こんにちは、三好成子です。
毎週火曜日の《モテオーラ養成講座》は那賀まき、服部希美、帆南尚美と共にお届けしております。
今回のお話は、前回(2月6日)の続きにもなります。
共依存的な恋愛の講座の一部をテキストにしてお届けしています。
さて、人が人を好きになるという不思議のお話なんですけれど…
恋愛となると、まず、最初に、「この人はとっても素敵な人」だと思いますよね?
この人最高と思って恋をするんですよね?
うわー、この人最低〜と思って恋には落ちませんよね?
私たちが恋に落ちたと言う時は、大体その人に対するイメージがピークなわけです。
出会った瞬間にピークだったという人は、まぁこれは一目惚れみたいな話ですけど、相手の通常の状態を確認しないまま、例えば「私のHERO❤️ね」みたいに恋する事に突入して行っているわけです。
すると、まぁ、人にはヒーローの部分もあるけれど、多分ダークヒーロー的な部分もあると思うんですね。
そんないろいろあるその人の個性を、全部見るのではなく、
「私が欲しかったものを持っている人」と言う見方をしてしまうと、欲しかったものを持っているけれども、あまり好みでもないものを持っていることだってあると思うんですね。
私たちは皆、いろんな要素を持って生きています。
場面によっては使い分けていたり、抑圧していたり、隠していたりして。
だけど、お互いの距離が縮まって、なんとなくこの人だったら許してくれるかなぁとか、だいぶ慣れてきたし大丈夫かな?と思い始めると、抑圧していたり、隠していた部分って言うのをついつい出すんですね。
それは実はすごくいいことなんですけど、
だって、後手にものを隠していたら、毎日緊張状態で疲れてしまぃすよね?
例えば、大好きなアイドルを目の前にして、サインもらったとか、握手してもらったとか、目があった。きゃー。
と言う時が、ものすごい最高潮で
まさかの状態で、お付き合いが始まって、毎日毎日一緒にいられるようになったとしたら、この2つしかないと思いませんか?。
それは、1つはずっと緊張して、最高の私で居続けるために怠惰な自分とか、だめだなと思っている。自分をこの世から抹殺する。
大好きなアイドルに見合った私で生きていくと決める!
もう一つは、もちろん最初は緊張して、この幸せを十分に堪能するんだけど、だんだん目の前の人に慣れてきて
「あー、こんな面もあるんだ、 ふーん」
という感じで、どんどん目の前の人の実際の姿…現実を見ていく。
そうすると、それに合わせて、自分自身の作りすぎない実際の自分で対面することになっていく。
さて、さて、そうなると、またここで2つの枝道ができるんですね。
それはがっかりすることと、等身大のその人と楽に暮らしていく。
この二つの道に分かれると思うんです。
がっかりしてしまうと言うのは、最初に言ったような『私のHERO現れる。』の妄想が崩れていくことなんですけど
実は完璧な人ではなかった時に、「なんだよー。助けてくれないじゃん。 」
「私はか弱いお姫様なのに、何もかも救ってもらわないと私のこの物語は完結しないのに、本当は何もできないじゃん。 」
がっかりだわ。
そうやって、目の前の人の価値をどんどんマイナス査定していくんですね。
これがマンネリへの道なんです。
「あーはいはい」という感じ。
どうせ私のことを助けてくれないんでしょ。ヒーローだと思ったけどヒーローじゃないんでしょ?
と言う、勝手に相手にかぶせた期待に、勝手に傷ついていると言う感じ。
もともと、その人の1部だけを見て、その1部は自分にとって都合の良い1部を見て期待をしているんだけど、そうはいきませんよね?
自分もそうなんですけど
そんなに私にばっかり求めてこないでよって思うことないですか?
そこは自分でやりましょう。よって言いたくなることってないですか?
まぁ、期待をしてくれるのであれば、それなりの努力はします。
だけど、100%こちらだけの努力で成り立っている関係って、ありえないんですよね。
例えば、超依存の時代の赤ちゃんであったとしても、あの可愛らしさとか柔らかさとか無垢な感じとか、相当与えてもらっていたりするんですよね。
だから、どんなに忙しい時に、ギャン泣きされても、うわー、手がかかるなーって思っても、そこには与えてもらってるもんなこれぐらいお返ししようって、変なんですけど、win winな感じでやっていけるんですよね。
これはパートナーシップでも同じようなことが言えると思うんですね。
例えば、めちゃくちゃ頑張って、家計を支えてくれる旦那さんがいるとそうじゃないですか?
そんな旦那さんを持つ奥さんが、アイドルの追っかけ何かをしていて、家の事は割とほったらかしだったとそうじゃないですか?
それでもこの奥さんが、この旦那さんの癒しになっていたとしたら、これは人がどう見ようがWi Ing Wi Ingなんですよね。
自分はこんなにも自分の大好きな人を自由にさせているんだと言う満足感で生きていけるみたいな感じがあるのかもしれないし、ひたすらその奔放なところが大好きだったりするかもしれないんです。
共依存の場合は、例えば、今の夫婦の間で、もしも共依存の関係であるとしたら、どっちかがまたはお互いがめちゃくちゃ苦しいはずなんですね。
わかりやすく言えば、旦那さんの方がものすごい不満を抱えているけれども、例えば、過去に浮気をした罪悪感で、常におどされていて、文句が言えなくてと言うパターンもあるかもしれないし、自分に自信がなくて、この奥さんを手放したとしたら、自分はもう二度とパートナーを得ることができないと思ってたりして、自分が天外、孤独になってしまう恐れから文句を言えなくて、ただただ働いているパターンもあるかもしれないですよね。
そのパターンって、実は奥さんのほうも同じような不満を持っていることがあるんですよね。
罪悪感とか無価値感とかを抱えていることが多いんですよね。
この夫に不満があるから、気を紛らそうとしてアイドルの追っかけをしている。
例えば、私はあなたを1番に考えてないわよと言わなければならないほど、この夫に対して傷ついている…
まぁ、いろんなパターンがあるわけですけど、どちらかが不満を抱えている時って、多少なりとも相手も不満を抱えていたりするんですよね。
だけど、それを不満だと言えない。
または感じちゃいけないって思って我慢をして、そしてこの我慢した嫌な思いはお前のせいなんだと、自分以外の問題にすり替える。
それも、お互いに。
共依存的関係性だとこうなっちゃうんです。
一方で、さっきも言いましたけど、ひたすらアイドルの追っかけをしている奥さんをニコニコしながら「いいねぇ。よかったじゃん」と言われている旦那さんは、
さっきの赤ちゃんの例じゃないですけど、この奥さんから何か他の人にはわからない対価をもらっていたりするんですよね。
「楽しかった嬉しい」って言うような超ポジティブなエネルギーを持って帰る。そんな奥さんかもしれないんですよね。
男性って罪悪感を持ちやすいっていうんです。
だから、その罪悪感を蹴散らしてくれるようなポジティブなエネルギーに救われることってあるみたいなんです。
そして旦那さんは、そんなエネルギーがずっと欲しかった。かもしれないんですよね。
相互依存と共依存の違いと言うところで言うと、相互依存っていうのは与え合う感じ。
できないところを助けてもらっていたとしても、与え合うという感じです。
反して、共依存っていうのは奪い合う感じ。
自分には足りないところがあるんだからちょうだいよと言い合っている感じがします。
自分には与えるものがないんだから、あなたからちょうだいと言い合っている感じがします。
さっきのアイドル追っかけの奥さんで言うと、私は何かをあなたに与えてるよね。
だって、私って素敵だもんね。
そしてこんな素敵な私にしてくれるあなたは素敵だもんね、
私たちってめちゃくちゃ素敵なカップルよね?
と言っている感じ。
これが、共依存的になると
あなたは私に何も与えてくれないから、私はアイドルの追っかけをする。
何か文句ある?こうなったのも、あなたがあの時浮気をしたからよ。
私が好きで、追っかけばっかりしてるわけじゃないの、あなたが私を愛してくれないから、あなたが私に信頼をさせてくれないから、heyあなたが私に何も与えてくれないから、私は外に行くの!という感じなります。
そして、旦那さんのほうも、「もう終わったことじゃないか。自分は悪かったけど、あの時僕が浮気をするにはそれなりの理由があったはずだよ。」
「僕の求めているものを全部を与えてくれていたら、あの時僕は浮気なんかしなかったはずだよ。」
「いいよ。君が家にいない方が僕は責められなくてせいせいするんだよ。」
「どうせ僕の人生はこんなもんだよ。
だけど、もしこんな僕でも良いと言う人が現れたら、他の人に移り変わるかもしれないよ。
その時はうんと後悔すればいい」
…と言うような攻撃的な妄想何かをずっとしていたりして
自分には、この状況を変える力がないから、何かが起きて誰かがこの状況を変えてくれると言うことをひたすら待ち願う。
たけど、誰も私の事を変えてくれないので、ずっと苦しいままこの暮らしを続けて、お互いにどこかで憎しみを感じて、どんどん愛情が薄れて、義務と一緒にいるみたいになっていく。
聞いてるだけで苦しいでしょう?
そうなんです。
この苦しみが共依存なんです。
さっきのあの喜びが相互依存なんです。
「責任を取るのは私じゃない」「あなたが責任を取ってよ。あなたのせいだから」とどこかで思っていて、責任逃れをしているだけで物事はすすまないんです。
会社でも「あいつが悪い」って言っていれば、その場の空気は、その悪いとされた人の問題として、自分に火の粉はかぶら無いけれど、問題自身は消えてい無いという感じ。
また、同じ問題が起きて、その責任の所在を誰になすりつけるかでまたざわざわするという感じです。
問題から逃げるために、自分以外に問題とされるものを作ってあれが悪いからと言っているんです。
ここで必要なのは「リーダーシップ」です
今ある不満や苦しさを、自分の問題として受け止める。
そして自分の人生の責任を自分でとっていくという気持ちを持つことなんですね。
共依存的な恋愛をしているときにありがちなのは
本来とらなくても良いような《自分以外の人の責任まで背負っている》という事があります。
自分以外の人の責任を背負うと、本来背負うべき自分の責任を背負わなくてもいいと感じるからなんです。
それって、自分の責任を背負っているときは、自分の中で全てが完結するのに対して、人ごとはそこに 自分のやった事への反応 があります。
本当にね、人のことって自分のことよりやりやすいんですよ。
やってあげているとか、やらされているという、外からの力が働くからだと思うんですけど、誰かのせいで…という被害者意識に入れるという利点もあるんです。
罪悪感や無価値観によって不安定になった自分の価値を、取り戻すというか
自分の価値を出すために、人が持つべき責任を自分に乗せかけることで「ありがたい存在」とされたいと思ってしまうというパターンがあります。
「自分が居なければダメになると思ってほしい」という事から、相手ができることまでを奪い取ってやってしまっていることがあります。
相手の自立心をなくしているんですね。
「あの人がダメな人のままでいてくれると、私がいつまでも必要だと思ってもらえるはず」という無意識から、相手がしっかりすることを何処かで封じている事もあるんです。
無意識って怖いです。
先に行っていた、自分の思い通りにことを進めたいために、子供がやるべきことまでも先にやってしまって、子供に経験を積ませ無いようにしている親もこれです。
パートナーシップでも、この人と付き合えるのは私以外にいないのよ!と思わせたいし、思いたい。
そう思う事で、「この人はどこにも行かない。」と思って安心したい。
人ってね、自己価値が低ければ低いほど、相手に「私は必要」と思わせたいんです。
そうしないと愛されない、必要とされないと感じているようです。
許されたい私や、こんなに頑張っている私を見せることでしか私の価値を感じられないのです。
親にこれをやられてきた人は、こういうサンプルを見て育っているので、つい相手に対して同じことをしてしまうか、逆に同じように子供の位置に滑り込んで、親と同じように責任を取ってもらう立場に居続けようとしそうです。
自立をしている人にとって『責任』とは、依存の人の分も背負う場合もありますが、あくまでも、自分が取れる範囲の責任を取っていくという感じです。
例えば、電車の中で赤ちゃんが隣の人の服を握ってチューチュースってしまったとしたら、やったのは赤ちゃんだけど親は本気で謝りますよね?
責任が取れ無い赤ちゃんだとわかっているからです。
でも。ある程度成長したらちゃんと叱って、謝るように促します。
そして、足りない部分は親が補うという感覚です。
すると、子供は責任をとるという経験を積んでいくことができます。
依存時代を上手に抜けていない人にとって、自立するとは『必要以上に責任を負う事』のように気負ってしまうし、責任を取れ無いと逃げそうになるんですけど、その時取れる範囲で責任を負えばいいんです。
それを過剰に感じすぎると、あいつのせいで自分はこうなったといい続けていこうとするわけです。
お互いに自立していないと、持たなくても良い責任は持つくせに、本来持たなくてはいけない責任ほど他人に持ってもらおうとしがちです。
共依存的な恋愛の関係は、お互いが人の問題に首を突っ込みすぎて、悩んで疲れ果てて、結果自分の問題に向き合う余力をなくすという感じです。
人の問題はその人が解決すると信頼することが必要です。
困っている人を見過ごすわけにはいかないという優しさは素敵です。
でも、やりすぎるのは自己満足にも陥ることになるので注意が必要ですけれどもね。
罪悪感があると、ついつい『許されるためにやりすぎる』ので人の問題と自分の問題を切り分ける練習が必要なのだと思います。
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