早めに投稿するはずが、すっかり遅くなってしまいました
本日は、銀河の龍 下の巻です。
銀河の龍の白玉石のヒーリング
昨年半ば。
父は、長年の果樹園の重労働に、大の医者嫌い。とうとう手のつけられない脊髄の圧迫骨折の極まできてしまいました。
息までも痛い
というの父の表現でした。空気まで針みたいにかんじるんだろうな。
あんなに、辛抱強いのに…
目覚めてゆく意識の中で父への感謝の気持ちが朝湧き出てきます。感謝が登って登って、ご先祖様から守護神さままで遡った時、闇の一点からとてつない重圧が現れそのまま意識の奥に引き戻されてゆきました。
ひと呼吸ごと粒子とも、泡ともあるような清々しさが中にも外にも広がっていきました。
すると、今度はガラリと視界が変わって生島足島神社の拝殿脇、白玉石の磐座の前にたっていました。
この上に父親を置きなさい。
という声
輝く白玉石の上に父の「影=コピー」をそっと下ろしました。
その瞬間父とわたしは大きな大きな白光に輝く存在の上に乗っていました。目の前には銀河の渦が近づいてきます。それは銀河の龍…とでも呼んでおきましょう。
突然その中の一組の目が大きくなり話しかけてきます。
これが私だよ。
白玉石を調べるといい。
鍵はそこにある。
そして私へのGATEはどこにでもあるんだ。
中にも外にも。
宇宙存在は沢山の真理を信仰や文化の中に潜めて置いてある。そこに気がつくかどうかは信仰心ではなく、人の感謝でもなく、生命そのものとして互いの祝福に溢れそこに在るかということだ。
親を慕うことは即ち己を慕うことでもある。狭い愛情だが、またそれも大事。神は情では働かないがな。
「今朝は歩けるくらい痛みが治まってるんだよ」
とてもおどろきました。
宇宙の龍の鍵を思い出して、急いで言語検索をかけて行くと玉砂利の説明が明治神宮のホームページに詳しくありました。
外国の人が明治神宮に参拝に来ると、必ずといっていいほど、なぜ参道に小さな石が敷いてあるのか、歩きにくいから必要ないのでは、とよく質問されます。
日本人には、神社の参道に玉砂利が敷いてあるのは当たり前であっても、外国人にとっては、わざわざ歩きにくいようにしてあるのが不思議に感じられるようです。百科事典ではどのように説明しているのか調べてみると、驚いたことに、玉砂利について説明されたものは、ほとんどないのです。実はそれほどまでに神社の参道に玉砂利が敷いてあるのは、ごく当たり前のことであり、わざわざ事典に載せるほど、特別なむずかしいことだとは考えられていなかったようです。
言葉の意味からみていくと、玉砂利の玉とは「たましい(魂)」「みたま(御霊)」の「タマ(霊)」と同じ意味と、「玉の声」「玉のような赤ちゃん」というように「美しい」「宝石」「大切なもの」という意味もあります。そして「砂利」はあて字で、本来「じゃり」は細かい石の意味の「さざれ(細石)」からきています。よってミタマの籠もった、美しい・宝石のような・大切な小さい石という意味になります。
また、境内にある垣を「たまがき(玉垣)」といいますが、これは皇居や神社の垣を特別な垣とした尊称(ほめことば)です。よって神社の参道に敷きつめてある特別な小石ですから、玉砂利も尊称した呼び方かもしれません。
日本人には、神社の参道に玉砂利が敷いてあるのは当たり前であっても、外国人にとっては、わざわざ歩きにくいようにしてあるのが不思議に感じられるようです。百科事典ではどのように説明しているのか調べてみると、驚いたことに、玉砂利について説明されたものは、ほとんどないのです。実はそれほどまでに神社の参道に玉砂利が敷いてあるのは、ごく当たり前のことであり、わざわざ事典に載せるほど、特別なむずかしいことだとは考えられていなかったようです。
言葉の意味からみていくと、玉砂利の玉とは「たましい(魂)」「みたま(御霊)」の「タマ(霊)」と同じ意味と、「玉の声」「玉のような赤ちゃん」というように「美しい」「宝石」「大切なもの」という意味もあります。そして「砂利」はあて字で、本来「じゃり」は細かい石の意味の「さざれ(細石)」からきています。よってミタマの籠もった、美しい・宝石のような・大切な小さい石という意味になります。
また、境内にある垣を「たまがき(玉垣)」といいますが、これは皇居や神社の垣を特別な垣とした尊称(ほめことば)です。よって神社の参道に敷きつめてある特別な小石ですから、玉砂利も尊称した呼び方かもしれません。
ところで全国神社の代表といえば伊勢神宮です。神宮にもやはり参道には玉砂利が敷いてあります。そして御正殿(御社殿)のまわりには白石(しらいし)が敷きつめてあります。この白石は、遷宮といって二十年に一度、御正殿を造替するお祭りがあり、その際に伊勢市を流れる宮川上流の河原から、自然のままの汚れていない、きれいな丸い白石を持って来て御正殿のまわりに新しく敷きつめるのです。御正殿とその周辺は最も神聖な場所ですから、最高に清浄にしなければいけません。そのために、きれいな白石を敷きつめるのだとされています。つまり敷くことによってその場所をお祓い・お清めする意味があるのです。
このように日本では昔から神聖なところは、さらに清浄にするため、きれいな石を敷きつめたのです。ですから玉砂利も、清浄さを保つために敷かれてあるのでしょう。
鳥居をくぐって参道を進むとき、人は清浄な石を踏むことによってしだいしだいに身を清め、心を鎮めて、最高の状態で祈りが出来るように、気持ちを整えながら神さまのいらっしゃいます神聖な場所へ向かいます。こうした「祈る」までの姿勢の持ち様も、参道の中に込められていて、玉砂利には魂を安らがせ清めるという絶大な効果をもっているのです。
私たちも神社へお参りする時には、参道の玉砂利を踏みしめながら、心身ともに清め、神前へまことの祈りを捧げることができますように心がけましょう。
神秘なる玉置神社
それから、ある風景のビジョンが見えていました。森の奥深くに天の川、沢山の神社の白玉石で輝く参道や境内の磐座が重なるのです。
そこは大いなる宇宙と大地に花咲き乱れ風が渡り、水の鈴音ねの響き渡る宮沢賢治の銀河鉄道の夜の世界のようです。
この鍵で開ける扉の向こうにはイーハトーブやフィンドホーンのような新しいレムリアの世界が待っているのかもしれません。
ワクワクしながら出雲大社の源をたどりました。熊野はまだ行ったことがないのですが、懐かしい匂いを辿ってデジタルの海を意識が進んで行くのにまかせます。
たどり着いた先は、白玉石が天の川のように敷かれた、玉置神社の奥社の玉石社でした。見えているビジョンそのものでした。
再び銀河の龍の心が伝わってきます。
もしも、気持ちが淀んだり、肉体が辛くなったら、いつでも白玉石の砂利の上に寝転んでごらん。だがね、これは一つの啓発の道標であって、ご利益ではないぞ。
実際本当に心地よくなるのです。やってみてくださいね(≧∇≦)。
~終わりに~
宇宙龍の生命と場の啓発
熊野三社の玉置神社の奥社、玉石神社のご祭神は大己貴命さまだそうです。
大己貴命さまは、須佐之男命さまと稲田姫さまと共に氷川神社の三柱神の一人です。
戦いと分裂の歴史は既に神界からは消え私達は既に新しいタイムラインを進もうとしています。意識だけがその道を照らし開いて行きます。
本当のことはBlogの中にも、文献の中にもなく密かに国民全てのなかに新世界の種は眠っています。
神々の名前も意識もパワーも宇宙と人類の意識の沿いあった場に現れます。
それは、個人に、集団に、地域に、国に具現化して見えるのです。何故なら私達は漏れなく、彼らの分け御霊である伏流水だから。
集合意識が一点に渦になって吸い寄せられるように光明の銀河を産んで行く時そこに初めて人々の夢見る世界は誕生します。本来の銀河は宇宙大生命のイヤシロチとして祝福を受け進化創造の渦に巻き上げて行きます。そして私達もまたその大切な一つの惑星なのです。
人格のある共同創造の神々は高い科学文明を持つ先輩宇宙人です。
新しい働きの場を人類と共に起こしてゆく彼らは私達の感情にアクセスすることはなく、私たちの光明の場に直感を降ろし、行動と共に働いてくれます。ここでのとても大切なキーワードは祝福とシェアです。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。今週もたくさんの祝福が私達の中にも外にもまわりじゅうにあふれますように
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます
この祈りは祈りによる世界平和運動の祈りであり
五井昌久さんと宇宙神との約束で降ろされました。
この祈りをする所、宇宙神の光に包まれ、私達は守護の神霊と一体となって、世界に大光明の波動を発信し、乱れた生命波動を大調和へと整えてゆけます。
寝ても覚めても世界平和の祈り
五井先生のお言葉です。
日直のはら