『モラトリアム完全版』
池袋シネマロサでの1週間上映が終わった。
僕にとって5年前に撮影をしていた、初主演した長編映画になる作品だった。
今回は「完全版」と銘打って編集が新しくなってることもあり、初日は(打ち合わせがあって泣く泣く)前半から中盤にかけて本編を劇場で見て、最終日の昨日、残りの後半部分を見た。
つまり1週間かけて1本の映画を見た。これは初めての経験だった。
結果、映画と一緒に僕は昨日をもってモラトリアムの猶予期間を卒業できた、ような。
そんな気持ちになった。
なぜこの映画を見るたび胸が締め付けられてきたのか、エンドロールを眺めながら初めて明確になったのだった。
舞台挨拶で割愛してしまったので、少しだけそのことを書きたい。
「自分は何にでもなれる」
と漠然と信じ、自由に自分の姿を妄想してよい時間があった。
しかし次第に大人になるにつれて、
自分の身体からは離れられず、自然の摂理には逆らえず、空を飛べると思っても重力に縛られていることに気づいていった。
それは当時とても悲しいことだった。
認めたくなくて、「こんな自分から離れられないなんて」と寂しくて悔しくて、もがいていた時間。
この情けなくてみっともないエネルギーの無駄遣い。諦めの悪い闘争。
それが僕にとっての「モラトリアム」だった。
その輪郭がふと浮かび上がって、初めて腑に落ちて、映画の終わりにまた涙が流れた。
「自分は何にでもなれる」のではなく、
「自分自身がこれから何かになっていく」ということ。
この二つは似てるようで少し違う。映画の中で出てくる、目の前の肩を叩いていくのか、振り向いて話すか、という違いに近いかもしれない。
重力も、自分の身体も、自然の摂理も、今は大切に思える。
「もう大丈夫」
ありがとう猶予をくれた期間、以前存在した闘争の時間を、この映画は掘り出して、教えてくれて、見送ってくれた。
次は6/22から名古屋シネマスコーレで上映がある。この映画はきっと誰かの人生に寄り添える映画だと思う。誰かの重要な時間になると嬉しいな。
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長くなりました。
他にも色々書きたいことはありつつ、
とにかくこの映画に関われたことを誇りに思うと共に、あの頃の自分を映してくれたことを澤監督に感謝したいです。
澤監督、関係者みなさん、上映1週間、そして撮影から5年、本当にお疲れ様でした。
劇場に来てくださった皆様、コメントを寄せてくださったり、トークにきていただいたり、応援してくださった皆様、池袋シネマ・ロサの皆様、心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
7/5(金)〜8(月)の4日間、監督作品「不感症になっていくこれからの僕らについて」と過去作3本、そして先日撮影した新作1本含む計5作品がテアトル新宿でレイトショー上映があります。
監督として映画で表現してきたものすべてです。ぜひご覧ください。
公式Twitter
が5/27(月)〜31(金)の平日5日間、LOFT9渋谷にて14時からで500円プラスワンドリンクで上映あります。
「モラトリアム」とも近いテーマをもった素敵な作品です。こちらも、ぜひ!