔になっていっているのかもしれません。

ただ、それでも。
絶対に風化させてはいけない。

この想いは私の中で年々強さを増しています。

今年で被ばく者の平均年齢は、81.41歳になりました。
被ばく者数は16万4621人。

毎年1万人弱の方がお亡くなりになっています。

流れゆく時間の流れに、どうしようもない悔しさと焦りを感じながら、私にできることをやっているつもりでも、改めて、この8月6日が近付くと自問自答の繰り返しです。


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今年は広島出身の私にとって、特に考えさせられる年になっています。


私の祖父は、原爆の直接被ばく者ではないですが、当時を知る人間の1人でした。

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原爆が投下された8月6日。
祖父は、鹿児島の八代に兵員として招集されていました。

これから戦地に向かう。
その直前だったといいます。

そんな中、広島に原爆が投下。
9日には長崎にも。

15日には終戦をむかえ、何が起きているのかわけもわからないまま、広島に戻ったそうです。

広島の街は恐ろしいほど変わり果てていて。

あたり一面焼け野原。
川には黒こげの遺体が浮び。

原爆投下から一週間が経った、その時でもところどころで煙が上がっていたと話していました。

そんな祖父の話を聞くことができたのも、数年前のこと。

私の父でさえも、しばらくは聞けなかったそうです。
教えてくれなかった、という表現の方が正しいかもしれません。

私が聞いた時も、あまり話したがらず、詳しいことは聞けませんでした。

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その祖父が、実は昨年の暮れに他界。

もう話せない、会えない存在となってしまいました。

もっと祖父に色々聞いておけば良かった。
なんでもっと話をしなかったんだろう。

悔やんでも悔やみきれません。


今も当時の話を語りたくない、思い出したくもない、そう感じている方は沢山いらっしゃるといいます。

ただ、時が経つにつれ…

この前までは話す気がなかった、でも話し始めようと思うようになった。
嫌な気持ちにはなるけれど、気は進まないけれど、後世のために話さなければならない。

そう感じ始める人も増えてきているようです。

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↑私の義叔父の父が書いた本。
この本のことを知ったのもここ数年のこと。

継承活動を深く考えるようになってから、自分の知らないことの多さに恥ずかしさを感じています。


何をすれば、継承になるのだろうか。
生きた声を、生きた記憶を伝えるにはどうすればいいのか。

私が今やっていることが継承のお手伝いになっているのかどうかもわからないですが…

何かを考えて、働きかける。

まずはそれが大切なのかな、と思っています。

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先日、継承活動で原爆投下の映像をVRで再現しようと活動する、高校生に出会いました。

初めは、原爆のことはほとんど知らない彼らでした。

ところが。
被ばく者の話を聞いたり、資料を見たり。

学びを重ねていくうちに、自分たちで語り継ぎたい、伝えていきたい。
そう思うようになったそうです。


人それぞれの継承の方法があって、その方法に正解はないはずです。

今、私にできることは何なのか。

そう考えた時に、私には取材して、沢山の方々に会って、その想いを言葉にして発信することができる。

自分の足で、自分の目や耳で。
そして、自分の言葉で。

一つでも多くの想いをわかりやすく、しっかり伝えることをし続けたい。
改めて、そう思います。


一人でも多くの人に、原爆の恐ろしさを考えてもらえるように。

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もう二度と過ちを繰り返さないように。


私を育ててくれたヒロシマ。
私の大好きな街、ヒロシマ。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、平和の輪が広がることを切に願います。

2017.8.6
楪    望