ノスタルジーと、もの悲しさ。鬱のときに落ちる沼。 | 自分を見つめてーー知りたかった自分【病気のままで、幸せになる】

自分を見つめてーー知りたかった自分【病気のままで、幸せになる】

HSP(敏感すぎる人) AC(アダルトチルドレン)
うつ病 & 自律神経失調症 について、悩んでいる人のために伝えたい。


苦しい。苦しくて死にたくなる時だってある。
でも大丈夫、あなたは幸せになれるから。

名前のつかない憂鬱に、なんとか名前をつけようとして漂う。




はじまりはいつも唐突で、あっという間に底無し沼に嵌る。

落ちるのは一瞬なのに、抜け出すのはいつも時間がかかる。




もがいてあがいて、それらしき名前を見つける。それはノスタルジー。

しばらく浸ってみて、窒息しそうになりながら思う。時間は過ぎ去ってしまった。積み重ねた時間といえば聞こえはいいけど、こぼれ落ちた時間は戻らない。

真剣に向き合った人、苦しみに耐えて乗り越えた難、やっと手にした光。今ではもう、はるか遠くに霞がかかっている。

別々の人生を歩んで、交わることの無くなった人たち。ともに歩んだあの時は、夢?幻影?これから二度と会うこともない。あれほど近くにいたのに。


でも、過去で窒息はしない。何十倍も重くのしかかるのは、現在で。現実が戻ってくる。

先の見えない暗闇を進む。なにも見えない。一歩も進めない。踏み出せば地獄に堕ちそうで、闇をただ堕ちてゆく恐怖には耐えられない。「今」にしがみつこうとする。けど、「今」は手からこぼれ落ちてゆく。

明日が押し迫ってきている。今を消してゆく。

つかめない「今」という砂を、手から滑り落としながら、じっと手を見る。

やっと掴んだと思うと、またこうなってしまう。

もの悲しさの正体は結局わからないまま、ただただうずくまって、じっと待つ。