LOVE | ゆらゆらダイアリ

ゆらゆらダイアリ

あたまと性格とウツをこじらせた一人暮らし女子のダメダメな日々。


ワールドは3アカウントとも中間の先行とれた。
(この顔ハメパネルは先行報酬)



観光地イベが、二度とイベやりたくなくなるぐらいにきびしくなったから、このSP住人はかなり緩くなってる?
ランダムクエストもこんかい、とりやすいよね。






大風邪ひいて、ものすごいだるい。
鼻がずるずるして、咳がものすごい勢いで出て、発熱して、頭痛もして、悪寒もする。
風邪のフルコース。
なんかさいきん、風邪ばっかひいてる気がする。

風邪ひくと左半身の筋力が落ちる。
マグカップも持てなかったり、ひどいときは左足で立てない。
ずっとそうじゃないけど、風邪が治るまでは筋力はフツーに戻らない。
風邪がすっきり治ると、左半身の違和感も消えるんだけど。





きのうは用事があって出かけて。
暗くなってから砧公園の近くを通って、ものすごい見事な桜の大木を見た。
花は満開。

そこが砧公園の近くだと気づいて、あれから一年以上も経ったんだ、って月日が流れる速さにびっくりする。

「その場所」で思い出す記憶、っていうのがある。
たぶん、これからもそこを通るたびに、わたしはある記憶を蘇らせるんだとおもう。

大好きな旅のラジオ番組も、音楽を聞くとそれをかつて聞いた旅先の記憶とリンクするたのしさをしょっちゅう話している。






この春、番組改編でJ-WAVEの好きな番組がいろいろ変わる。
一足はやく2月でロバート・ハリスさんの番組が消えてしまったのはショックだった。
あれ、すごい好きだったのに。

だけど、対談するゲストは年配の方ばかりで、わたしは知らない人ばかりが多かった。
知らない人、の話もおもしろいからわたしはたのしく聞いてたけど。
もっと若い世代に人気あるゲストも呼んでくれたら、もっとおもしろかったとはおもう。

あの番組、たぶん、わたしの親世代向きなんだろうね。

J-WAVEはこの春、もっと若い世代向けにいろいろ変わるみたい。
これから社会に出る年齢層をターゲットにしたスペシャル番組とかやってたし。

ラジオ的に「旬の人」みたいなのがいるみたいで。
いちじき、大宮エリーさんがいろんな番組に出てて、「いつでも出てるねー」っていう印象になってきて、好きな人でも「えー、またー」ってきもちになってっちゃう。

ある対談番組で出たゲストが、そのあといろんな番組に出たりする。
だいたい似たような話をするから、これもやっぱり「えー、またー」っておもっちゃう。

ラジオってわりと毎日、一日中つけっぱなし、とかいう人も多いとおもうから、こういうゲストやナビゲーターの使いまわし、ってあんまりリスナーにはたのしくない。
それぐらいなら、NHKのラジオみたいに、再放送してくれたほうがいい。

ラジオをだらだら聞いてると、一日におなじ曲がひっきりなしにかかることもある。
だれかの新曲とか。
たぶん、何回かける、とか契約になってるのかな。

J-WAVE推しのミュージシャンの顔触れも、だいたい決まってる。
だから、野村訓一さんの旅番組みたいに、かんぜんに番組独自の選曲(ここはアップテンポの曲はかからないの)に徹底する、みたいな、その番組だけのこだわり、っていうのに余計にハマッちゃう。





大好きだった佐藤オオキさんとクリス智子さんの番組は、わたしはさいきん飽きちゃった。
さいきん、番組が変わったよね?(だれに聞いてるんでせう)

デザインをビジュアルのないラジオで語る、っていうおもしろいコンセプトで、いろんな世界中のいろんなジャンルのデザインの話をいろいろしてたのに。
このところ、なんか佐藤さんの個人ブログのラジオ版、みたいになってる。

いま、ものすごい世界的に活躍されてるみたいだし、しょっちゅう世界中をとびまわってるし、本も何冊も出して、しかもスポンサーは西武そごう。
J-WAVEはいろいろスポンサー離れがひどくなってきてるから、ラジオ的に「強い」立場になってるとはおもう。

けっして出しゃばりな性格でないから、才能があるのに謙虚な人柄も好感度高いとおもうし。

でも、番組的に話題の幅がものすごい狭くなった、ってかんじる。
わたしは佐藤さんは好きだけど、佐藤さんの私生活とかぜんぜんキョーミない。
さいきんはそういう私生活ネタが増えてきて、ファン向けの番組、みたいになってる。

離婚したらしいけど。
そんなこともキョーミないのに、その話、すごい出るよね。
彼があたらしい恋をするかどうか、っていう話がちょくちょく出て、デザインの話を聞きたいのになんでコイバナー、ってうんざりしちゃう。

これはわたしの勝手な感覚なんだけど。
彼のそういう面が気になるリスナーさんも増えてるんだとおもう。
今夜もファンレターみたいなリスナーメール、何通も読んでたし。

いろんな話に「恋愛」をからめた途端、わたしはしらけちゃうクセがある。
ドラマや小説や映画は、恋愛モノは嫌いじゃないけど、なんでもかんでも恋愛もからめる、っていうのは好きじゃない。

このまえ数か月かけて見た『古畑任三郎』は、恋愛が出てこなかったのがよかったよね。
古畑さんの淡い恋心は描かれていたけど、それがぜんぜんメインになってこないから登場人物の恋愛はストーリーの軸にはからんでこない。

似たような感覚でたのしんでた『踊る大捜査線』も、青島さんとすみれさんの恋愛がからんではいるけど、それがメインに描かれることがないから、あれぐらいなら「ふたりはどうなるのかなー」って呑気にたのしめる。
『TRICK』なんかもそう。

世界のデザインの番組で、ナビゲーターの恋愛なんてぜんぜん必要な要素でないとおもうのに。
このところのあの番組はすっかり「佐藤オオキさんの日常」の紹介番組になってるから、彼の私生活のいろんなものが話題にあがる。

そこがつまんなくかんじて、わたしは毎回は聞かなくなった。


恋愛、といえば。
午前中にやってる女性ナビゲーターのある番組。(なまえは出さないでおくー)

これも、ちょっといろいろひどいよねー。
って、わたしはおもってて。

かなりまえになるけど、夏の終わりの頃。
一夏の思い出、みたいなのが番組のテーマになって。
そのとき、フツーの思い出の話をするつもりだったのに、その女性ナビゲーターがうっかり、じぶんの恋愛がうまくいかなかったグチをこぼしちゃったの。
ぜんぜんじぶんでもそんな話するつもりじゃなかったみたいで、口から出たじぶんの話にものすごいうろたえてて。

その、ぽろっと出てしまったコトバだけで、そのナビゲーターの人のこの夏の恋愛をいろいろ想像できちゃうぐらい、生々しいぼやきだった。
仕事してるあいだも、それがあたまから離れなくて、ものすごい失言しちゃったんだとおもう。

うろたえ方がすごかったから、聞いてる方も、うっかり聞いちゃったバツのわるさをかんじたぐらい。
それほどの放送事故っぽい失言だった。

それからかなり月日経って。
カラオケがテーマになった日、その人が好きな曲だと取り上げたのが、不倫アーティストの曲。
なんかその曲にものすごい思いいれが強いかんじの語りになって。

あー、この人、不倫してたのかなー、なんて余計な想像しちゃった。

仕事にじぶんの恋愛のぶぶんを見せてしまうのは、見せられたほうがなんかいたたまれないきぶんになるね。

リスナーからのメールで恋愛の話とか振られて、じぶんの恋愛体験を軽く話すナビゲーターとかいる。
そういうのは、恋愛がリスナーとのそのときの共通のテーマになってるから、そんな話をするのに違和感はない。

だけど、恋愛とぜんぜん関係ない話題やシチュエーションで、じぶんの生々しい恋愛語りをする、っていうのは、わたしは抵抗あることも多い。
それはわたしがひねくれてるから、かもしれないけど。

多くの人は、だれかの恋愛事情もいちいち気になったりするものなのかもしれないし。

バイトしてても、そこで働く人たちと私生活まで仲よくなるわけではないから。
バイト中の雑談に、働いてる人たちの私生活話ばかり飛び交うのがわたしは苦手だった。

子どものいる主婦の人たちは子どもや夫の話ばかりしてるし。
あなたの家庭の話なんてキョーミないんだけどー、っていう従業員にもずーっと聞こえるように雑談されてると、うんざりしたきぶんになってた。

個人的に親しくなったわけでもない人の恋愛やセックスの話も聞かされるのは好きじゃなかった。
じぶんもバイト先でそんな話、する気なかったし。
(でも、彼氏がいるかいないか、とか、おばさんたちにいろいろ聞かれたりしたよねー)

そういうプライベートな話は、仕事の場では、あるていどの親密な関係を築いた相手とだけこそこそして、っておもってた。
その人本人が、映画見に行ったとか、どこかに遊びに行ったとか、そういう話するのはイヤじゃないけど。
仕事してるだけの関係の人の、その人の人間関係まで及ぶ話はほんと、なーんにもキョーミないから。

書くお仕事の人たちとは、飲んだりするといろんな雑談する。
そういうときに恋愛話も出る。
女性しかいないと、えっちいな話も出る。

そういうのはイヤじゃない。
これは、仕事中、じゃなくて、飲んでるとき、っていう場の空気が公私の垣根をとっぱらってるんだとおもう。
でも、わたし自身はじぶんの話はほとんどしないんだけど。
彼氏はいないです、って、聞かれた時だけこたえる程度。

じぶんの恋愛話を人にする気がないから、人のそういう話もキョーミがぜんぜん湧かないのかな。

知り合う人の仕事の話は夢中になって聞いてる。
だけど、その人の私生活が丸見えのフェイスブックとか教えられても、わたしはだいたい見ない。
その人の家庭、なんてキョーミないし。

ネットでは私生活をいろいろ書く個人日記を読むのが好きなのに。
それは、実際に会ったりしない、じぶんのリアルとはなんにもからまない「離れた存在」だから、小説を読むように人の私生活もたのしめるんだろうね。

だから、わたしはネットであまり個人的な私信のやりとりもしない。
意図的にそういうのを避けてきてる。
直接個人的な話をしたい、という欲があまりない。

自然に親しくなる人はいる。
それはほんとに「自然」だから、人と人の結びつきが強まっていくのは、自然に任せていればいいとおもう。
なにも、だれもかれもとフレンドリーになって、「ネットで友だち100人できました」的な繋がりをがんばって作る必要なんてない。

友だちになる、っていうのは、目的でなく、結果。
わたしはそういう関係が合ってる。


ブリジット・ジョーンズを読み終えた。
ひきずりこまれた本を読み終えたときの虚無に、いま浸ってるとこ。

その世界がもう消えちゃうのが惜しくて、すぐに次の本にとりかかる気がなかなかしなくて。
次の本を読みだしたとき、あたらしい環境に引っ越したような、新鮮、というより、じぶんが世界になじめていない疎外感みたいなのがある。
読んでいくと、そのうちその本の世界にまた入り込めてしまうんだけど。

ブリジットはものすごいおもしろかった。
でも、あれもけっきょく、恋愛モノだからねー。

恋愛的にはっぴーえんどになって、おしまい。

恋愛ストーリーははっぴーな終わり方するのが好きなのに。
ブリジットのは、「独身の私生活」の話だったから。
わたしは彼女の恋愛にキョーミなんかなくて、働いてる30代の一人暮らしの女性の「ダメダメな日常」をたのしんでた。

でも、ブリジットは最初から、恋愛や結婚でしあわせになりたい目的はあった人だけど。

じぶんの日常で、「恋愛」の要素ってそんなにだいじなものかな。
そもそもがわたしはここで、いろいろ人とズレてるのかも。

彼氏が欲しいー。
って言ってるシングルの人より。

恋は二の次。いちばんは、じぶんのいろんな欲望。
みたいな、決して恋愛だけをしあわせの指針にしてないような感覚のシングルの人のほうが、キョーミ持てる。

それはじぶんが恋愛でしあわせになれてないから、ひねくれちゃってるねー。

とも、おもうけど。

恋愛でしあわせになれる機会は、ないわけじゃない。
それから逃げてるのはじぶん。
そんなじぶんを「なんで、じぶんからしあわせに背を向けるの?」っておもっても。

わたしのしあわせ、って、恋愛と直接リンクしてない、っていうのもわかってきた。

好きな人がいて。
その人といっしょにいて。
だから、離れていても、その人のことかんがえて。

好き。

っておもうだけで、こころがあったかくなって。

なーんていう感覚が、わたしにはなかった。

恋愛感情みたいなものを抱いてると、だんだんそういうじぶんがめんどくさくなって、えーいっ、ってじぶんの中から恋愛感情を放り投げたくなる。

川べりを車で走ってるときとか、その土手にえーいっ、って。
(ポイ捨てはいけません)

わたしをしあわせにするのは、他人じゃない。

っていうのが、わかってきた。

他人からしあわせをもらおうとしないから、わたしはいつまでも「他人」というものがストレスになってしまうんだとおもう。

他人は癒しにはならない。わたしにとっては。

恋愛できない体質だから、人の恋愛もどうでもよくて。
ブリジットは、わたし、もう少し彼女のシングルライフを見てたかった。

でも結婚しちゃうんだよね。
未亡人になっちゃうみたいだけど。

ブリジットのお母さんは、ある日とつぜん、家族離れ宣言をして夫と別居する。
還暦だったかな。
その年でテレビに出る仕事見つけて、ものすごいパワフル。

すごいおもしろいキャラだったのに、このお母さんは常に「男」の存在を必要としてた。
じぶんが輝く第二の人生には、男がいなくちゃダメなの。

そこが、わたしの感覚と合わなくて。
専業主婦だった人が、還暦でもバリバリ仕事ができちゃうパワーを持ってて。
それなのに、脱夫宣言したら、ちがう男とくっついちゃう、なんてもったいない。

家族に尽くしてたじぶんがバカらしくなったんなら、じぶんをかんぜんな「シングル」に解放すればいいのに。

っておもうわたしが、なんかいろいろ性格をこじらせてるだけのつまんないニンゲンなんだろうね。










だけど、こんな曲貼っちゃう。


わたしが愛してるのは。

孤独な感覚。
つめたくて、ひりひりして。
そんなところに裸足で立って。

足の裏から冷えてく感覚。

さみしい。

っていう感情を、たったひとりきりの部屋で抱く。

そういうのが好き。
そういう感覚を、わたしは愛してるんだとおもう。