長いこと施術していて、ふと気付いたのが、

見られている体と、全く見られていない体とは違うのです。

 

わかりづらいかもしれないですが、

“何か”が違うのです。

 

視線の力というのは圧があります。

 

だからでしょうか?

例えば、ダンサーさんの体はなんというか、

自分の表現力の無さに嫌になりますがガーン

綺麗なのです。

 

ダンサーさんだけでなく、単にダンスを習っている人でも、です。

 

これは、肌を見せるダンスの話ですが、

ボディのマッサージの際に触れると、

肌が、見られる仕様になっているのです。

 

もちろん見られる前提でレッスンしているので、ケアを怠らないのかもしれませんが、

施術畑にいる人にしかわからない・・・もしかしたら自分だけの感覚かもしれないけれど、

綺麗なんです。

肌が見て、って言っている様。

 

だからお顔もそうなのです。

ただメイクの時に、目や口のポイントだけをさらっと見るだけでなく、

肌の奥の“こり”や、ちょっとした肌変化も見て認識してあげると肌は変わっていくのです。

 

体も然り。

 

意識されない体は、病気という体からの叫びで初めて意識されます。

そしてその様な人の場合、気付いて、自分の生活や姿勢などを見直すための叫びなのに、

病院に行って対処療法をされて、負のスパイラルに入る、

なんて構図が個人的には見えます。

感じたことであって医療系の批判ではありません。

 

話を広げると意識もそうです。

自分の意識を野放しにしていると感情に操られ暴走します。

第三者を置くか、自分の中にもう1人の自分を置き、観察させると本当の自分を取り戻せると、経験上学びました。

 

意識というのは見えなくとも力があると認識しています。

もしこの説があっているならば、試しに、ご自分の体に意識を向けてみてください。

とても不思議なことが起こります。