空海を知る4 空海の母方「阿刀氏」 | 絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

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絵本に関わり、早や40年。
ママと子が一緒に楽しめる絵本を4冊、工作本も出版!
絵本作家しか知らない、絵本の創り方、絵の技法、親子で作るキッズアート大公開
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空海を知る4 
空海の母方「阿刀氏」

 空海の母方は、父方よりも家柄が高く、「阿刀氏」という畿内の一族です。
「丁未の変」で蘇我氏に敗北した「物部氏」の直系の末裔です。


「あと」という名前は物部氏の別名なのです。
阿刀氏の中でも、「阿刀宿禰(あとすくね)」という一族です。

讃岐国きっての長者であった佐伯家が、学問の師家として奈良の都から招いた家だったと考えられています。

その阿刀家の阿古屋(あこや)と佐伯家の善通(よしみち)が結婚し、さらに、阿古屋の妹と善通の弟も結婚して、強い信頼で結ばれていた両家でした。

  「阿刀宿禰(すくね)」一族には、井上内親王の侍女で、のちに内親王に連なり流罪になった「阿刀堅石女(あとのかたしめ)」という女性がいました。
中央へのパイプの太さは、この方の人脈もあったかもしれません。


この阿刀氏から出た、悪名高き人物が「弓削道鏡」でした。
空海は、母を始め一族から、道鏡の話も聞いて育ったかもしれません。
朝廷、政治にまつわる権力の愚かしさを感じていたことでしょう。


母、阿古屋(あこや)は、土地の産土神である熊手八幡神社に子宝を祈願して「神の御子」空海を身ごもったといわれています。
空海は母の実家善通寺で産まれたとされます。
(海岸寺に産屋をたてていた説もあり)

 

 屋敷跡の中心には、不動堂があり、不動明王のほか母阿古屋と空海の尊像が2体祀られているます。
下の図は母阿古屋の像です。

 

 近くには、空海の胞衣とヘソの緒を納めてあるという「胞(えな)衣塚」や産湯井跡があります。


またお寺の東南には、空海が泥で仏さまを造って遊んだという「童塚」があり、寺にも泥でできた仏像が残っています。