こんにちは
カウンセリングサービスの那賀まきです。
火曜日<モテオーラ養成講座>を担当しています。
どうぞよろしくお願いします。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
意地悪なことを思ってしまった自分を許せない
生きていれば、いろいろな感情を感じます。
うれしい、楽しいといった「いい気分」を感じたときに、「あぁ、こんないい気分になってしまった。私ってひどい人だなぁ」とはあまり思わないのではないのでしょうか。
(もし、思ってしまうとしたら、「いい気分」を感じるのがふさわしくない状況なのかもしれませんね。)
しかし、怒りや憎しみといった感情を感じたあと「なんてことを思ったんだ~。」と落ち込んだり、自分を責めたりすることは少なくないようです。
たとえば、職場の上司にネチネチ嫌みを言われてうんざりしたときに、「こんなヤツ、一度死んでしまえ~!」と考えてしまったとします。そして、しばらく時間が経って気持ちが落ち着くと「あんなことを思った自分って、なんてひどいヤツなんだ~」と感じてしまう、というように・・・。
思っただけなのに、そのことすら許せない!!と感じてしまうのです。
人に意地悪してはいけない。
人の悪口を言ってはいけない。
そういった「観念」が強すぎるときには、「~してはいけない」と思っていることを想像することさえ自分に禁じてしまいます。
わたしたちの心の中にあるルール:「観念」
わたしたちの心の中には何万もの「観念」があると言われています。
生まれた国や地域の風習、親の躾、学校や社会での教育などで、○○すべきだ、○○してはいけないというルールを学ぶことで身につく観念もあれば、自分の心の 安全を守るために「経験的に」身につけた「観念」もありますが、わたしたちは自分の心の中にたくさんのルールを持っていて、そのルールを守らなくては!と いう「観念」もあります。
そして、ルールを守らなければ!という思いが強いほど、「観念」にとらわれやすくなるようです。
「観念」にとらわれすぎると、窮屈だったり、「観念」を使って自分を責めたりしやすくなります。
強すぎる観念を緩めてみよう
観念にとらわれすぎて窮屈なのにやめられない。
そんな方にオススメな言葉があります。
それは
「・・・・・してもいい」
「・・・・なときがあってもいい」
という言葉です。
人に意地悪をしてはいけない、と思いすぎて、意地悪な思いを持っただけでも「なんてひどいヤツなんだ~」と自分を責める代わりに、「意地悪な気持ちになることがあってもいいよ」と自分を許してみるのです。
「してはいけない」と自分に禁じていることを積極的に「する」ことは少ないのではないでしょうか。
それにも関わらず、自分に禁じていることを「してしまった」としたら、そうせざるを得なかった理由があったのだと思います。
だから、そんな時くらいは「こんな時もあるよね」と自分に甘くなってもいいと思うんです。
ひどいこと言われたら。意地悪な気持ちになることだってある。
だって人間だもの♪
と軽く受け入れてみませんか?
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*