では、病院のお手伝いはなぜしない? | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

では、病院のお手伝いはなぜしない?

以前に、2ちゃんねるで、PTA活動に積極的に参加すべきだと言う人が、


「学校のお世話になっているのだし、今の先生達は本当に忙しいのだ。だから、私たちがすこしはお手伝いしなくては。」


てなことを言っていた。


それを言われた時は、「う~む」と釈然としないものを感じながら、何も言い返せないでいた。

そんな時、ナイスな切り返しをする人がいた。


いわく、

「じゃあ、あなたは家族が世話になっていたら、病院や老人施設のお手伝いをするのか? 家族が世話になっている人にはお手伝いをする責任があると言うのか?」

と。


そうなのだ。

忙しいというなら、産婦人科のお医者さんを持ち出すまでもなく、医者も看護師も福祉関係者も相当なものですよね。

しかし、われわれは、家族がそれらの施設のお世話になっていても、職員がどんなに忙しかろうと、「お世話になってる家族の会」なるものを作って、お手伝いをすることなど、ふつうない。


では、どうしてPTAはあるのか?

これは、岩竹論文に指摘されているように、市民を「国民化」しようとする国家の思惑もあるようだし、子どもの評価を上げたいというか、不当に下げられたくないという親心も大きいかなと考えている。

あとは、PTAって、町内会と同様、お上の末端としての性質を持っていると思うのだが、そのお上の一員になれることの「おいしさ」も無視できないと思っている。

(岩竹論文については、「PTAよ成仏してくれ!」参照。)


皆さんは、どうお考えでしょうか?


日本的な全員参加型のPTAは、世界的に珍しいようだ。(←これ、違ってたらご指摘を。)そして、日本の中で考えても、上に見たようにPTAって特殊な存在だと思う。

こんな二重の意味で特殊な「PTA」を存続させているものはなんなのか?

引き続き考えていきたいと思っている。