ぴのさんちで念願のベッド♪
こんかいのライフイベはラプンツェル。
わたしはぜんぜんキョーミないからお休みしようかなー、っておもったけど。
メインのクリア報酬がすごいほしかったから手をつけた。
でもー。
こんかい、ものすごいクリア条件タイヘンっぽいー。
ランダムクエストなんてぜーんぜんひとつもクリアできないし。
ワールドはどうしよう、っておもいながら、素材だけ集めてまだぜんぜんメインクエストも発動させてない。
サンバを踊るアクション報酬はほしい気もするけどー。
本家ピグの無料がちゃでブランコ当たったから、ひさしぶりにじぶんのお庭に置きにいってみたら。
じぶんのお庭がぜんぜん見覚えないかんじになっててびっくり。
これ。
わたしがやったの?????
秋にもらった銀杏のタイル。
あんまり気に入らなかったからもらったままにしてたはずなのに、ちゃんと並べられてるし。
背景がいつのまに海になってるし。
この背景、どこからもらってきたの?
えー。
これ、わたしがやったの?????←ぜんぜん記憶ない
テーブルにキャンドルもあるよねー。
これはだれかが置いてってくれたのかなー。
いっしゅん、不正ログインされちゃったのかな、っておもったけど。
ほかの場所はなにもかわってないんだよね。
だから、じぶんでやったのに、ぜーんぜんおぼえてない、ってことなのかも。
でもー。
でもー。
タイルの並べ方とか(わたしの感覚だとこんなふうにぜったい並べないとおもう)、どこからゲットしたのかわかんない背景とか、ほんとナゾ。
◆
日曜月曜とものすごい高温の天気予報が出てたから、梅雨明けしちゃうのかなー、っておもったら、梅雨の中休みでまた明日からすずしくなるみたい。
6月がおわる頃になると天気予報見てて。
20度台だと「わっ。ものすごいすずしい」っておもう。
30度だと「あ、まだそんなに暑くないねー」っておもう。
32度ぐらいだと「まあ、これぐらいなら」っておもう。
34度で「あー、暑いのかー、やだなー」っておもって、35度で「真夏!」っておもって、36度で「ぎゃー、かなり暑そう」っておもって、それ以上の高温だっていつかフツーになるよね、って覚悟はしてて。
感覚が温暖化に慣れてる('_')
きのうから室内も一気に暑くなった。
その前日までは、外がどんなに暑くても家の中はものすごい快適だったのに。
どんな条件でがらっと室内まで高温になるんだろ。
ゆうべは熱帯夜なのかなー、っていうぐらい、うちの家の付近でも夜明けまで蒸し暑くて、夜更けに水シャワー浴びたけど、部屋でそのすずしさがあんまり持続しなかった。
ことしの夏はまた熱帯夜ばっかになるのかな。
6月の後半から一気に裏側の庭のところの草がのびきって、わたしの腰ぐらいまでの草むらになってすごかった。
歩くと黄緑のちっちゃい虫が肌につく。
これ、ちくちくしてかゆいんだよねー。
虫をどければ、別に刺されたあととかなくてかゆみも残らないんだけど。
草むしりしなくちゃダメー?
ってうんざりしてたけど、大家さんがいつのまにきれいにしてくれてた。
◆
きのうは正確な四十九日じゃないけど、日曜だからその日にやった。
葬儀のときには来れなかった親戚の人や、まだお知らせがぜんぶまわってなかった親戚の人たちが、いろいろ四十九日には来たがってくれて。
でも、出席欠席のハガキのやりとりするわけじゃないから、当日はいったい何人の人が来てくださるのかぜんぜんはっきりしなくて、会食のお弁当の手配にものすごい悩んだ。
車で来る人や電車の人とかばらばらだから、うちの一族は法事のときはどこかのお店をつかうんじゃなくて、お寺さんでお部屋借りて会食するんだって。
その日はうちの前にも納骨のおうちがあったけど、そこの人たちはよそのお店で会食してた。
そういうのもなにもわかってなかったから、ひとつひとつおぼえていく。
お祖母ちゃんのほうの親族はだいたい何人、お祖父ちゃんの親族のほうはだいたい何人。
って見当つけて、それでけっこう余裕見た数のお弁当を頼んだけど(余れば持ち帰れるって言われたから)、結果的に1つ足りなかった('_')
1つだけならじぶんたちの分がないことにすれば来て下さった人たちに失礼なことにはならないから、ほっとしたけど。
こういう手配ってむずかしいねー。
わたしと弟で1つでいい、ってことにして席をつくった。
葬儀のときは葬儀屋さんがこういうのぜーんぶやってくれたけど、四十九日はお部屋の準備やお食事の搬入までは業者さんやお寺のお手伝いさんがやってくれるけど、配膳と片づけはじぶんたちでやる。
弟はなーんにもやらないから、「少しは動けー」って耳元でなんどもわたしは文句言ったけど、なにやればいいのかかんがえるあたまを家に忘れてきたみたいで、お客さんのようにぼーっと座ってただけ。
叔母さんはぜんぶの親戚の人たちをちゃんとわかってるから、来て下さった人たちのいろいろ話相手をしてて。
わたしは配膳でばたばた動いてたら、お母さんが亡くなった日に偶然墓参に来てた親戚の女の人が、ものすごいてきぱきいっしょにやってくれた。
横溝正史の映画とかで、だれかが死んで親族ぜんぶが葬儀に集まってるシーンで、女の人たちだけがばたばたお台所で働いてるのとか見たことあるけど。
あんなかんじで、自然に親戚の人たちがそれぞれの役割があるみたいに分かれてておもしろかった。
親戚の中では上下関係がはっきりしてるから、上の人たち(年配の人とか)は、いちばん大事にされる。
そのまわりで、下の世代の人たちは、お客さん的にぜんぜん動かない人と、ばたばたお手伝いに動く人と自然に分かれる。
ビールとか飲み物が冷えたままはいってる保冷ケースが、わたしとその親戚の女の人だけではぜんぜん動かせなくて。
うーんうーん、って唸って弟呼んだのに弟は聞こえないふりしてて。
ほかの男の人たちはだれもそういう席では座ったまま動かなくて。
そしたら、お母さんのいとこのおじさんがものすごい軽々持ち上げて運んでくれた。
わたしといっしょにお食事の用意してた親戚の女の人のあいだでは、そのおじさんが一気にヒーローになった。
親戚の人たちがみんな集まるのはたのしい、っておもった。
こんなときに不謹慎かもしれないけど、親戚の人たちも「こんなときしかみんなに会えないからねー」って、いろいろたのしい雑談も交わしてて。
だいたいそういうときは、結婚式とかより法事ばかり、なんだけど、そういう法事のときには結婚した夫婦の両方の親戚筋がみんな集まる機会になってるんだねー。
お母さんの法要にはお父さんの親戚はぜんぜん連絡もしてないし(亡くなったときはお母さんは独身だから、元夫の一族なんてもう関係ないし)、だれひとり来てなくて。
お祖母ちゃん方とお祖父ちゃん方の親戚、が、「親戚一同」ってことになってる。
おもしろいなー、っておもったのは。
お祖母ちゃん方の親戚の人たちは、お祖父ちゃん方の親戚の人たちを、じぶんたちより上、の立場に見てて、ものすごい敬意を払ってること。
お祖父ちゃん方の親戚は別に反対に相手を下に見てるわけじゃなくて、おなじように敬意を払ってるんだけど、なんとなく「上下」ははっきりしてる空気をお祖母ちゃん方の親戚の人たちがつくってて。
四十九日では、お祖父ちゃん方の親戚のものすごい高齢の方(親戚では上のほうにいる方)たちが来てくださって、予想してなかったからみんなびっくりした。
80代後半から90代後半の方たちだから。
お祖父ちゃんって、ものすごいいい家柄だったんだー、って、これもものすごいびっくりした。
ものすごい「淑女」なの。
どの方たちも付き添いの人がいて、でも歩くときは絶対じぶんで歩くの。
足元危ないかなー、ってわたしが手を添えようとしたときも、「じぶんで歩けなくなったら、それはもう外に出てはいけないときです」っておっしゃって「手出し」は断るのね。
「大おばさま」ってかんじの方たちで、この大おばさまたちの話がものすごいステキだった。
じぶんは女だから髪やお化粧のことがちゃんとできなくなったら、もう外には出かけていけない時期、って決めてるんだって。
だから、お化粧ができない入院とかしたら、だれも来ないように、って言ってて。
髪やお化粧がものすごいきれいで、喪服のレースの飾りとかも見とれちゃうぐらいにものすごいステキで、ゆっくりしか動けないけど、ものすごい立ち居振る舞いが上品で凛となさってて。
ほんとにものすごい「レディ」なの。
だれのことも「さま」をつけて話すの。
「○○さまは」って。
ものすごい「美しい敬語」をつかうの。
小説の世界みたいにうっとりしちゃうぐらい、美しい日本語を話すの。
高齢すぎるから、下の世代の法要にはもう出てくるのがタイヘン、ってお祖母ちゃんも声をかけてなかったんだけど、いろいろ親戚からお母さんのことが耳にはいって。
お祖父ちゃんの長女の法要には出ないわけにはいかない、って来てくださったの。
こんなステキなおばさまたちと血縁なんだー、って、なんかものすごいうれしくなった。
叔父さんの葬儀のときは、いろいろ事情があったから、そこではわたしはお会いしてなかったんだよね。
四十九日はお父さんも呼んだ。
お祖母ちゃんが、そうしてあげなさいって言ったから。
お父さんはお母さんのこと知ってから、法要に出たがったからねー。
お父さんには、「一族」の顔していろいろ言ったりしないでね、ってわたしが釘刺したけど。
じぶんのかなしみとかは、その場では出さないでね、って。
じぶんが主役みたいに泣かれるのがお母さんはイヤがって、おしえないで、って言ってたから。
そしたらお父さんはほんとに、ものすごい目立たないようにしてて、親戚の人たちが滅多に会ったことがない「お母さんの元夫でわたしと弟の父親」にびっくりしてお父さんにいろいろ話しかけたけど、お母さんがイヤがるようなことはぜんぜんしなかった。
お父さんもああいう場ではものすごい上品なんだなー、ってわかった。
「大おばさま」たちから話しかけられて、お父さんもどっかの高貴な紳士、みたいなかんじで自然に話し相手になってたから。
ファッションオタクだから、喪服も見ただけでものすごい「上質なかんじ」のを着てたし。
お父さんって礼服着ると、ものすごいカッコイイ上品オトコになるからねー。
納骨の時間帯がいちばん暑い時間で。
墓石の照り返しもあって、墓地は数秒できぶんわるくなるぐらいの凄まじい暑さだった。
うちのお墓は陽当たりがものすごいいい場所だったし。
そこにみんなで出たけど、あんまりすごい暑さだから年配の親戚の人たちが心配になって「どうしよう」っておもってたら。
お父さんは目立たない場所に立ってたから、そこが日陰で。
まだ真夏じゃないせいか日陰は信じれないぐらいものすごいすずしかったから、お父さんがさっと、高齢の大おばさまたちを日陰に誘導してた。
そういう気配りはすごいなー、っておもった。
それでわたしと弟以外はみんなお墓から離れてるけど日陰に行ってもらって、ふたりで石屋さんが骨壺をお墓に入れてくださるのを見てた。
石屋さんのおじさんたちも、汗がぽたぽたシャワーあびてるみたいに流れ落ちてて、きぶんわるくならないかものすごい心配になった。
わたしも喪服着てたから、余計に暑くて、喪服の下でものすごい汗が流れてて、あたまはぼーっとして倒れそうだったからねー。
お墓の中はまだまだ広くて、「これならみんなはいれるね」って弟がなんかうれしそうにつぶやいてた。
真っ暗ですずしそうだったから、お母さん、すずしいとこにいれてよかったね、っておもったし。
お祖父ちゃんや叔父さんの骨壺がそこにあったから、お母さん、さみしくないね、って安心したし。
副住職さんがお墓の前でお経読んでくれようとしたけど、あんなすごい袈裟着てたら数秒で倒れちゃう、っておもって、お墓から離れた日陰でいいです、って言った。
そんなわけにはいかない、っておっしゃってくれたけど、親戚の人たちも「きょうの暑さは病気になるから日陰でいいですから」ってみんなでおねがいして、日陰のところから読経してもらった。
石屋さんが「お坊さんまで日陰で」って呆れてたけど、うちのお寺の住職さんって、そういうテキトーな柔軟性があるからわたしは好き。
とくに副住職さんは、あんまりお坊さんらしくなくて、納骨が終わってからじぶんの戦闘もののキャラのプラモコレクションを弟とわたしに見せてくれて、自慢語りをたーくさんしてくれておもしろかった。
お坊さんなのに戦闘モノが好きで、それを隠さないとこがおもしろい人なんだよねー。
石屋さんの人たちだけずーっと日向でいろいろしていただいて、「こんなに暑い中をありがとうございます。暑すぎて具合わるくなってませんか」って、これはほんとにこころからお礼と心配を言ったら、「だいじなお仕事をさせていただいてるんですから気になさらないでください」って。
葬儀屋さんといろいろお話したときもおもったけど、こういう仕事は「仕事舐めてる」ような態度では勤まらないねー。
故人や遺族に対する敬意を「自然体」にだせるお仕事の人たちをすごいとおもった。
お父さんは、いろいろ遠慮したみたいで会食には残らないで帰った。
お父さんもいたらお弁当が2つ足りなくなるとこだったよねー。
弟はなーんにも気配りしない人だから、わたしがばたばた動いてるあいだに「ふたりでひとつね」って言ってたお弁当をぜんぶひとりで完食してた。
わたし、朝からなにも食べないで、バイトの早朝勤してから駆け付けてたのにー。
弟はずっとお母さんといっしょに暮らしてたから、いろいろかなしがってるのをわたしよりは心配されてる。
だから、日曜はなるべく弟と食事をする、ってことになってて、叔母さんとわたしと3人で外食するようになってる。
弟のことは気になるけど、わたしも毎日いろいろ忙しくて、日曜の午後から月曜だけがなーんにもしなくていい「かんぜんオフタイム」にしてたんだよねー。
でも、いまは弟も心配だから、って、その時間に都内まで出かけて。
だけど、弟はそうやって周りから心配していろいろしてもらってる、ってことにはぜんぜん自覚がないから、そろそろ毎週弟と外食するのってやめにしたいー、ってひそかにおもってる。
そういうわたしのほうが、すごいつめたいのかなー、って罪悪感もあるけど。
親戚の人とひととおり顔合わせして、みんなと連絡先を交換しあって。
これでこれから「親戚づきあい」の窓口はわたし、になった。
弟はノータッチ。
いろんな法要のこととか、お母さんのことでのいろいろな手続きとかも、弟はノータッチ。
ひとりっこみたいだけど、「お母さんに死なれた」弟の面倒をみる義務もある。
学校に通うあいだは叔母さんと暮らすことになってるけど、その先はわたしと同居になるのかなー。
発達障害的な弟には自活能力ないとおもうから。
弟と同居暮らしはやだよねー、っておもうけど、わたしが弟の面倒みなくちゃいけないんだよね、たぶん。
でも。
わたしの面倒はだれがみてくれるのー。
お母さんがいなくなって。
さみしい、とかそういう感情とはべつに。
これからもうなにがあっても頼れる人はいない、っていう不安がある。
実際にはお母さんにいろいろ頼って生きてたわけじゃないし、これからもそうするつもりもなかったけど、でも、「お母さんがいる」っていう感覚はこころのどこかでセーフティネットみたいな安心感があったんだとおもう。
そのときは無自覚だったけど、いなくなってから、「いたときの安心感」に気づいた。
弟はどうなんだろう、っておもう。
そういう話を弟といろいろしてみたいけど、そういう話がまともにできる人じゃないからねー。
弟がいても、わたしはなんの安心も得れない。
じぶんの不安をシェアする相手にもならない。
じぶんのかなしみとかそういう感情は、じぶんの家の中だけに放ってて、そこでひとりでいろいろをおもう。
弟も、そうなのかな。
弟のかなしみも、わたしにはあまり見えない。
お母さんと「死後」の話をいろいろしたときは、すごい泣いたりしてたし、葬儀のときもめそめそしてたけど。
そのかなしみを、いま、どんなふうにかかえてるのか、そういうのはわかんない。
きょうだい、って、そういうものなのかな。
これからは「きょうだい」しかいないから、いまになって「きょうだい」の関係をいろいろかんがえちゃうね。
こんかいのことで、「親戚一同」がだいたいわかってきた。
親戚って、べつにめんどくさいものじゃなくて、みんなで会ったりするときはたのしい、っていうのも知った。
血縁、ってすごいとおもう。
血がつながってるだけで、滅多に会わなかったり、ぜんぜん会ってない人とでも「身内」のつよいむすびつきがあたりまえにあって、フツーに相手を思いやるきもちで親しく話して。
他人の親しさ、とはぜんぜんちがうねー。
どうちがうか、うまく言えないけど。
わたしのお母さんは、こういう親戚づきあいをほとんどしないでいたみたいだけど、お母さんのおかげで、わたしと親戚がむすびついた。
みんな、わたしのお母さんのこと、なんでもいろいろ知ってる。
そういう話を聞くのもおもしろい。
親戚の人たちは、みんな、お母さんのこと、いろいろ評価がたかくて。
ぜんぜん会ってない人たちからもお母さんは愛されてるのがわかった。
そんなお母さんがケッコンした人だから、って、お父さんにも「いろいろ問題」があるのは知ってても、それでも少しでもいい評価をしようって目で見てくれてるのもわかった。
うちの親戚の人たち、みーんな、やさしい人ばっかだねー、ってかんじた。
だから、夫方と妻方の親戚が敬意を示しあったり、本家もたーくさんの分家もみんな仲良かったりして、親戚同士の争いがいままでいちどもなかった、っていうの、納得しちゃう。
これからのたのしみは、90代の大おばさまのとこに行き来していい、って言われたこと。
あんなステキな「おばさま」の美しい日本語がたくさん聞けるのは、すごいうれしい。
親戚、っていうのも、じぶんが「知らなかったわたしの世界」だね。
じぶんの世界は、まだ開けたことのない扉がいくつもあるんだろうねー。
その扉の存在すら、まだ知らないまま、で。