新聞記事 | 源行近のブログ

源行近のブログ

山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

山陰中央新報 2021年(令和3年)8月13日

「瀬戸山城跡じわり人気」

整備進み登りやすく 御城印ツアーも!!

中世の山城で戦国大名・尼子氏の支城「尼子十旗」の1つ、瀬戸山城跡(島根県飯南町下赤名)の環境整備が進む。
地元住民らが登山道を整え、探訪ツアーを開いたところ、じわじわと知名度が上がった。
5~6月には本丸南西部の遺構周辺の木々を伐採。眺望を向上させ、歴史ファンをさらに呼び込む考えだ。(清山遼太)

「尼子十旗で連携へ」

瀬戸山城は衣掛山(631m)に築かれ戦国時代に出雲、石見、備後(広島県東部)3国の国境に位置する要衝で、尼子方の武将赤穴氏の居城だったとされる。毛利氏が攻略のため東側の武名ヶ平(724m)に陣城を構えたと伝わる。今も本丸や二の丸、三の丸の「郭」と呼ぶ平坦な地などが残る。
住民グループが城跡に光を当てようと2008年、登山道の整備に着手。
20年には城巡りファンの要望を受け、飯南町観光協会が御城印を発売。今春には本丸で朝食を味わうツアーが開かれ、盛況だった。
さらに魅力向上のため町や観光協会、地元住民が本丸南西部の駐屯施設「南西郭群」周辺で約250本を伐採。武名ヶ平山頂付近の木々も約150本を伐採し、それぞれ眺めが良くなった。
島根県東部各地にある尼子十旗と連携して、情報発信しようと交流も始まった。
7月には出雲市の「尼子十旗顕彰会」の訪問を受け、意見交換。今秋には奥出雲町の住民との交流を予定し、山城を生かした観光振興を話し合う。
飯南町観光協会の芥川さんは「こうした活動が活発になって地域のにぎわい創出につながればうれしい」と話した。