「土台(ぐらぐら)」「母」「自分の必要性(をあきらめる)」・・・TFHレベル2再受講 | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

無意識のストレス反応を意識的に変化させて
気づきと自然治癒力を高め 自分や周りのひとの存在に光をみる人生を楽しんでいます

タッチフォーヘルス・キネシオロジー(TFH)の講座には さまざまなものがある
 
レベル1からはじまって、2・3・4と 続く、
バランス調整法を実践的に経験し学ぶクラス
 
メタファーという、
隠喩(言葉かけ)によるバランス調整法を学ぶクラス

*メタファー受講の記事は → http://ameblo.jp/little-rinda/entry-12246858342.html
 
インストラクターになるために学ぶクラス
 
 
 
今回は、そのなかで、レベル2の再受講

講座内容は
・五行(木・火・土・金・水)に基づいたバランス調整
・レベル1に加えて 28の筋肉で反射テストをすること
・レベル1に加えて 他のバランス調整方法を学ぶこと
 などなどがある
 
 
テキストにそって 復習しながら
「うんうん」と うなずけることもあれば
「・・・やばい、ここ あいまいだ」と わからないところや 不確かなところを
見つけたりもする
 
・・・そこが 再受講のありがたいところ
 
 
今回のレベル2の受講は
広島 岡田先生のもとで 
東広島のキネシオロジスト くりあばらんす さんと 私の3人という
熟練者おふたりとの濃厚な受講となった
 
 
くりあばらんす さんの到着まで
先生に 近況を聴いてもらったり
先生からの伝達事項を 伺ったりしていると
先生のお話のなかに
くりあばらんす さんの人柄や、人物の大きさ、
タッチフォーヘルスに限らない技量のすばらしさ
に ふれるエピソードが あった
 
もちろん、改めて伺わなくても
くりあばらんす さんのすばらしさは
よくよくわかっている(つもりの) 私である → http://ameblo.jp/little-rinda/entry-12244482197.html
(・・・いや、私には わかっているはずがないのかもしれない)

 
先生から 改めて くりあばらんす さんの すばらしさを伺うと
愚かな私は 自分の身と比べてしまい
自分の存在の小ささと 実力のなさにさびしくなり、
そして 比べることが 意味のないことだと、頭では理解しているから
何も感じていないふりをして 先生のお話を聴いている
 
・・・そう、リアル「平気じゃないことを 平気なふりをして生きている」だ
 
これをやっちゃ、あとで 堪(こた)えるのに
 
 
なぜ、人と比べて 自分の存在を軽んじることになるのか

 

・・・これは 特別なことではないかもしれないが

私のしょっちゅうはまるパターンだ

 
幼少期の両親の私への接し方が影響しているかもしれない → 「望郷の父
持って生まれたものかもしれない

自分で自分に くり返し言い聞かせてきたからかもしれない

 

 

そんな 内側が「自分の存在ぐらぐら状態」

で始めることになった講座での「実践練習」で
私が 出した「問題だと想っていること」のキーワードは
「土台(ぐらぐら)」 「母」 「自分の必要性(をあきらめる)」
というものだった
 
私は 三姉妹の長女として育つなかで
両親(特に父)から
「お姉ちゃんだから しっかりして 妹の見本になること
両親(特に父)の意向をくんで、妹たちに 父ののぞみを伝えること」
と 何度も何度も言い聞かされていた
 
母は そんな父から自分の身を守るためなら
娘の私が傷つくことを 平気?ですることがあった
(・・・と 私は感じているし、感じていた)
 
「実践練習」でバランス調整をしてもらうのだが
なかなか 筋肉の働きが強くならない
 
調整してくれている、くりあばらんす さんに 申し訳なくも想うし
この問題は 根が深くて、時間がかかってしまうので
出さなければよかったな とも想った

(いや、それしか出てこない状態だったのだが)
 
 
・・・なんだろう、どうしたいのだろう 私は
 
 
今になって、父や母を 責めたいわけではない
悲しかったし、寂しかったし、腹も立ったし、恨んでもいるけれど
両親が私に 愛情をもって接してくれたことも

今でも 娘かわいさなことをしてくれていることも → http://ameblo.jp/little-rinda/entry-12120324546.html
私自身が いい娘でもないことも 
よくよく わかっている(つもりだ)
 
 
・・・なんだろう、どうしたいのだろう 私は
 
 
気持ちが 焦ってくる
時間ばかりが 過ぎてしまう
 
 
はっきりした答えが見つからなくても
「意図」していることがあってのバランス調整だし
くりあばらんす さんによるタッチフォーヘルスの調整なので
エネルギーが 回っていないわけがない
 
「問題」だと感じていたことが 何なのか
よくわからなくなってきた
 
ということは、「問題」が「問題」ではなくなってきた状態 なのではないだろうか
 
 
身体や姿勢に変化は 現れてきている
 
あとは 自分の「答え」を 見つけたい
 
 
それは 家に帰ってからの宿題としよう
 
 
 
そう想って

「土台(ぐらぐら)」 「母」 「自分の必要性(をあきらめる)」

というものを
胸に残して 過ごす
 
家事をしながら ひとり禅カウンセリング

(禅カウンセリングとは:

タッチフォーヘルスの「目標設定」にも用いる、

アドバイスをいっさいせず、内側の答えに気づく方法)

 
私は さびしかった

それは すでに 母に伝えた
↓ 
母は 理解してくれようとして、母なりに行動を変える努力をしている

だけど 今でも母の「本質」には 私の望む行動は存在していないようだ

たとえ親子でも、相手を変えることはできない

私が望むように 母を変えることはできない
(=私の娘が望むように 娘が私を変えることもできない、するつもりもない)

私は 私がしたいことを ただするだけだ

過去に何があったかは 今 私がしたいことをすることに 関係ない

私が幼い頃、母がどんな状態にあったかは 私には 関係がない
(母も大変だったのだから・・・と、私が 母のことをおもいやろうとしなくていい

両親の大変さに力になれなかった自分に 罪悪感を持たなくてもいい)

幼い頃の私のことだけ 労えばいい

幼い頃の私が 妹二人を育てられるはずがない
(妹たちが生まれた頃の幼い私 2歳、4歳の私は そもそも 親にあまえたかったはず
大人でも 上司の指示をきけないこともあるのに、
幼い私が 意に添わない父の指示を実行しなくてもいい、できなくてもいい)

幼い私が 無理して大人になろうとしなくていい、大人ぶらなくていい
(幼い私が大人になって、両親をあまえさせる必要はない)
 
 

 

そこまでたどり着いたところで
 
「土台」 というのは 「土」(かもしれない)
五行の「土」の感情に 「共感」「同調」がある
 
両親に認められたいという気持ちから、

両親の気持ちをおもんばかり

 

自分の気持ちより 両親の気持ちを優先させすぎたことを
受講中「実践練習」のときに、五行「木」で調整してもらったのかもしれない

(「木」の経絡である「肝」が かなり弱かった)
 
「木」は「土」を制する
 
 
 
母は 私に
「妙子は もともと『リトル・ミイ』みたいだったのにね
(どうして そんなふうに なったんじゃろうね)」
と 言うことがある
 
ミイのように ありのままに わがままであれ」 と
 


「今さら、何言ってんの??」

 

と イラつく

 

「おかあさんが のぞんだとおりにして、こうなったんじゃん??」

 

 

 

両親ののぞむように

夫ののぞむように

嫁ぎ先ののぞむように

子どもたちののぞむように

 

〇〇ののぞむように

(私のことを 相手に必要だと想ってもらえるように)

 

に ばかり意識を向けて、生きていたら

 

自分ののぞむことが わからなくなった

 

そして 〇〇ののぞむように・・・というのは

自分の人生に 自分の覚悟がなく

自分の人生を 自分が生きていない状態だろう

 

 

・・・よくある話?

 

 

 

(私の本質や手相からすると 実態が)「地味ですよね」 と 言われたことと

→ http://ameblo.jp/little-rinda/entry-12257718772.html

 

「ミイ」 が 繋がった気がする

 

 

私は まず、私を労う

そこからだ

 

レベル2 再受講前半で

私が たどり着いたこと!!

 

 

 

長い投稿になりましたが

最後まで読んでくださった方がいらしたら

ありがとうございます!!

かなり 喜んでいます

 

 

レベル2 再受講 後半① → 身体の反応がはっきりでない!?・・・お酒の影響がてきめん現れた、レベル2後半①

レベル2 再受講 後半② → 水深4メートルのプールに50センチ足をつけて知る感じ?・・・レベル2後半②