高瀬城(高瀬山) | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

9月の高瀬山にのぼってきました。

尼子十旗高瀬城は米原氏の居城。

尼子十旗顕彰会が発足し、飯南町赤名の瀬戸山城(尼子十旗)の研修から様々な事を学びました。今月には顕彰会の各委員の集まりがあります。城跡の整備についてはまだ話がありませんが、案内板の設置、木々、草花の調査、出城の調査、城跡ガイドなど今後の活動を各グループで話し合います。

私としては一度城跡の現状を見ておく必要があると思いました。なので今回は山にのぼってみます。
高瀬山登山口は斐川町に二ヶ所あり、主な登山口は宇屋谷からのぼっていきます。車は数台おけますが、専用駐車場ではないので路肩におく感じです。

入り口には古い案内板があり、その先から階段が途中まであります。その先から粘土質の滑りやすい道となっていますので、登山者に優しくありません。ここも安全対策が必要そうです。
よく見ると現在の階段が設置されているのは尾根の斜面にあたり、旧登山道が右手に見えます。整備すれば旧道が歩きやすいようにも思えます。

しばらく歩くとやがて三の丸(鉄砲立)に着きます。


案内板はやや手前に置いてあり、その先の細尾根を過ぎた広い空間が鉄砲立です。固屋谷や細尾根をわたる敵を迎撃する。郭で東側には土塁をもうけています。


「土塁」

土塁上からの展望、山陰道が見える

この三の丸跡も見所の1つなので周囲の草木の剪定をして案内板設置すると良いかもしれません。
城の特長には土橋状の尾根や登城道を堀底として両側が壁になるように狭くしているところなどが多く見受けられ、敵を一列にさせる工夫がなされています。


やがて七曲へとやって来ました。ここもゴツゴツした急坂なので危険な場所です。ロープなどの安全対策が必要そうです。
濡れていると下り坂で大怪我しそうです。

七曲を登れば中間地点の駄置場です。ここに物資を置いていたと云います。北側に土塁があり、入り口には門があったと想像できます。


駄置き場を中心に右手に二の丸、山頂に至り甲の丸があります。主に二の丸が主郭とされ、有事の際は甲の丸に詰めたとされています。最後の砦といったところです。

駄置場付近は笹が多く本来の広さはありません、笹を刈って土塁を見れるくらいにして、ベンチの設置や門でも建てて見たいところです。笹は地下茎ですが、小まめに刈ればやがて枯れていくようです。
二の丸へは度々足を運んでいますが、ほとんど整備されていません。もう少し注目してもよいのでは、こちらの山頂は周辺の木々を伐採すると、展望が開けてパノラマで斐川町が見渡せるとおもいます。

さて甲の丸に至る道は登山者が多く歩いていますので、特に問題はないと思いますが、郭群が以前に比べて木々などで覆われてきています。


以前は展望がきいた場所も今では見れない、秋になれば少しは良いかもしれません。

財宝探しに夢中になった若者どもが夢の跡

甲の丸に到着


大黒山

斐川平野

まだまだ汗が出てくる季節、もう少し快適になれば城歩きを本格的に再開します。