きょうの太陽から 2013年12月20日 | すずきふみよしの「星の音を聴く」

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

サビアンシンボルは
射手座28度「美しい流れにかかった古い橋がいまもなお日常的に使われている」

このシンボルのキーノート(基調)は
「集団性の日常の必要に個人の天賦の才を有意義に関連づける能力を明らかにする、社会の永続的な要素」

きょうはどんな日?
持続すべき残すべき伝えるべきものが必要最小限に絞り込まれ、個人の美と倫理に従って自然との調和のなかで浮き彫りになるときです。

共有を目的として理念や理想を具体化し可視化する必要が、いよいよ内面からの要請によって生じ、またそれを実行できるときというのがきのうでした。個人的な動機に突き動かされて創作に向かう彫刻家のように、自分のビジョンによって素材となるものの形態を変容させる。大義に献身して生きた旗手と同じように精神は純化されかたちとなって残るだろうという具合でしたが、具体化に向かってとり組めたでしょうか。きょうはおとといときのうの統合に向かいます。

私を捨てて大義に生きた旗手と自身の創作に向かう彫刻家。両者の統合は、自然の美と人間の技術および想像力の結合という姿をとります。非常に古典的な芸術観の一例としてアリストテレスは「芸術は自然を模倣する」と述べたとされていますが、それを達成し得るのは技術があってこそです。印象主義的なとらえ方としても、自然に触れて引き起こされた感興を芸術のなかに描き出し表現するには技術を要します。「彫刻家」の作風や意図がどのようなものかはさておき、芸術表現に技術は不可分の要因です。一方で、戦争とは人間の営みのなかで最も技術が――とりわけ科学技術が突出した顕在化を見せるものです。武器や兵器、通信、運輸など、戦争によって発達した技術さえ数多く存在します。その評価はどうであれ戦争が極端に人間的な営みであることは衆目の一致するところでしょう。しかし戦争は同時に人間が生み出す最大級の無駄の極みでもあります。そしてそれに美を感じるか否かは、人それぞれ判断の分かれるところであるなどというレトリックではおよそ収拾のつかない問題を投じるものです。こうしたことを踏まえて両者の統合は先述のような姿となっていくわけです。芸術とも戦争とも異なるその姿が、端的に明瞭にシンボルに描かれています。橋は言うまでもなく人間の技術の産物であり、怠ることなく手を加えられることによって長きにわたって使われ続けています。生きた知恵を用いそれによって日常生活のなかに美を維持することがここでは示されています。そしてこれこそが射手の季節の後半のテーマである〈転移・譲渡〉の最も核となる部分なのです。なにを社会全体に還元していくのか、その真髄と呼べるものがこの光景に描き出されているのです。残し得る、そしてまた残すべき永続的なものとはなんであるのか、最も大切なもののヒントがここにはあるのです。よく見て、よくかんがえてみてください。みずから率先してなにかをはじめたり主導権を握って人をまとめたり責任ある決断を下すことがまったく欠落してしまう傾向が見られるときでもあります。優柔不断もほどほどにしなければ大切なものを残せません。