「結界説」支持者のオレが「愛媛妄想結界説」を撃つ! | madomagi966のブログ

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魔法少女まどか☆マギカ 映画[新編]叛逆の物語 の考察ブログ
--ネタバレ全開--

当ブログ記事は次のブログ記事への補足記事です。
「結界説」支持者のオレが「愛媛妄想結界説」を斬る!

上記エントリは挑発的なタイトルを付けたものの「愛媛妄想結界説」を紹介しただけの、完全に題名詐欺のブログ記事でした。

今回改めて愛媛結界説に反論/ダメ出しします。各論的に各個撃破します。
当ブログ記事の主な目的は、「叛逆の物語最後はほむら結界の中」といういわゆる結界説の妥当性を示しながら、愛媛妄想結界説の誤り部分を指摘すること。

愛媛氏が「○○の理由で叛逆の物語最後はほむら結界の中に違いない!」とか「叛逆の物語最後はほむら結界の中 → だから××だ!」と主張する「○○」や「××」の部分が出鱈目であると示すことです。

以下愛媛の主張を茶色
当ブログの解釈を青色で示します

愛媛の主張は前回記事から、反論を述べやすいように順序を並べ替えて抜粋します

愛媛の妄想結界説

愛媛は自身の「結界説」を次のように表している
>此方(こちら)の結界説は「円環の保護とQB打倒のための世界結界説」であると

>愛媛結界説では、ほむらでは 真のまどか を復活させられない。
>だからせめて円環を守ろうとしている。最終的に円環を守るには、
>円環を狙う人類の敵QBを完璧に打倒する必要がある。

>結界内のまどかはほむらが自らを慰めるため飼っている人間人形まどかにすぎない。

反論1)ほむらは円環から人間まどかを復活させた

叛逆の物語を観賞して普通は次のように感じると思います。
・ほむらの叛逆でまどかは人間として生きられることになった
・ただしまどかが何らかのきっかけで円環の役割を思い出しかねない不安定な状態

愛媛の解釈では、ほむらはまどかを復活させられないのでせめてまどかの遺した円環システムを保護するため結界を拡げて円環を護った、とのことです。
・・・映画の結論がこれではずいぶん情けない話です。

確かに劇中でほむらは円環を護るために行動しました。
それはほむらが結界の中で魔女化して魔法少女(マミさんや杏子)に
滅ぼされることによって、円環がQBに観測されないように図ったこと。

しかし円環の使者を含む魔法少女達の活躍でQB結界(干渉遮断フィールド)を内部から破壊することに成功して、QBに観測されずにまどかの救済を受けられる状態に至ったのです。

この時ほむらの頭の中に「円環を護らなくては」という考えがあったとは考えられず。
そのような描写もありません。

強いて言えば製作者らのインタビュー記事で「あそこでほむらが叛逆しなければいずれQBは実験を繰り返して円環観測に成功しただろう」という発言があります。

当ブログの過去記事で詳説しています。
ほむらの叛逆がなければ円環の理はいずれQBに支配されたはず
確かに上記ブログ記事のタイトルにあるように「ほむらの叛逆がなければ円環の理はいずれQBに支配されたはず」。
しかしこの発言はほむら叛逆の正当性を増すための後付けの発言に思われ。
脚本家も制作時にそこまで考えていた様子はありません。

ほむらはQBに観測されない状態でまどかの浄化を受ける機会を得ていました。
それにもかかわらず自身の浄化を受け入れずに叛逆したからこそ視聴者に衝撃を与えたのでしょう。

「全ての魔法少女はSGが濁り切ると円環される」という秩序を破り、ほむらは独り円環を拒み魔女化して世界を改変。

まどかに人間としての人生を歩ませたい=まどかと同級生として暮らしたいという欲望を選んだ。

(ほ:欲望よりも秩序を大切にしてる?)
(ほ:それでも…私はあなたが幸せになれる世界を望むから・・・)

(ほ:どんな姿に成り果てたとしても、きっと平気だわ。あなたがそばにいてくれさえすれば※)

※この台詞は「浄化され円環に導かれてまどかと一緒になる」ことの覚悟と視聴者をミスリードするもの。
実際にはこの後浄化を拒んだことから、この時点で「魔女化して改変世界でまどかと暮らす」覚悟であったと自分は解釈しています。


自分は叛逆のラストを以上のように捉えていますが。
少なくとも叛逆ラストのまどかが偽まどかという愛媛の解釈は普通でないと思います。

>結界内のまどかはほむらが自らを慰めるため飼っている人間人形まどかにすぎない。
「ほむらがまどかを飼っている」という発想には狂気すら感じます。


反論2)QBは打倒すべき存在でなくて折り合いをつけて共存すべき存在

 下に虚淵氏の、QBは人類の敵として打倒すべき存在でなくて折り合いをつけて共存すべき存在、というような発言をwikipediaから引用します。
 しかし脚本家虚淵氏がこう語っているから、そういうアニメ作品なのだと言いたいわけではありません。重要なのは虚淵氏のそうした意図をアニメ作品で正しく伝わるかどうか。

 脚本家の意図に反して、はたして完成したアニメ作品は愛媛の言うように「QBは憎むべき人類の敵」と描いているのでしょうか。

 自分はそうは感じません。旧作のほむらはQBを敵視するようになったのはストーリー上仕方ないですが。まどかはQBを人類の敵と憎むことはなく、QBの生み出す「魔法少女」を肯定。希望を願った魔法少女が最期魔女になるという法則は認めることはできず、その法則だけ打ち壊しました。
ほむらも旧作の最後ではQBへの態度が軟化。
叛逆の最後で悪魔ほむらの、撤退しようとするQBを捕獲して撫で回すさまは屈折した愛情すら感じられます。

 個人的にはまどか☆マギカ世界は旧作と新編を通して虚淵氏が意図したようにQBは人類の敵/絶対悪でなく価値観の異なる異質な存在として正しく描かれているように感じ。当作品を視聴して「QBは憎むべき人類の敵」と感じる愛媛氏のような方はアニメ作品の読解力が低いように思います。

そしてまどかマギカシリーズのラストはQBを打倒して終わるはず/べきだと主張する愛媛は、本当に同じ作品を視聴しての感想なのか不思議に感じます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/魔法少女まどかマギカ  より虚淵発言を引用----

虚淵によれば、本作は少女の祈りが突っぱねられて無情に転がっていくだけの世界から、少女の祈りが肯定される魔法少女の世界に変わるまでの物語となっており、「少女の祈りを世界が良しとするか否か」がテーマとしてあるという[80]。

また虚淵は、折衝というテーマが念頭にあるとも言っており、本作の結末は諸悪の根源を打ちのめすものでも和解を描くものでもないかたちに落ち着かせたかったとしている[81]。劇中におけるキュゥべえの契約についても、電気代を無料にすると言われて家の裏庭に原子炉を置かれるようなものであると説明し、そのような理不尽な契約はお断りであるとしつつも、原子力がそうであるように、魔法のような力にも様々な対価やリスクがあるが、それをただ否定するのも間違いであり、悲劇や犠牲を無駄にしないためにも折り合いをつける方法を探し続けるべきではないかと虚淵は述べている[64]。

---以上Wikipedia引用----


愛媛はほむら叛逆について次のように解釈している

(0)叛逆の物語でまどかがほむら救済に現れる場面について
 (ほむら)ここでまどかに救済されたらまどかをQBの企みから守るものがいなくなる!
  →救済を拒否 (わたしがまどかを守らなくちゃ!)

これについては反論1)で述べました

(1)ほむらは宇宙規模の結界を展開してQBを捉えようとしたが、
 宇宙全体を覆うことはできず失敗。一部のQBはほむ結界の外に逃げ延びた。
  →逃げたQBは再び円環支配を狙ってくるはず。
   いつかQBが円環を支配する前に決着をつけなければならない
(逃げたQBの一匹がほむ結界にスパイとして侵入したのを捉えて
 ボコったのが叛逆最後のボロボロQB)

>ほむら結界は大部分のQBを支配できたが支配から逃れたQBも残ってる。
>結界から逃れたQBは円環支配を狙っており、いずれ目的を遂げるだろう。
>ほむらは円環が支配される前にQBを完璧に打倒しなければならない。

反論3)ほむ結界は全宇宙を覆い世界改変した

愛媛案は「オレはこんなふうに思ったよーー」などと一案として掲示板やtwitterで
提示しても構わないですが。
愛媛「オレがこう感じたんだから絶対これが真実だ」と主張するには
説得力に欠けると思います。

自分の解釈ではほむ結界は全宇宙を覆い世界改変した。
結界に全宇宙を取り込んだから「世界改変」になった、という考えです。
(QB: 世界が書き換えられていく…)
QBを従えたのは魔女の精神操作能力。
最後のボロボロQBは、ほむらがQBをつまんで撫で回す様子と同様に
ほむらのQBへの支配力を表すのかと思いました。

QBは個体と群体の区別できないような存在に思われ、一部を取り逃がすという状態にはなり得ないようにも思います。


(2)ほむ結界は円環がまどかと同化するのを防ぐ結界でもある
 円環の副作用として人間まどかは存在できなくさせられる力が働く。
 その力を結界で封じている。

 時間軸を改変しないと人間まどかを真に復活させることはできないので、結界内のまどかはほむらが自らを慰めるため飼っている人間人形まどかにすぎない

(3)いつかQBが円環を支配してしまうときのために円環の力の一部を能力で奪って結界内に幽閉している
ラストで浮かぶ円環の紋章はそれを表している

>いつかQBが円環を支配してしまうときのために円環の力の一部を能力で奪って
>バックアップとして結界内に幽閉している。
>それが終盤で空に浮かぶ結界の紋章。

(4)さやかが敵にならないように結界で隔離している


反論4)「結界だからあれも防げる」「これも覆える」ってほむ結界万能すぎるだろ!

A「まどかは円環を生んだいわば副作用で、概念と化して個体を保てなくなった」
  ← ○せいかい
B「円環の副作用として人間まどかを存在できなくする力が生じる」 ← ×まちがい

愛媛はAだからBのはず!と思い込んでいるようだがBは愛媛の妄想としか感じない。

愛媛はラストまどかが円環の使命を思い出して円環に戻りそうになるシーンからこう考えたのでしょうが。

自分は「まどかを円環に戻そうとする力」があることにも懐疑的。
仮にそんな力が生じたとしても「ほむ結界はそれを防ぐことができる」という理屈を不思議に感じます。「結界だから何でも防げる」ということのようです。

自分の考えでは、魔女結界の主は誘いこまれた犠牲者に「ある程度」精神操作することができる。
まどかに「神であることを忘れ」させるように。
(QB:結界の主である君の記憶操作は、まどかに対しても作用してしまったみたいだね)
(QB:鹿目まどかは、神であることを忘れ、暁美ほむらは、魔女であることを忘れ...)

まどかが円環に戻りそうになるのを引き止めたのは、「魔女の記憶操作」で説明がつきます。

おそらくほむ結界には円環を防ぐ性質もないはず。
叛逆前半の仮想見滝原ではQBの干渉遮断フィールドが円環の浄化作用を防いでいたから、円環組は半魔女ほむらの犠牲者として結界に侵入するしかなかった。
しかし世界改変したほむ結界はQBフィールドに覆われていないので、円環の理が作用できる。
虚淵氏インタビューで、「ほむら改変世界は基本的に魔女の生じない魔獣のいる世界」とされています。

愛媛)時間軸を改変しないと人間まどかを真に復活させることはできない
愛媛はこう考えたようですがどうしてこう考えたのか。
普通に考えればまどかは全ての時間軸のほむらを認識し、全ての時間軸の魔女を生じさせなく
したのだから、時間軸を変えてもそこにまどかはいない。

だからこそ虚淵氏が苦肉の策として、QBの超科学(未知の力も防ぐ遮断フィールド)と魔女の性質/魔女の結界力とのアクロバティックな合わせ技でまどかを復活させたと自分は認識しています

ラスト空に浮かぶ円環の紋章について自分は、
「円環の理が健在であることの象徴」としてDVD/BDで追加されたのかと思いました。

愛媛氏の解釈では「円環を能力で奪って」、「結界に幽閉」したとのこと。
まさに悪魔だから/結界だから何でもあり、という感じ。
そんなに重大な意味を持つアイテムを映画公開版に後付けで追加したとは考えられないと思います。

>さやかが敵にならないように結界で隔離している
「さやかが円環とのつながりを断たれているのは結界に覆われているから」、というのが愛媛の考えです。

愛媛「結界は円環とのつながりを断つこともできる」 キリッ!
本当に何でもできる便利な結界ですね。
叛逆前半の仮想見滝原はほむ結界に覆われた世界。そのとき
さやかは円環とのつながりを保っているように描写されていたことから、
ほむ結界に円環とのつながりを断つ力はないことが明らか。

さ 「あたしは、確かに、もっと大きな存在の一部だった。
この世界の外側の力とつながっていたのに…。
今はもう、あの感覚を取り戻せない」


さやかはどうして円環とのつながりを喪失したのか。
まどかが「神であることを忘れ」させられて円環に戻らないように、
さやかも記憶操作で「円環の一部であることを忘れ」させられている。
そう考えれば説明がつくように思いますがどうでしょうか。

さやかに対しては明確に「記憶操作」を施す場面すらあるのです。
ほ「今でも徐々に記憶は変わりつつあるでしょう?」

また非常に長くなりましたが、以上が愛媛結界説への反論です。
当ブログの結界説は↓こちらにまとめています
◎当ブログにおける「叛逆のラストはほむら結界内」説のまとめ