空海を知る4
空海の母方「阿刀氏」
阿刀氏の中でも、「阿刀宿禰(あとすくね)」という一族です。
讃岐国きっての長者であった佐伯家が、学問の師家として奈良の都から招いた家だったと考えられています。
その阿刀家の阿古屋(あこや)と佐伯家の善通(よしみち)が結婚し、さらに、阿古屋の妹と善通の弟も結婚して、強い信頼で結ばれていた両家でした。
讃岐国きっての長者であった佐伯家が、学問の師家として奈良の都から招いた家だったと考えられています。
その阿刀家の阿古屋(あこや)と佐伯家の善通(よしみち)が結婚し、さらに、阿古屋の妹と善通の弟も結婚して、強い信頼で結ばれていた両家でした。
「阿刀宿禰(すくね)」一族には、井上内親王の侍女で、のちに内親王に連なり流罪になった「阿刀堅石女(あとのかたしめ)」という女性がいました。
中央へのパイプの太さは、この方の人脈もあったかもしれません。
この阿刀氏から出た、悪名高き人物が「弓削道鏡」でした。
空海は、母を始め一族から、道鏡の話も聞いて育ったかもしれません。
朝廷、政治にまつわる権力の愚かしさを感じていたことでしょう。
母、阿古屋(あこや)は、土地の産土神である熊手八幡神社に子宝を祈願して「神の御子」空海を身ごもったといわれています。