ママゲリア聖子の大阪ロマンチック -3ページ目

ママゲリア聖子の大阪ロマンチック

北大阪在住、食いしん坊で呑んべえのなかよし夫婦のいろいろを記録しておきたいと思います。こんなに楽しい毎日、本当に感謝しています。

噂には聞いていました。

北海道の出身の人でも
「道北は寂しい。なんにもないって言うよ。一度はいかなきゃって思ってたんだけど。」
と言います。

今回の旅の目的のひとつは、日本の最北端を目指し、その周辺の何にもなさをこの目で確かめることでした。

それは、見た目だけではなく、全身がしびれるような寂しさに襲われる、果てしなさでした。

これは、果てしない原野に造設された「サロベツ原生花園」の木道にある展望台です。

遠くに北の離島、利尻富士が見えます。
あとは、湿地が広がるばかり。



これは、キャンプ場で迎えた曙です。

まだ暗くて、写真が撮れてないけど。
夜中テントの外に立てていたテーブルは、夜露でびっしょり濡れていました。

コーヒーを入れて、1日が始まります。

そうそう、テントの中にこの度、頼もしい寝具を導入しました。空気で膨らますクッション性抜群のマットと古いシュラフ。
大阪の夜より、よほど深く安らかな眠りにつくことが出来ました。


朝ごはん。

通りすがりの街に「焼きたてパン」という幟を見つけて入ってみたら、小さなベーカリーには美味しい香りが満ちていました。

スライスしてパンをフライパンで温めて、顆粒のインスタントスープと、新鮮なイカをスキレットで焼き、フルーツ。
外で食べる朝ごはんはいつでも美味しい。

海と緑の丘に挟まれたまっすぐな国道の向こうに、巨大な風車の並木が見えてきました。

これが意外と遠くにあった。

ドライブの制限速度も、距離の感覚も、すっかり狂ってしまいました。
北海道は広すぎる。


サロベツ原生花園へは、お花や野鳥を見るつもりで行きました。

長いレンズを装着したご夫妻に話しかけたら、「シマアオジ」という雀くらいのサイズの渡り鳥が珍しいらしく、マニアが三脚を立てて狙っているとのことでした。

この広い原生花園に5ペアのつがいがやって来て、雛を孵し、子育てをしているのだそうです。

「お腹が黄色いんです。」
絶滅危惧種なのだそうです。

お花も昆虫もたくさんいます。

あ、きみはだれ?
木道の数メートル先を、私たちを案内するようにちょんちょんちょんちょん飛び歩く小鳥。

この子はアオジ。

私たちが原生花園で知ったのは、昭和の頃、不毛の湿地を開拓してこの地を農地にしようとした入植者の、想像を絶する苦労でした。

これは、泥炭を掘り起こし、掻き出したしゅんせつ船です。
この船が現役で開拓時代に使われていた映像はカラーフィルムで残っています。それほど昔のことではないのです。
資料室で、私たちは、それを鑑賞しました。

気が遠くなるほどの寂しく過酷な寒さの土地に刃を立てて、実りを得る場所に仕立てた心意気にため息をつかずにおられませんでした。


最北の無人駅、抜海。ふらりと立ち寄り、木造の駅舎のこのダイヤを見てビックリ。

上り下り合わせて1日7本しかない列車のうちの一本が、あと5分で来るではないですか。


輪行の若者がひとり乗り、おばあちゃんがひとり降りてきました。

おばあちゃんは駅に停めていたママチャリに跨がり、颯爽と遥か遠くへ消えていきました。
たくましいものを見た!という後味が残りました。



これは、稚内の駅前の交通標識。
ロシア語の表示は商店の看板にも。


最北端の宗谷岬のモニュメントの前には長い行列ができていました。記念写真は、ひとつ前の人のカメラを預かり、自分たちのカメラを次の人に預け、順番に撮影します。

私たちの写真は、大阪府の島本町出身だという若者が撮ってくれました。

東海岸を南下するドライブになりました。

鹿はたくさんいる。キツネも野良犬のようにいくらでもいる。海猫はどこでも鳴いてる。でも人はいない。

霧雨が降りだし、視界が悪くなり、寂しくてたまらない景色がいつまでも続きます。とうとう海猫さえも翔ばなくなりました。

気が遠くなる。


枝幸という街の岬のキャンプ場を本日のねぐらに決めました。

昨晩よりもさらに海に近いところです。
そして、寒い。
料金は無料だけど、ふかふかの芝生でちゃんと平らだし、トイレも炊事棟も近くてきれいで、いい感じに賑わっています。
トレーラーハウス率高し。もしかしてここに住んでる?という車も。

素早くテントを張って、温泉&買い出しに。

枝幸は道北では稚内につぐ大きな都市なのだそうです。といっても中学校はひとつだけかも。
きれいに整備されて商店も多く、そのうちの大型スーパーマーケットで買い物をし、町営のホテルでデラックスな温泉にも入りました。
帰り道で見つけた木造の古びた建物は、かつてこの街に鉄道の駅があったときの、駅前食堂でした。文化財として遺しているのかと思ったら、現役で営業なさっていました。

モータリゼーションされる前、道内を網羅していた鉄道路線は次々と廃線になり、その痕跡を地元の人が今も懐かしくいとおしいものとして保存している様子があちこちに見られます。

ここも、かつての駅舎には、記念碑が建っていました。

晩ごはん。

夫の大好物、ミズダコの刺し身。

袋入りのカットされたサラダ。

お惣菜の根菜の煮物。

ザンギはフライパンで温めて。

珍味鰊の山椒漬け。

太巻き寿司。

ほんとはもっとあったかいもん食べたかったね、と言いながら。

ビールで乾杯したあと、増毛の酒蔵で選んだ国稀の清酒を、夫が燗にしてくれました。

しみるわ~♪

少しずつ夜のとばりが降りて来るにつれ、寒くて寒くて次々と上着を重ねるのですが、とうとう我慢出来なくなって、根本から着替えることにしました。

ヒートテックにセーターに合羽、レギンスにデニムに巻きスカート。靴下もダブルで。

焚き火のそばを離れる準備です。

折り畳み椅子を担いで海岸へ。

今宵は枝幸の港の花火大会だというから、この街でテントを張ることに決めたのです。
夕方から、ベストポジションで見物しようとする車の列が近くに並んでいました。
そして、7時には、あと30分で始まりますよ~♪というプレ花火の音もしっかり聴こえて、食事の片付けもすませて万端!
だったのに…。

テンポよく華やかな花火の音だけは間近で聴こえているのに、本体は霧の中に姿を隠して、最後まで隠し通したままでした。海がふわっと明るくなると、しばらくしてドーンと鳴る。

こんな深い霧の中で花火大会ほんとにするのかな?って心配していたのですけど。
並んでいた車はたちまち消えていきました。

酔っぱらいの私たちは、北の涯のそんな花火鑑賞でもゴキゲンで、椅子をふたつ並べて見えない花火を見物しました。

まるで平安貴族の御簾越しの恋のようだと言いながら。


ホームテントに戻り、焚き火のやり直し。
凍えたからだを暖めて、アルゼンチンタンゴなど聴いている、さいはての夜。