先の8月の音楽ブログに上げた、シュタイナーの「12の星座の気分」のしし座に、“苦しみ”という言葉が出てきます。
これはしし座の時の一回きりなので気になっていました。
で、なぜしし座が苦しみなのか?と考えておりました。
初秋の光と影
生成の苦しみ、「werde pein」です。
werde は成長、pein は痛みという意味もあります。
成長の痛み、とも訳せます。
魂の喜びと苦しみ…。
霊(光)を担う魂にとって、苦しみと喜びは一対のもの。
それは呼吸の、吐く息と吸う息の両面のようなものです。
地球も霊魂体からなる意識ある存在です。
そして地球の魂も一年かけて大きな呼吸をしています。
夏に向けて外へ宇宙へと息を吐いてきた地球の魂は拡がって黄道12宮まで達しています。
夏至のころ反転して、内へと、地球自身へと魂の眼差しを変えます。そして今度は冬へ向かって息を吸いながら収縮していきます。
収縮するとき地球の魂は、縮む痛みを感じるのでは無いかと思います。
宇宙の「成長痛」ですね。いわばですが。
収縮に向かう時そこにはある意志も伴うように感じます。
地球魂のリラックス〜解放状態から、一転集中へ転換する訳ですから。
それがしかし、宇宙の変わらぬリズム、宇宙意志なのです。
その時季こそが、光が夏から秋へと入る、しし座♌️の季節なのですね。
今、陽(ひ)は確実に翳っていますが外界の光はまだまだ力強い。
そんな中で無意識にも、人間の内なる光とは何かを問われる季節に入っています。
さて、私たち人間の内の魂の呼吸はこの宇宙の呼吸の動きを模しています。
私たちの魂は息を吐き外へと広がるとき喜びを感じ、息を吸って集中するときそれをある痛みとして感じています。
魂がグッと凝縮するなら、それは私たちのなかでは「苦しみ」として感じられます。
しし座の喜びと苦しみは、魂の解放と集中から生まれるドラマを演じます。
しし座のドラマは“私が私である”ところから生じるドラマでしょう❗️
苦しみは、私の本質は光と愛であるというところから、魂に生じざるを得ない影のようなものではないかと思います。
それでお互いが互いを、ひいては自身を知ることが出来るから。
喜びと苦しみは、魂の光と影のようなもので、一緒にダンスを踊り続けます。
私たちの日常意識では、痛いのイヤだよー、
苦しみなんて無い方がいいのに!!
と思います。
けれど宇宙の光と愛を担う私たちの高次の意識にとっては、きっと痛いのも苦しいのも、大きな意味のあることなんだろう、と感じます。