あたまに春到来 | ゆらゆらダイアリ

ゆらゆらダイアリ

あたまと性格とウツをこじらせた一人暮らし女子のダメダメな日々。



コリラックマのトピアリーがやっととれた。

いつのまにリラックマのクエストがはじまってたから、素材のクマキャンディ集めるためにイベントの花植えたのです。
でもキャンディ、ぜんぜん出ないよねー。




ライフの裏庭コンテストがはじまって。
ほんとはみかみかさんの裏庭で応募してみたかったけど、「春らしい裏庭」がテーマだったからハロウィンハロウィンしてるみかみかさんとこはぜんぜんダメだった。
それでAriさんの裏庭で応募してみた。

ただ参加してみたかっただけ。
2ナイスしかされてないし、わたしの庭の画像はもう埋もれちゃってるから、これ以上ナイスなんてされないとおもうし。

いまのところの上位は、ものすごい裏庭ばっか。
人のお庭をいろいろ見れるのがたのしい。

ワールドでコンテストやらないかなー。
別に賞狙いをする気はぜんぜんないんだけど、コンテストがあったらぴのさんの街で応募してみたいなー、とはおもう。

このまえもわたしが街でぼーっとしてたら、知らないピグさんがお手伝いに来て。
そしたら、「面白い街!」って言われた。

あの巨大迷路と、あとぴのさんのカフェの階段はわりといろんなピグさんに遊んでもらってるよねー。





ちょこちょこ出かけてたころのことだけど。
時間潰しにはいったお店のドリンクバーを利用しながらポメラで原稿書いてたら。

わたしの席から画面が見える角度のとこで、スーツの男性がVAIOのノートパソコン開いてお仕事してた。



このデスクトップが見えたんだけど。
これがWindows10のデスクトップだと知ったのは、そのあと、このアメーバにログインしたときに表示されてたWin10搭載機のPCの広告の画面で。

あんまりITの進化を感じさせるような画面じゃないのが意外。

っていうか、お店で人のこの画面を見たとき。

「あ、ポルターガイストだ」
って、おもった。
この右側の明るいほうから、ゆらゆらと亡霊がたくさん歩いてくるかんじ。

なんとなく、映画『ポルターガイスト』のイメージ、だよねー。

っておもったら、右側の明るいほうの画面から見えないギリギリのところに、たくさんの亡霊がこっちに来ようとひしめいてる気がして。
Windows10つかうの、こわいー。

夜中にひとりで仕事できないぱそこんじゃんー。(わたしがWindows10にしない理由)





ものすごい集中力が落ちた。
ひとつのことかんがえてても、すぐにちがう思考が同時に湧いて、じぶんがどっちをかんがえているのかわかんなくなる。

わたしは思考がぜんぶ映像になる、ってまえから書いてきてるけど。





それがさいきん、その映像の下に赤いピクトさんと緑のピクトさんがあらわれるようになった。
2色のピクトさんもいっしょに、「わたしのあたまの中の映像」としてわたしのあたまの中にあるの。

そのピクトさんは、「わたし自身」にはならないのね。
そのピクトさんたちを、わたしは客観的に外側から見てる。

気づいたらいつのまにこのふたりが湧いてて。
じぶんの思考にノイズがはいるような感覚に陥って。

それで集中力が欠ける。

そのうち、このピクトさんたちはしゃべるようになった。
ふたりが会話するわけではなくて、勝手にしゃべってる。

なにを言ってるかは聞き取れないんだけど、なにかずーっと話してる。

わたしの思考の映像についてなにかコメントしてるわけでもなくて。
あたまの中に浮かんでる映像を見てるピクトさんたちは、その映像とはぜんぜん関係ないことをしゃべってる。

そのコトバが聞き取れなくても、ぜんぜん関係ないことしゃべってる、っていうのはなんでかわたしにはわかるの。

本体のわたし、は。
じぶんの思考の映像の下にピクトさんたちが見えてるから集中力が欠けて。

その上、そのピクトさんたちが勝手なことしゃべりだしたから、
「じぶんの思考」「ピクトさんの姿」「ピクトさんのおしゃべり」
っていう3つのこと(正確にはピクトさんは2人だから5つのこと)を「同時」に認識する羽目になる。

なにかかんがえようとするたびに、わたしのあたまの中が5つの認識でぎゅーぎゅー詰めになる。
だからもう、なにひとつ、まともにちゃんと認識できない。
思考に集中できないから、まともにかんがえることもできない。

このピクトさんたち、どうやったら追い出せるのー。


ピクトさんたちはいつもいるわけじゃないけど、だんだん出現率が高くなってきた気がする。


それと。
仕事でプロットとかかんがえるとき。

ひとつのプロットをかんがえてると、ぜんぜん関連性のない別モノのプロットも浮かんで。
そうすると、2つのプロットがあたまの中で同時に進行する。

わたしの思考の再生ボタンはひとつしかないの。
あたまの思考のボタンを押すと、そこにある複数の思考が同時に進行するのね。

たとえば。

シンデレラのストーリーをわたしが創ってる、として。
その物語をどんなふうに展開していくかかんがえてると。

同時に白雪姫のストーリーも思いつくのね。
そうすると、あたまの中に、継母にいじめられてるシンデレラの姿が浮かびながら、そこに重なって毒林檎をかじろうとしてる白雪姫の姿も浮かぶ。

継母にいじめられてるシンデレラは、このあと、魔法使いがあらわれてー。
それで、魔法でプリンセスに変身してー。

なんてストーリーの展開をかんがえてるのと同時に、毒林檎食べたら死んじゃってー。
でもほんとは死んでなくてー。
意識のない白雪姫を七人の小人たちが棺に運んでー。

レイヤーみたいにふたつの映像が重なる。
だから、シンデレラと白雪姫の映像の区別がつかなくなっていく。

そうしてるうちに、また違うストーリーが思い浮かぶ。
たとえば人魚姫。

そうすると、今度は人魚姫のストーリー展開も同時に重なって、3重の映像が同時に物語を進行させていく。
いっぺんにあたまで3つのストーリーを創りあげていくの。

同時に3作創れるんだから、すごい生産性じゃんー。

っておもうかもしれないけど、困るのはね。
その思い浮かんだプロットすべてを「すぐに」書きたくなる。

だけど、仕事として進めていいのは1つだけ。
あとはその仕事と企画としてぜんぜん関係ないものになってたりして、書いても意味がない。

仕事にはシメキリがあるから、仕事の原稿を最優先で進めるべき。
だけど、「書きたい」欲望は3分化されてしまってるから、仕事の原稿書きながら、あとの2つの物語をあたまの中で同時に進行させちゃう。

仕事の原稿の文章を入力していきながら、あたまの中でもう2つのワードの画面が並んで開かれて、そこに2つの物語が同時に入力されていく映像が浮かぶの。
それぞれはちゃんとぜんぜんちがう文章になってる。

なんかすごい天才的な脳みそになったような気もするけど、その文章を読むわたしはひとりしかいない。
ひとりしかいないのに、3つの文章が同時に読めてしまうから、だんだんわけがわかんなくなっていく。

途中から細かい設定がどれがどれのだか混乱して、じぶんが書いているストーリーをじぶんが把握できなくなっていく。

ここでわたしのあたまの中の思考が破綻する。
まったくなにも書けなくなる。
あたまの中もぱそこんの中も、ワードの文章入力は停まったまま。

このブログも、これ書きながら、あたまの中でもうひとつぜんぜんちがう仕事の文章があたまの中のワードに打ち込まれてってる。

なんかこんなこと書いてるこの文章も、ものすごいメチャクチャだね。


わたしのあたまの中、なんでこんなに分裂するようになったんだろ('_')

なんか、精神病になってる、ってこと?


本を読んでても。
読みながら、そのあたまでちがうこともかんがえてる。

小説の世界に集中できない。

このまえは夢を見て。
夢って、どんな夢見ても「わたし」は「わたし」じゃん。

いろんなヘンテコな夢になってたとしても。
「わたし」がそのヘンテコな世界にいる、っていうかんじ。

悪夢も「わたし」が怖がる。
えっちな夢も「わたし」がえっちなことしてる。

家族が出てくれば、それは現実のわたしの家族。

それが、このまえ、ぜんぜん「わたし」とちがう夢を見た。
「わたし」はこのわたしではないの。

その夢の中の「じぶん」っていうのは、ほんとのじぶんじゃなくて。
だから、「わたしじゃない」っていう自覚はある。

「わたしじゃない」なにかが、いまの「じぶん」の意識になってる。

っていうフシギな自覚があるの。

この「わたしではない」じぶん、って、だれー。

それで、そのじぶんは、わたしの世界とぜんぜんちがう世界を持ってて。
出てくる人たちは、このわたしがぜんぜん知らない人たちばかり。

でも、夢の中の「じぶん」は、それがだれかちゃんとわかってる。
じぶんの家族。
じぶんの友だち。

この「わたし」がぜんぜん知らない人たちばかりなのに、夢の中のじぶんはそれがだれだかぜんぶわかってて、「わたし」が知らない風景の場所を、夢の中のじぶんはちゃんと熟知してて。

「わたし」の肉体をつかうだれか、みたいな「じぶん」が夢の中に出てきた。

それで夢の中で「わたし」の意識が、夢の中のじぶんの意識と同時に出現した。

だれこれ、って「わたし」の意識が、おなじカラダの中にいるもうひとつの意識の持ち主におもうの。

でもその「わたし」の意識は、わたしの肉体を主体的に動かせない。
肉体を動かせるのは、夢の中のじぶん、の意識。

ここで「じぶん」っておもってるこの人、だれ?
って、「わたし」の意識がおもうの。

もうひとつの人格、みたいな感覚。


その「わたし」とちがう意識がわたしの肉体を操ってる、っていう感覚は、夢の中でしか起こらないけど。
そういう夢を、いちどきりじゃなくて、そのあとも見るようになった。


ウツが進行すると、こんなふうになるの?


レジに一列に並んでください、ってレジのわたしが言ってるのに。
ぜんぜん並んでくれない思考がいっぺんに押し寄せてくる。

同時にレジ台に散らばる思考。
わたしはそれを必死になって、認知スキャンしていく。

それぞれ別の思考だから、別精算なのに。
いっぺんにスキャンされてしまう複数の思考は、一枚のレシートでまとめられてわたしからアウトプット。

なにがなんだか仕分けできないひとつにまとめられた思考の合算。
なんの役にもたたない精算を終えたあたまは、もう思考する意味も持たない。




やっぱり、ジャムおじさんにあたま、あたらしいの焼いてもらうしかないねー。

焼いてー。
ジャムおじさんー。