幽霊屋敷に行ってみた。
こんなかんじ。
「墓場」はなぜこわいのでせう。
この箱にはいると、ガクガクブルブル震えるの。
◆
梅雨が明けないうちの猛暑はこわくない。
夜明けは肌が冷たいぐらいだし、昼間の日陰はひんやりしてるし、陽が暮れれば途端にすずしくなるし。
執拗に夜まで暑さを残さない時期の太陽とは仲よくなれそう。
梅雨のあいまの晴れは「洗濯物がすぐに乾く日」って、うれしくなる要素たっぷりだしねー。
きのう、きょう、と、また猛暑らしいけど、家の中はエアコンがなくてもわりとすずしく過ごせてる。
いまも部屋の中、扇風機だけですごいすずしい。
暑さをかんじると、冷却スプレーを剥き出しの肌にシューシューする。
スプレーはつかいすぎるとアトピーがでるから(わたしの場合)、さいしょにスースーさせたあとは、ただの水をちょくちょくスプレーして肌を濡らしてる。
そうすると扇風機の風がひんやりかんじるから。
真夏もこのままだったら、ぜんぜんエアコンレスでも快適にすごせるのになー。
そっちのほうがエコなのにー。
太陽が3つある星が発見されてたけど、「よってたかって凌辱」っていうイメージしかなかった('_')
太陽は真夏は一日置きでいいよ、出てくるの。
まいにち、張り切りすぎ。
いまの時期は夜明けはすずしいんだけど、酷暑の年の真夏は昇ってきたばかりの太陽の熱さをかんじてた。
いま、早朝シフトで出勤するとき、昇ってきたばかりの太陽と遭遇する。
爽やかな早朝のひんやりした風を窓全開でかんじながら、この太陽が数時間後には凶器になるんだよねー、っておもうと、「嵐のまえの静けさ」みたいで。
夜が明けて昇る太陽にフレンドリーな感情をつい抱くけど、数時間後にはこいつはこっちを熱中症で殺してくる殺人鬼になるんだからねー、とおもうと、夜明けから「油断ならない」現実に身構えする。
「ちょっと待って。わたしたちは仲よくできるはず。いまのままあなたが熱くならなければいいだけ。かんがえなおして」
早朝出勤するたびに、昇ってきた太陽と交渉するクセがついた。
いつか太陽との交渉決裂を理由にわたしはムルソー(by異邦人)になって、なんかいろいろ他害性行動に出ちゃうかな。
◆
ああ、そうそう。
わたしはムルソーねー、っておもった。
お母さんが死んでも、人前でそんなに泣かなかったし。
わたしの「受け止め方」が冷淡っぽい、とおもってる周りの人たちの反応を、わたしもかんじたし。
わたしは生きてるといろいろなにかやらかす。
罪みたいなこと。
それをした説明を求められても、わたしは合理的、論理的にこたえれない。
好きだった人からも最後通牒のメールで、わたしの非、がずらずら書き並べられてた。
わたしはそれひとつひとつを「これはこういうわけでこういうことをした」と述べて、「ああ、それなら致し方ないね」と相手を納得させる術を知らなかったし、そういうことをしようという気も持たなかった。
相手はわたしに死刑宣告をしたまま。
わたしの人格はそこで死刑にされた。
わたしの表面だけに裁きを下され、内面はだれも見ない。
いまだにそれをひきずるのは、死刑になったじぶんがあれから生き還ってないから。
確実にわたし、じぶんのなにか純粋みたいなぶぶんが死んだ。
法廷で饒舌にじぶんを弁護するキャラクターにも永久になれないじぶんだけが生き残る。
そんなことにべつに自己陶酔する気も自己憐憫に陥る気もない。
暑くて、こんな時代にエアコンすら満足に持たなくて。
季節が変わるのを肌でかんじて、肉体で苦痛を受け入れ、そのことにそのうち慣れて、それは鈍感になるのに等しくて、じぶんを鈍らせながらわたしはどろどろ生きてる。
こういう生き方も無自覚な貪欲、だとわかってるような気もするけれど、貪欲に生きようとするじぶんはまだ認めきれず。
だんだんと蒸し暑さをかんじると、かわいてた肌が湿ってくる。
この感覚は好き。
エアコンをつけて合理的快適を得るのが知的な暮らしなのだとしたら、わたしの暮らしに知性はない。
プリミティヴともちがう。
部屋にじっとしていれば、暑さをかんじない、そんなギリギリの季節。
アクティヴな人ほど熱中症で死んでいく、っていう方式。
動きたければエアコンを買うお金を稼いで文明的に生きるしか、生き延びる方法はない。
わたしはお金もないから、じっとしてる。
それが意外に快適だから、文明的に生きなくてもヘーキな気になって、お金を稼ぐ知恵をつける努力を放棄する。
感情も、波風立てれば汗をかく。
だから、なんにもかんじないふりをして、日陰にじっとしてるトカゲみたいに、じぶんを生き延びさせる場所を見つけたら動かない。
◆
NHKで佐藤オオキさんモデルのデザイナーのドラマが9月からはじまるんだって。
見たい見たい見たい見たい。
っておもったけど、テレビないし、いまのNHKになんにもお金払いたくないから、たぶん、見ないまま。
◆
シーサーブログを「孤独時間」ってタイトルにしたのは。
孤独暮らしのいろいろを書きたかったから。
でもまだ、アメーバのこっちの日記と書き分けの基準がじぶんの中ではっきりしないー。
分別ができないあたまだからねー。
孤独はわたしにとってぜんぜんネガティヴなものではなくて。
だから、「ぼっち」の自虐、ではない孤独暮らし日記、みたいなもの。
うまい書き分けをかんがえるヒマは今週はもうなさそうだから、またそのうちに。
こっちはただのピグ日記にしちゃってもいいんだけどねー。
ブログをふたつ同時にもつほどの内容でもないし、読者も少ないんだから、整理整頓して読みやすくするニーズもだいたいないブログだし。
あれ。
これ貼ったっけ?
貼った動画の一覧があればいいよねー。