まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -
大阪堺の私立中学の「保護者会」をめぐる訴訟に関して、毎日新聞にコメントを寄せました。


「学校行事における児童・生徒に対する差別的扱いはあってはならない」という認識は、今や常識になりつつあると思うのですが、残念ながら当該中学の教職員や「保護者会」関係者には理解されていないようです。
まだまだ啓発の必要があるということですね。



堺・私立中
「保護者会退会で娘が疎外」父、賠償求め提訴

http://mainichi.jp/articles/20160520/k00/00e/040/226000c
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

PTAにおける人権問題と日本語のあり方との関連性

3月3日(木)に勤め先の学内研究発表会で、

PTAにおける人権問題と日本語のあり方
 ― PTA問題の背景にあるもの ―

と題して発表しました。
熊本のPTA裁判の判決にも少し言及しました。

私としては、今回、原告の敗訴になったことと今回の発表テーマとは決して無関係ではないと思っています。


一方でPTA問題の具体的な解決策を模索しつつ、もう一方で日本に特有とも言えるPTA問題のそもそもの背景を探っていきたいと思っています。



内容のかいつまんでの紹介は、後日にさせていただきます。

熊本PTA裁判「意見書」提出(+心理学会PTA問題シンポ)

熊本PTA裁判に関して、「意見書」を裁判所に提出しました。

被告PTAの言い分を私なりに把握して、それへの反論を試みました。

被告PTAは、加入の任意性は十分に担保されていたと主張しています。しかし、その言い分はとうてい成り立たないと考えています。
被告PTAのやっていたことは、全国のほとんどのPTA同様、「事実上の強制加入」だと考えます。
そして、「事実上の強制加入」こそがPTA問題の大元にあり、今回の裁判で、もしも被告PTA側の言い分が認められたら、PTA問題はますます深刻化してしまうはずだということを述べました。

では、「意見書」を引用しておきます。
なお、<はじめに>の部分は最初はなかったのですが、弁護士と相談の上、書き加えました。また、<はじめに>の末尾部分に出てくる日本心理学会のシンポジウムですが、行われることが正式に決まりました。シンポの概略は、意見書の引用の後に触れたいと思います。

(以下、引用)

意見書

平成27年7月2日
文化学園大学現代文化学部 教授
加藤 薫
  
<はじめに>
以下、今回の裁判に関して私見を申し述べたいと思うが、その前に、自らとPTA問題とのかかわりについて触れておきたい。
もともとの私の専攻は、日本語・日本文化論である。そんな私がなぜPTA問題について考察するようになったかと言えば、家内がPTA問題で深く悩み「不登校」になってしまい、図らずも保護者として学校に関わるようになったことがそもそもの始まりだった。自身、PTAの役員を引き受け、改革も試み、それなりの成果が得られたものの、これは一筋縄では解けない問題であると感じるようになった(注1)。もう10年ほど前のことだ。
以来、PTA問題を考察するようになり、現在は、日本語の特徴とPTA問題に通底する日本文化のあり方を考究することを主要な研究テーマとしている。
2008年には、PTA問題と日本語のあり方について考える個人のブログ(「まるおの雑記帳」)を開設し、自身の見解を発信すると同時に、全国から寄せられる相談や意見に耳を傾けてきた。そうして、PTA問題の全国的な広がりと根の深さを改めて感じてきた。
近年は、メディアでもPTA問題が盛んに取り上げられるようになり、私も、2012年以降、NHK、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊AERA等に、PTA問題についてコメントを寄せている。また、本年9月の日本心理学会第79回大会において、PTA問題がシンポジウムのテーマとして取り上げられる予定であるが、同シンポジウムに指定討論者として参加する予定である。
 
<本論>
PTAにより負担の重い仕事を押し付けられることで、心や体に大きなダメージを受けた保護者を多く見てきた。PTA等の活動による負担は、子どもを学校に通わせる母親の精神科受診の少なからぬ原因になっているとの精神科医の証言もある(注2)。また、PTAの役職決めのプレッシャーにより保護者同士のコミュニケーションがかえって阻害されているという面も大きな問題だと考える。最近では、PTA問題は保護者の学校不信にもつながってきている。
ここ数年、PTAの問題はメディアでも盛んに取り上げられ、社会問題化していると言っても過言ではない(注3)。

なぜPTA問題は起きているのか。私は、PTAへの加入のあり方に最大の問題があると考えている。
ごく一部の例外を除き、全国的に小学校や中学校の保護者には、PTAに加入しないという選択肢が実質としては与えられていない。これは冷静に考えてみれば、異常なことではないだろうか。
言うまでもなくPTAは入会の義務のない任意団体なので(注4)、保護者側が明確な意思表示を行えば入らないことも理屈の上では可能なのだが、保護者側から特別なアクションを取らない限り、PTAは保護者を勝手に会員として扱い、会費を請求し、そして仕事を割り当てるのである。
しかも、このPTAの行為には学校が深く関与しているので(注5)、保護者にとってその体制にあえて逆らうことは非常に難しい。PTAの加入率が限りなく100パーセントに近い現状がそのことを示している。

日本のPTAには、「保護者全員が会員になる」という類の説明が規約等においてなされているような、明確に強制性を帯びたものもあれば、加入の任意性をそれとなく示しているものもある。このようなバリエーションが見られるものの、“加入の任意性が明確に示され、その上で一人一人の保護者がみずからの自由意思により加入・非加入の選択ができる”PTAは、ごく一部の例外を除いてないのが現状である(注6)。
要するに、日本のほとんどのPTAは「適切な説明のうえ、合意を得る」という、当たり前の手続き(インフォームドコンセント)を踏んでいないのである。
そして、加入の段階でないがしろにされた保護者一人一人の自由意思は、加入後も尊重されることはない。委員会制の下、委員の定数が定められていて、立候補者がおらず定数が満たされない場合は、くじ等による役の強要がなされるのである(注7)。
このように、「事実上の強制加入」体制が「委員会制」とあいまって、保護者間における仕事の押し付け合いを生み、その結果、心や体に大きなダメージを受ける者(ほとんどが母親)が現われてしまうのである。
PTAは、その原点に立ち返り、PTA活動に意欲を持つ保護者が自らの意思とペースを大切にしながら進めるべきである。
PTA問題の解決のためには、PTAに入るか入らないかの実質的な選択肢が保護者に与えられるべきだと考える。

(帯山西小PTAを含む日本のほとんどのPTAに認められる)「狭義の強制とまでは言えないかもしれないが事実上は強制」という状態がもしも当裁判において容認されたならば、PTA問題はますます深刻化するのではないかと懸念される。
PTA問題の解決のためには、「学校とは独立した、あくまでも有志により構成される自由参加の団体」というPTAの本来のあり方が社会的に再確認され、多くの人の知るところになることがまずもって必要であると考える(注8)。
そのような意味で、今回の裁判の社会的な意義は大変大きなものであると考えている。


(注1)その時の改革の試みについては、川端裕人『PTA再活用論 –悩ましき現実を超えて』(中公新書ラクレ)第三章で紹介されている。
(注2)ブログ<精神科 本当の話・PTA地域活動に悩む母親達2011.07.18>
http://blog.goo.ne.jp/sumirex1/e/e9e95bd97998f6e7c72508323538e95e
(注3)PTAのあり方が社会問題化しメディアでもさかんに取り上げられるようになったここ数年の推移については、加藤薫(2014)参照。なお、2015年に入り、PTA問題はいっそう盛んに取り上げられるようになっている。
(注4)文科省もPTAは「任意加入の団体」であると明言している。
http://www.think-pta.com/PTA_kiyaku/bassui/monkarenraku-2.pdf
(注5)多くの学校で校長・教頭等の管理職がPTAの顧問や本部役員になっている。また、入学式やクラス懇談会といった学校主催の行事を利用してPTAの役員決めが行われたり、クラスからの役員・委員の選出を担任教師がサポートしたり、給食費やドリル代等の学校納入金と抱き合わせにPTA会費が集められたりしている。またそもそも「自動入会」が成り立つためには学校の協力(保護者に関する情報の提供)が不可欠である。
(注6)任意性が明示された上で、明確な形で入会の意思確認がなされていることが確認されているPTAは、現在のところ、岡山の岡山西小、札幌の札苗小、東京の嶺町小、沖縄の識名小のPTA等、ほんのわずかにすぎない。
(注7)注6で言及した任意加入を推進したPTAでは、同時に、委員会制も見直されていることは注目に値する。
(注8)PTAのあり方を問題視する世論の高まりにもかかわらず、また、前述の通り、文科省もPTAは「任意加入の団体」であると明言しているにもかかわらず、つい先頃の朝日新聞の取材に答えて、日本PTA全国協議会の会長は、今後もこれまで通りの全員参加体制を変えるつもりのない旨、述べている(朝日新聞2015.5.24)。
※なお、会長の発言内容は、下記のネット版の方が詳細に紹介されている。
http://www.asahi.com/articles/ASH5P64FTH5PUTIL03L.html


<参考文献>
加藤薫(2012)「日本型PTAに認められる問題点―ないがしろにされる「主体性」―」『世間の学』VOL.2
加藤薫(2014)<訴えられたPTA(熊本PTA裁判に寄せて)>文化学園大学国際文化・観光学科ブログ”小平の風”2014.7.22
http://bwukokusai.exblog.jp/20022478

(引用終わり)

裁判所に提出した「意見書」は以上です。
先に触れたシンポジウムの概略は以下のようなものです。もう少しくわしい話は追ってできればと思っています。


日本心理学会第79回大会(名古屋大学)
公募シンポジウム
9 月24日(木) 9:20~11:20 第 3 会場/ 4 号館431

SS-074
PTA の現状と課題をどのように「可視化」するか?
―文化,ジェンダー, 道徳性


企画代表者,話題提供者,司会者: 竹尾 和子(東京理科大学)
企画者,話題提供者,司会者: 戸田 有一(大阪教育大学)
話題提供者: 尾見 康博(山梨大学)
指定討論者: 加藤  薫#(文化学園大学)
指定討論者: やまだようこ(立命館大学)

注)#印は日本心理学会会員以外であることを示す。


今回の大会のホームページはこちらです。


千葉市教委学事課による学校への指導・助言

今年の一月、千葉市教委学事課が各学校に対して、PTAに関して指導・助言を行いました。
この指導・助言は、校長会の中でなされるとともに「学事課だより」という文書の形で各学校に配布もされたようです。
以下に、「学事課だより」(H27.1.19,千葉市教委学事課発行)の該当箇所を引用します。

******************************
円滑な学校運営のために
~慣例となっていることも改めて見直しを~

最近は、学校よりも教育委員会の敷居が低くなり、市民から直接、様々な意見や指摘が寄せられます。その中に、PTAや保護者会、後援会、同窓会等(以下、PTA等)の団体と学校の関係についての意見や指摘が多くなってきていますので紹介します。


PTA等が任意団体であることが周知されていないのではないか?

PTA等の団体は、多くの場合、学校や子どもたちを応援することを目的としています。しかし、あくまでも任意団体ですので、加入の強制はできません。もちろん本市では、強制加入の実態はありませんが、任意加入である旨を新入学の保護者説明会等で、しっかりと伝えた上で加入を勧めることが重要です。


PTA等の会費を学校費と一緒に引き去って(引き落として)よいのか?

引き去り手数料の負担軽減や集金の危険性を考慮し、任意団体であるPTA等の会費を給食費や教材費等の学校費と一緒に引き去っている学校もあると思います。しかしながら、正式には、学校費と一緒に引き去ることへの会員の承諾と、会員から学校への引き去りの依頼が必要となります。総会等の議案・資料にその旨を明記して会員の承諾を得ること、引き去り時の文書等に明記した上で、引き去り手続きすることが必要です。


保護者の同意がないのに、学校が作成した名簿をPTA等へ提供してよいのか?

学校や子どもたちを応援してくださるPTA等の便宜のため、氏名のみの児童・生徒名簿を提供することもあると思います。氏名のみであっても個人情報ですので、提供にあたっては注意が必要です。例えば、年度初めに行う学校だよりへの写真掲載等の承諾と一緒に、保護者の承諾を得ておくことが考えられます。

これまで学校が慣例として行ってきたことでも、改めて説明や承諾を必要とする事柄が増えています。学校とPTA等との連携を円滑に進めるとともに、このような指摘にも耐えられるよう、学校の実態に合わせて、運営上の工夫が必要ではないでしょうか。
(「学事課だより 第24号 H27.1.19」より) 
******************************

学校に対して、①「任意加入である旨を(…)しっかりと伝え」ること、②個人情報をPTAに提供する場合は「保護者の承諾を得ておく」こと、この二つを要請していることは大きな前進だと言えます。
しかし、①入会の意思の確認の必要性についての言及がない点と、②PTA会費の代理徴収を学校が行うにあたり「PTA」や「PTA会員」との間の合意形成だけが問題にされていて、「保護者」に対する配慮がまったくと言っていいほど認められない点については非常に残念に思っています。

もっとも、3月の下旬に、学事課のIさんに「引き去り時の文書等に明記した上で、引き去り手続きすることが必要です」と言う文言の中にある「明記」の中身を確認したところ、はっきりと、「PTA会費はPTA会員が支払うもので、会員でない人は支払う必要のないものである」旨、明記する必要があるという意味だと回答されました。
その意図が、各学校の校長先生にきちんと伝わっているのか、千葉市において今年度配布される徴収案内の文書がどのようなものになっているのか、引き続き、追っていきたいと思っています。

なお、学事課のIさんは「千葉市の各学校において適正化の動きがきちんと進んでいくのか、学事課としてフォローしていきたい」とも。
言いっ放しではなく、学校配布の文書等のチェックも行っていく予定とのこと。
「言うだけは言うけれども、その後のチェックはしない」という残念な教委もある中、この点は素晴らしいことだと思いました。

PTAと人権侵害 ―その背景にあるもの―

2014年度 文化学園大学現代文化学部学内研究発表会(2015.3.5)において、

「PTAと人権侵害 ― 日本における人権教育のあり方をめぐって ―」

と題して発表を行いました。


当日配布したハンドアウトを後掲しますが、要旨をまとめると以下のようになります。

(要旨)
多くのPTAにおいて人権侵害が行われている。一方で、多くのPTA、そしてPTAと深く関わる学校においては、人権教育が盛んに行われている。
この矛盾はどう考えればいいのか?

その一つの回答として、「人権教育」のプログラムにおける“偏り(かたより)”を指摘したい。

“偏り”の一つは、人権教育において「具体的な人権課題」とされるものの内容に見て取れる。
そこで守られるべき「人権」とされるのは、集団から排除されない権利、集団内において差別されない権利(言わば“受動的・消極的人権”)であり、「自己決定権」のような“能動的・積極的人権”にはまったく言及されていない。

偏りとして指摘できることのもう一つは、人権教育研究指定校における「研究テーマ」に見て取れる強い「集団志向」である。「研究テーマ」として取り上げられるのは、「共生」や「助け合い」の大切さを教えようとするものが圧倒的に多い。「主体性」や「独自性」の大切さは決して前面に出ることはないのである。

人権教育を盛んに行うPTA・学校において自己決定権(わけても「結社に属さない自由」)が侵害されてきた背景の一つには、上記のような人権理解の偏りがあるのではないだろうか。

なお、日本の人権教育に認められる“偏り”は、河合隼雄や木村敏がつとに日本文化の特質として指摘した「母性原理」の問題や「(主体性に対する)間柄の優位」との連関が認められ、根の深い問題であることが理解される。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



以下が、発表会当日に配布したハンドアウトです(ブログ掲載にあたり、字句の修正をいくつか行いました)。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
PTAと人権侵害
― 日本における人権教育のあり方をめぐって ―

1.日本のPTA(学校)に認められる人権侵害
・私の身の回りで起こったこと

・二人の医師の証言
九州の精神科医(希みが丘クリニック院長)によるブログでの証言
<PTA・地域活動に悩む母親達>(2011.7.18)
(…)PTA、子供会、地域役員、消防団等の活動に負担感を感じ、それが大きなストレスとなっている方が実は相当多いことは驚くばかりです。
役員決め前より相当不安が高まります、女性に関しては少なからず当院受診の理由としてこうした活動に関するものです。母親としては自分の子供が学校に行っている以上、良い母親を演じなければならず、不満があっても文句も言えない弱い立場にあります。
http://blog.goo.ne.jp/sumirex1/e/e9e95bd97998f6e7c72508323538e95e

大阪の精神科医(Dr_kirenger)のツイート(2015.1.18)
「来年PTAの役員に当たりそうなんです」「うーん、病状的にはやめておいたほうがいいと思いますよ。避けたほうが良い旨の診断書作りましょうか」「でも…」「どうしました?」「役員選出の時にそれを皆の前で読み上げないといけないんです」「 」
みたいなことには割とよく遭遇する。
https://twitter.com/Dr_kirenger

・多くのPTAがやってしまっていること
① 任意加入の団体であることを知らせないで、子どもの入学と同時に会員にしてしまう。⇒実態として、保護者にはPTAに入らないという選択肢は与えられてこなかった。
② その上、負担の重い役職をくじやポイント制等の強制的な手段によりやらせる。

・PTAをめぐる人権侵害に、学校は無関係とは言えない。
校長が顧問に、教頭が書記に、主幹教諭がPTA担当教諭にというように、学校はPTAと深く関わっているが、それ以上の「関与」も認められる(以下のa,b,c)。

a.保護者・子どもの個人情報のPTAへの提供(会員の確保)
b.給食費や教材費等の本来の「学校納入金」と抱き合わせにしてPTA会費を徴収(資金の確保)
c.校内にPTA室を設置(活動場所の確保)


2.人権教育・人権啓発に重要な役割を担っている学校・PTA
・人権教育研究指定校事業(1997~)
※2010年までの「指定校数」を見ると、多い年で134校、少ない年で94校。なお、指定期間は、原則として2年(梅田(2010))。
・PTAによる人権関係の講習会の開催
※PTAは成人への人権教育・人権啓発を行う団体として、政府・自治体から期待され、長年、講習会の開催等によって人権啓発・人権教育を担ってきた。
(「PTA 人権」でネット検索を行うと、「PTA 人権に関連する検索キーワード」として、「PTA 人権侵害」と「PTA 人権教育」の二つのキーワードが出てくる!)


3.日本の人権教育・人権啓発の特性とPTAによる人権侵害との関係
3-1.人権啓発・人権教育における「具体的な人権課題」
法務省・文科省・地方自治体の人権セクション等が用意する資料(下記参照)において、解決されるべき「具体的な人権課題」とされているものは、その大部分が、次に見るような人々への差別や偏見。
-------------------------------------------------------------
女性/子ども/高齢者/障害者/同和問題/アイヌの人々/外国人/HIV感染者・ハンセン病患者等/刑を終え出所した人/その他(性的志向(異性愛・同性愛・両性愛)を理由とする偏見・差別
-------------------------------------------------------------
・「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定)
・「人権教育・啓発白書」(法務省・文部科学省)
・文科省『人権教育の指導方法等の在り方について [ 第三次とりまとめ ] 』中の「実践篇 個別的な人権課題に対する取組」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/024/report/08041404/013/001.pdf
・法務省人権啓発活動のページの中の「主な人権課題」
http://www.moj.go.jp/JINKEN/index_keihatsu.html

3-2.「具体的な人権課題」に認められる反差別・弱者保護への大きな偏り
「具体的な人権課題」において守られるべき「人権」とされているのは、集団から排除されない権利、集団内において差別されない権利、同等に扱われる権利(言わば“受動的・消極的人権”)。かつての同和教育を継承・発展させたものという、日本における人権教育の出自を考慮に入れたとしても、「自己決定権」のような“能動的・積極的人権”にはまったく言及されていないことが注目される。

3-3.人権教育研究指定校における「研究テーマ」から見て取れる「集団志向」
指定校の具体的な研究テーマを調べると、次のような、従来「仲間づくりの課題」として追及されてきた「子ども相互の人間関係にかかわる認識や行動の育成をテーマ」にしたものが、「圧倒的に多い」とされている(梅田(2010))。
-------------------------------------------------------------
(指定校の研究テーマの例)
「自分を大切にし、仲間を大切にする子どもでいっぱいの学校」、「互いに認め合い、支え合って生き生きと活動する心豊かな子どもの育成」、「あたたかい人間関係を大切にし、共生の心を持つ生徒の育成」、「認め合う心をもち、共に生きる態度をはぐくむ教育活動」、「よりよい生き方をめざし、学び合い、認め合い、助け合う子どもの育成」
-------------------------------------------------------------

3-4.日本における人権教育・人権啓発の偏り
・「仲間」には加わらない権利(自らの判断に従い独自に行動する権利)と「仲間」として扱われる権利(差別されない権利)
・「主体性」「独自性」の価値と「関係性」「共生性」の価値
…人権の観点においては、前者も後者もともに大切なことであるのに、人権教育・人権啓発では後者に大きく偏っている(3-2,3-3参照)

3のまとめ
PTAにおける人権侵害の中核にあるものは、自己決定権(わけても「結社に属さない自由」)への侵害と言える(注)。人権教育・人権啓発のセンターとも言うべき学校・PTAにおいて、自己決定権への侵害が行われてきたことの背景のひとつとして、3-1から3-4において見てきた、日本における人権教育・人権啓発の偏りがあるのではないだろうか。


4.(補説)日本における人権教育・人権啓発のあり方と日本文化の特質との関係
3で整理した日本の人権教育、人権啓発に認められる「偏り」は、河合隼雄や木村敏がつとに日本文化の特質として指摘した、「母性原理」の問題や、「(主体性に対する)間柄の優位」との連関が認められ、表層的・偶発的な問題ではなく、根の深い問題であることが理解される。

(参照)
河合隼雄の指摘する、日本社会に認められる「母性原理」の問題
「母性」は子どもの個性や能力と関係なく全ての子どもを可愛がろうとするが、自分のもとを離れようとする者には容赦がない(要約)。(『母性社会日本の病理』p.8~10)

木村敏の指摘する「(主体性に対する)間柄の優位」の問題
 このような一人称および二人称代名詞の用法には、きわめて日本的な自己および相手のとらえ方が反映している。それを一言で言うならば、個別的な自我および他我、あるいは私と汝に対する両者の間柄の優位といってよい。自己と相手、私と汝がまず確固たる主体として存立していて、その後に両者の間に「人間関係」や「出会い」や「交通」が開かれるのではない。人と人の間、自と他の間ということがまずあって、具体的には自己と相手との間で話題となる事柄がまず最初にあって、自己および相手の人格性は、ことさらに表面に出ないか、かりに出たとしても、つねにこの間から、この事柄自体から析出してきたものとして、したがってつねに相手との間柄を映したものとして、規定されてくる。(『人と人との間』p.144)


(注)憲法学者の木村草太氏(首都大学東京准教授)は、PTAの強制加入は「結社しない自由」を侵し、違憲であるとの見解を表明している(朝日新聞2013年4月23日)。


<文献>
生田周二(2007『人権と教育―人権教育の国際的動向と日本的性格―』部落問題研究所
梅田修(2010)「人権教育研究指定校における人権教育. ──2007-2008年の場合──」『滋賀大学生涯学習教育研究センター年報 2010』
加藤薫(2012)「日本型PTAに認められる問題点 ―ないがしろにされる『主体性』―」『世間の学』VOL.2,日本世間学会
加藤薫(2014,a)「世間論と日本語 ―世間論に符合する日本語の文法的特徴―」『世間の学』VOL.3
加藤薫(2014,b)<訴えられたPTA(熊本PTA裁判に寄せて)>「ブログ 小平の風」
http://bwukokusai.exblog.jp/20022478/
河合隼雄(1976)『母性社会日本の病理』中央公論社
木村敏(1972)『精神病理学的日本論 人と人との間』弘文堂

加藤の個人ブログ「まるおの雑記帳」
http://ameblo.jp/maruo-jp/
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


なお、日本における「人権」(“能動的・積極的人権”)軽視の姿勢と日本語の文法的な特徴との関連性については、上記、加藤薫(2014,a)の4章、5章で触れています。


横浜市におけるPTAをめぐる個人情報の取り扱いについて

横浜市の教育委員会は、個人情報の取り扱い一般については先進的・良心的な対応をしていると言えそうだ。平成22年の時点で、A4サイズ27ページの学校向けの詳細な資料(「横浜市立学校における個人情報取扱いに関する補足資料 ~個人情報管理の基本は「危機管理」の考え方~」)が用意されているのだ(以下、当該資料と呼ぶ)。
http://www.city.yokohama.lg.jp/shikai/pdf/siryo/j3-20110215-ky-6.pdf

ところが、その資料の中のPTAに関わる部分を見ると、PTAをめぐる個人情報の取り扱いについては非常に問題のある対応が行われている。
今回のエントリでは、当該資料を参照しながら、具体的に問題点を整理してみたい。


<同意を得るための二つの方式  「オプトイン」と「オプトアウト」>
当該資料p.3には、「本人・保護者の同意を得るには、利用の目的を明確化し、第三者への提供の有無を伝える」とあり、続けて、同意を得るには「オプトイン」か「オプトアウト」の方法で行うとされている。

「オブトイン」とは、「個人情報を扱う際、たとえば、個々に書面で通知し、一人ひとりから同意を得て、収集、利用する方法。個人の意志を明確に確認する必要がある場合に実施する。」(同資料p.3、太字引用者)ものだ。
いっぽう、「オプトアウト」とは、「個人情報を扱う際、収集や利用時に口頭や文書で通知し、都合が悪い等の申し出を待ち、特になければ収集、利用する方法。概ね全体に理解が得られ、個々に意志を確認するに及ばない場合に実施する。」(同上)ものだ。

なお、オプトアウトについては、上記引用部分に続けて、「プライバシーポリシー」との関係についても触れられている。
********
また、オプトアウトには、「Privacy policyプライバシーポリシー」という次のような手法も含まれる。「WebSite や学校便りなどに個人情報の扱いについて公表し通知する方法。学校現場では、その利用が当然推測できる範囲であり、 個々に確認をとることが教育の迅速性を損なう場合は、定型業務として利用目的を特定し、了解を得たこととする方法。学校が包括的に、宣言、通知するので、個々の内容について誤解等が生じる可能性がある。」(同上)
********

人によって同意を得られない可能性があるのでしっかりと意思の確認が必要な場合には「オブトイン」方式が使われ、学校現場ではその利用が当然推測でき、社会常識に照らしても同意を得られない可能性は少ない場合に使われるのが「オプトアウト」と言える。


<「学級連絡網」の作成はオプトインで、「PTA名簿」の作成はオプトアウト>
当該資料のp.21~23には「6 個人情報文書の扱いとその管理方法の例」と題された詳細な一覧表があり、それを見ると、どういう内容がオプトインで扱われるのが望ましく、どういう内容がオプトアウトでよいのかが具体的に示されている。

それを見ると、オプトインで同意を得る必要があるものとしては、「学校だより」等に氏名や写真を載せる場合、「地区別班名簿」に氏名や連絡先を載せる場合、「学級連絡網」に氏名、電話番号を載せる場合等がある。
妥当な対応だと思う。

ところが、その一覧表を見ると、「PTA連絡網」という項目があり(最後から三段目)、「同意方法」として、「プライバシーポリシー」(オプトアウト)とされているのだ(p.23)。
使用される情報としては、「①会員氏名、②役職、③電話番号」とされている。また、その連絡網はPTAの「会員名簿」でもあることがその資料には記されている。

学校の運営上必要度の高い「学級連絡網」作成のための個人情報提供に関しては、「個々に書面で通知し、一人ひとりから同意を得る必要がある」のに、学校とは別団体の任意に構成される団体の「会員名簿」作成のために個人情報を提供することが、一体どうして、「概ね全体に理解が得られ、個々に意志を確認するに及ばない」となるのだろうか?
疑問禁じ得ない。
まるお注:そもそも、入会に関する意思が確認されていないのに、「会員名簿」作成のために、保護者の個人情報を学校がPTAに提供しているとしたら、事実上、学校が保護者を「有無を言わせず」PTA会員にしてしまっていることを意味する。
このことは、個人情報の保護云々を超えて、より深刻な人権侵害(公的機関による「消極的結社の自由」の侵害)として問題にされるべきことだと考える。



<「利用目的の明確化」(条例7条)の観点からも問題>
当該資料のp.16に、保護者宛の「個人情報の取り扱いについて」という文書(プライバシーポリシー)が示されている。その冒頭部分を少し長くなるが引用してみる。

*******************************
1 取得した個人情報の取り扱いについて
学校では児童・生徒の入学時、転入学時に、個人調査票、保健調査票等により、氏名、住所、生年月日、保 護者の氏名等、個人を特定できる様々な情報を入手します。それらをコンピュータ等で処理して業務に利用し ますが、次の目的で利用するものであり、他の目的に利用することはありません。(別途法令等に定められている場合、生命・身体・財産等の保護が必要だが本人・保護者の同意確認が困難な場合、児童・生徒の健全育成 に必要だが保護者の同意確認が困難である場合などを除く。横浜市個人情報保護条例、文科省通知に準拠)
(1)入学・転学・進学の手続き、及び転学・進学先への書類の送付
(2)児童・生徒の教育及び学校生活全般に関する管理・連絡及び手続き ・登下校時の安全確保、地震等の際の危険回避、健康管理、その他学校生活全般に関する管理等
(3)児童・生徒本人及び保護者への連絡、書類の配布(発送)、それらに付随する業務
(4)PTA活動、学校運営協議会、学校家庭地域連絡協議会、その他学校サポート組織等
転学・進学の際は、法令で定められたもの以外は返却または廃棄します。 コンピュータ処理にあたっては、横浜市教育委員会で定められた方法に従って、厳正に処理します。 個人調査票、保健調査票等は、封筒に入れて配布します。提出の際もその封筒をご利用ください。なお、提出は学級または学年担任に手渡しする方法を原則とします。 (資源保護の観点から封筒は再利用します)
*******************************

(1)(2)(3)については、利用目的が明確になっており、また、そのような利用に対して異議や疑問を持つ保護者も通常いないと考えていいだろう。ところが、(4)になると、とたんに内容が抽象的になり、保護者が自分の個人情報がどのように使われるのか予想することが困難になる(私も先に紹介した一覧表の記述を見るまで皆目見当がつかなかった。注目すべきは、横浜市教委のPTA担当者も、「『PTA活動』とあるが、具体的にはどのように使われるのか?」との筆者の質問に答えられなかったことだ(2014年11月中旬)。

保護者に対して利用目的が特定、明確化されていないという点でも、横浜市におけるPTAをめぐる個人情報の扱われ方には問題があると言える。
個人情報の無断提供が問題であることは当然だが、たとえ一応の説明があったとしても、その説明は明確なものでなければならないことは、条例の7条に照らしても明らかだろう。

*****
第7条 実施機関は、個人情報を保有するに当たっては、法令又は条例、規則その他の規程の定める所掌事務を遂行するため必要な場合に限り、かつ、その利用の目的をできる限り特定しなければならない。
*****


<おわりに>
横浜市においては、学校における個人情報の取り扱いについては、PTA担当部署(指導部学校支援・地域連携課)とは別の部署(指導部指導企画課情報教育担当)が担当しており、当初、学校支援・地域連携課のY主任指導主事を通して指導企画課に対して問題点を指摘したものの、「作成時、弁護士のチェックは受けている」、「保護者から具体的な苦情が出ているなら対応を考えたいが、そうでないなら法の解釈の違いであり、変更の必要があるとは考えていない」との立場であった(2014年年末)。
しかし、その後、担当の指導企画課K指導主事と直接意見交換をする機会を得て、今回のエントリで触れた問題的を指摘したところ、検討の必要があることが理解され、今年度中を目途に検討していただけることになりました(2015年1月中旬)。

現在、横浜市のP連では、PTAの正常化に向けて活発な動きが見られる。
http://www.pta-yokohama.gr.jp/archives/1996
その動きには、教委PTA担当部署(指導部学校支援・地域連携課)からの指導・助言も与っているのではと推測される。
PTAをめぐる個人情報の取り扱いについても、すでに従来のやり方を改めている学校も少なくないようでもある。しかし一方で、「自動加入」が行われている学校がまだまだ多いことも事実であろう。
今あるPTAの正常化の流れをさらに実効あるものにするためにも、PTAをめぐる個人情報の取り扱いについて教委として再検討・再点検し、マニュアル(「横浜市立学校における個人情報取扱いに関する補足資料」等)の改訂を急いでいただきたいと考える。

熊本PTA裁判 PTA、学校・教委の対応

以前の記事でも話題にしましたが、熊本でPTAが訴えられています。
この裁判はもともと簡易裁判所ではじまったものですが、社会的な影響が考慮され、裁判所の判断により地方裁判所において「慎重な審理」が行われることになりました。
地方裁判所での一回目の口頭弁論が1月15日に行われる予定でしたが、直前になって27日に延期されることになりました。被告のPTAが急遽(きゅうきょ)弁護士を付けたためとのことです。

弁護士を付けるとなると相当な費用がかかります。その費用はどこから支出されるのか?
ネットでも、すでに大分のTTさんや、札幌市札苗小のPTA会長であるmoepapaさんが話題にされています。

http://blog.goo.ne.jp/ihoupta
http://blog.livedoor.jp/moepapa516-pta/archives/54314634.html


この裁判の大きな争点を私なりに整理すると、PTAの強制性、詐欺性を問題にする原告(保護者)と、うちのPTAに強制性や詐欺性など全くないと主張する被告(PTA)の争い、ということです。
(新聞報道やこれまでに裁判所に提出された原告・被告双方の書面等を参照しました)

訴えられたPTAは、強制性、詐欺性を全面的に否定しているものの、個々の会員にきちんと諮(はか)ったうえで意見集約されたものなのだろうか?と、前から疑問に思っていました。


<学校に聞いてみた>
そこで、先日(1月19日)、教頭先生に以下の点について、確認してみました。

① 被告のPTAが最近弁護士を付けたようだが、弁護士費用の出所は?
② PTAが強制性・詐欺性をめぐり訴えられたこと、そして、その訴えに対して全面的に抗弁していることについて、各会員は承知しているのか?
③強制性・詐欺性を問題にする原告の訴えに対しどのように対応するのかについて、PTAとして適切に意見集約が行われたのか?

① については、「聞いていないから分からない」とのことでした。
今後、確認する意思もないようでした。
(PTA会費の使途の問題であるのに関知しないという態度が許されるのでしょうか?
教頭先生と校長先生は、PTAの役員会・運営委員会の構成メンバーでもあるのですが・・・。)

② と③の質問についても、「把握していない」という回答。一方で、「各会員に対して何らかの報告がなされるとしたら、裁判の結果が出てからになるのではないか」とも。

教育委員会は今回の裁判をめぐる学校やPTA執行部のあり方を承知しているのか聞くと、「裁判の件に関して、教委には報告・相談はしていない」。


教頭先生とのやりとりから、以下の事情が見えてきました。

・学校は、今回の裁判に関してあくまでも第三者(と言うよりも「無関係者」)の立場に立ち、PTAに対して指導・助言したり意見交換したりということは、ほとんど全くしていないらしい。

・各会員は、今回の提訴に対するPTA執行部の対応(強制性・詐欺性の全面的な否定)について何ら情報を与えられておらず、その方針の決定に関与していないらしい。


<熊本市教委に聞いてみた>
学校の説明に納得がいかなかったので、翌日(1月20日)、熊本市教育委員会に問い合わせてみました。
市教委教育政策課課長のMさんが対応してくれました。

① 学校と深く関係するPTAが訴えられているのに学校幹部が「無関係」とのスタンスをとっていること
② 民主的な組織であるはずなのに個々の会員がカヤの外に置かれて裁判が進行していること
この二つについて、教委の考えを聞きました。

すると、
「今回の裁判は、会長が個人で対応すると聞いている。今手元に資料がないので私の記憶で言うのだが、今回の裁判は、原告と会長との間の問題であり、被告は会長個人であって、組織としてのPTAではないはずだ。」
だから、学校が無関係な立場を取ることも、各会員に情報提供をしたり対応について諮ることがなかったとしても問題ではない、という言い分のようでした。
(さらに、M課長は、原告以外の一般の保護者はPTAが任意であることを理解した上で入会していると理解している、とも。)

しかしながら、手元にある裁判資料を確認したところ、被告は「会長個人」ではなく「熊本市立○○小学校PTA」となっていました。

熊本市教委は、これまで「あくまでも会長個人が訴えられた」との前提で、今回の裁判への対応をしていたようです。もしも被告が会長個人であるならば、裁判については関知しないとする学校のスタンスも、各会員に何の説明・相談もせずに原告の主張を全否定する会長のスタンスも、あるいは認められるのかもしれません。
しかし、事実はそうではなく、訴えられたのは、間違いなく組織としてのPTAなのです。

M課長は「事実関係を確認させてほしい。早速、学校にも確認してみる。そして、ご指摘のように被告がPTAであるならば、今後教委としてどう対処していくのかについては、できるだけ早く回答する」とのことでした。


個々の会員を無視する形で裁判への対応を進めているPTA執行部(あるいは会長個人)。
PTAの存立と運営に深く関与しているにも関わらず、いざ訴えられたら「関知しない」とのスタンスをとる学校。
そして、今回の提訴をあくまでも原告と会長との間の個人と個人の争いごととして処理し、PTAや学校の対応を「問題なし」とする教委。

訴えられたこと自体もさることながら、
PTAと学校、そして教委の対応も、非常に気になるところです。

M課長からの回答がありましたら、またご報告したいと思います。


追記(2/1)
本エントリ、コメント8に、M課長からあった「中間回答」を紹介しています。

追記(4/5)
記し遅れましたが、コメント10に、教委への再問合わせとそれへの回答の内容を紹介しています。


日本世間学会 第32回研究大会で発表します

明後日の土曜日に開催される、日本世間学会の第32回研究大会で、

「日本語から探る『私』の姿」

という題目で発表します。

学会に提出した、発表の概要は、以下の通りです。

**********
「~することになりました」、「~と思われます」、「~と考えられます」等の「自発」表現が存在し好まれる。スル表現「お~する」が自己の行為を卑下する謙譲語として用いられ、ナル表現「お~になる」が相手の行為を尊ぶ尊敬語として用いられる。このような日本語に特徴的な事実は、日本の社会においては「主体性」や「自己決定」がネガティブなものとしてあることを示す。

その一方で、日本語では、敬語、人称詞、授受表現、受身表現、「~てくる」等、「私」との関わりを表わす表現が、文の成立において非常に大きな位置を占めている。このことは、日本語の「自己中心性」を示すものとして注目される。

日本語において認められる、「主体性の弱さ」と「自己中心性の強さ」という、この一見、矛盾した性質の背景には、どのような日本人の「私」の姿が認められるのか。
本発表では、丸山真男、木村敏、森有正、西田幾多郎、河合隼雄、プラトン等における「私」のあり方をめぐる所説に学びつつ、考えてみたい。
**********

このようなテーマで考えてみようと思ったきっかけは、一昨年の秋開催の第28回日本世間学会の研究発表大会(加藤薫(2012)「世間と日本語に通底するもの -主体性と第三者的視点の欠如-」)にて、日本語に見て取れる「非主体的側面」と「自己中心性」に言及したところ、「言っていることが矛盾していないか? いったい、日本人には『私』があると言っているのか? ないと言っているのか?」という批判を受けたことです。
この批判にこたえつつ、日本における「私」のあり方について理解を深められればと思います。
このことは、PTA問題の解決にも資するものと考えています。


前エントリで宿題とした、「世間」のあり方とPTA問題との関連性については、「継続審議」としたいと思います…。


なお、一昨年の発表内容と質疑応答の様子は、過去のブログ記事で取り上げています。

・日本世間学会 第28回研究大会で発表して(1) 発表篇
2012-11-18


・日本世間学会 第28回研究大会で発表して(2) 質疑応答篇
2012-12-04


「世間論と日本語 ―世間論に符合する日本語の文法的特徴―」『世間の学』VOL.3

「世間論と日本語 ―世間論に符合する日本語の文法的特徴―」が日本世間学会の学会誌『世間の学』VOL.3に掲載されました。

書影と論文集全体の目次(収録論文のタイトル)は、こちらです。

ちなみに、PTAについての拙論文(「日本型PTAに認められる問題点-ないがしろにされる『主体性』」)が掲載されている『世間の学』VOL.2については、こちら

以前、拙ブログ記事で『世間の学』VOL.2に掲載されたPTA論文の紹介をしましたが、まとめとして、
********************
PTA問題とは、けっして例外的かつ表層的な底の浅い問題ではなく、我々の「存在のあり方」と深く関わる問題だと思うのです。
*********************
と述べました。
http://ameblo.jp/maruo-jp/entry-11194438034.html

今回の論文では、その我々の「存在のあり方」について、日本語の文法的特徴から迫ったつもりです。


目次は以下の通りです。

*****
はじめに

1.「長幼の序」…敬語・人称詞のあり方
1.1 敬語体系の存在と中立的文体の欠如
1.2 「敬語行動」をめぐる日米比較 - 浮かび上がる「長幼の序」
1.3 「敬語行動」をめぐる日韓比較 - 浮かび上がる「相手」と「集団」の重さ

2.「贈与・互酬の関係」…授受に関わる表現

3.「共通の時間意識」…「よろしくお願いします」他・終助詞
3.1 「共通の時間意識」とは
3.2 「絆」の存在を示すその他の表現
3.3 終助詞「ね」の必須性

4.「自己決定の不在」…「自発表現」
4.1 「自発表現」- 「場所」としての「私」
4.2 「~ことになる」- 「主体性」を秘す「私」
4.3 尊敬語と謙譲語の成り立ち - 「自然発生」を尊び、「行為」を卑しむ心根

5.「空気の支配・所与性」…「S」が析出されない構文的傾向
5.1 「空気の支配」と「世間の所与性」とは
5.2 日本語における自動詞構文への好み - 非分析的傾向

6.「差別性・排他性」…自己中心性と二人称志向性
6.1 「自己中心性」と「差別性・排他性」- 差別性の背景
6.2 「二人称」への過剰な配慮と「三人称」への冷淡な扱い

まとめに代えて - 日本語の整理を通して見えてくるもの
*****


日本語論の観点から世間論の主張を裏付けていくという論の進め方になっていますが、私的には、世間論に導かれつつ、長年日本語について抱いてきた“もやもや”をかなりの程度整理できました。
整理や考察が足りないところも多々あることは自覚していますが、自らの問題意識をとにもかくにも“一か所にまとめられた”ように思います。今後は、ここを起点に前に進んでいければと思っています。

なお、この論文は、2012年の11月に開催された日本世間学会 第28回研究大会で、「世間学における指摘と日本語のありかた ~主体性と第三者的視点の欠如をめぐって~」と題して発表したものを、自分なりに発展させたものです。
発表時に配布したハンドアウトは、以下の拙エントリに貼ってあります。
・日本世間学会 第28回研究大会で発表して(1) 発表篇

そのエントリにいただいたコメント(「世間論の論点をもっと分かりやすく示すべきでは」)等も参考にさせていただき、日本語の考察もより進めたつもりです。

次のエントリでは、「世間」のあり方とPTA問題との関連性について述べてみたいと思います。

熊本PTA裁判に関連して『AERA』(2014.08.04号)にコメント  -学校・教委の責任-

7月28日発売の『AERA』に「PTA問題第5弾 会費の不明朗な使い道」と題する記事が掲載されました。

その号の広告です

前エントリで触れた熊本PTA裁判でも会費の扱いが問題にされていることから、今回の『AERA』の記事でもこの裁判に言及しています。

7月の上旬、アエラ記者の三宮千賀子さんの取材を受けました。
まず、今回の裁判の意義について問われました。
「PTAが任意加入の団体であることは、ここ数年、いろいろな方の努力によりかなり周知されてきたが、PTAの問題が司法の場で取り上げられることによって、周知の流れが決定的なものになるはずだ」とお答えしました。

そして、そのことに関連して記者の三宮さんから「“強制加入ではない”ことが皆の知るところになり、意思の確認がきちんと取られるようになれば、それでPTA問題は解決するのだろうか? 『同調圧力』の存在は無視できないのではないか。」といったことを尋ねられました。
それについての拙回答が、記事の中で以下のように紹介されました。

**********
 ただ、保護者に実質的な意思確認をして任意加入を徹底しても「先生や周囲の親から変な目で見られるから、任意でも結局は入るしかない」(奈良市の44歳の専業主婦)というのが、大部分の保護者の本音だろう。そうした状況の一因について、加藤教授はこう訴える。
「保護者にとって、学校の意向は絶対だと感じるもの。校長をはじめとする学校側がPTAを“便利な存在”として黙認して利用し続けていることも、PTAを強制的な加入にしてしまっている原因ではないでしょうか。」
**********

「同調圧力」の原因にはいくつもの側面があるとは思いますが、教委や学校の責任は大変重いと思っています。
これまで、教委や学校は「親ならPTAに入って当然」とのスタンスを取り続けてきました。
この学校・教委のスタンスが改められることなしには、PTA問題が解決することは難しいと思われます。


PTA問題における学校・教委の責任については、以前に以下の拙エントリで論じました。
・憲法の視点からのPTA改革 木村草太氏の朝日新聞投稿記事を読んで(その2)

そのエントリ中の
「3.教委の言い分(その2) 『親なら参加してしかるべし』」
と、
「4.PTA問題の核心にあるもの ― 法に基づかない規範意識、及び学校の『しくみ』が保護者の選択の自由を奪う」
をご参照いただければ幸いです。

なお、PTA第一弾の「横暴すぎるPTA役員選び 切迫早産なのに免除されない」(2014.03.03号)でも拙コメントが紹介されています。それについてのエントリは、こちら


(共感した他の方のコメント)
今回の『AERA』の記事の結末部分は、「一度リセットしては」という見出しが立てられ、昨年PTA会長を務めた専業主婦の方の以下のコメントで結ばれています。
**********
「任意加入が徹底され、会員も会費も集まらず、PTAが成り立たなくなってしまったら、悲しい。でもやりたくない人を無理やり引き入れる弊害のほうが大きいと悟って、一度リセットしてみるという発想も必要な時代なのかも。誰かがやらねばと思う半面、理不尽なことも多々ありましたから。
**********

ちなみに、『AERA』のPTA記事の第2弾、「必要? 不要? PTA」(2014.04.07号)の末尾は、PTA組織の必要性を問う、杉並区の公務員女性の次のことばて結ばれています。
**********
「PTAでなくても保護者会などで学校と保護者はつなぐことはできる。PTA行事には本来、学校がやるべきものも含まれており、無理やり仕事を作っているように感じます。無報酬で強制的に運営しないと義務教育は成り立たないのか。『そもそも論』を問いたいです」
**********

これも、非常に鋭いところを突いていると思います。
学校・教委、そして文科省には、義務教育の運営主体として、この真摯な問いに答える説明責任があるはずです。

熊本PTA裁判について「小平の風」に書きました

今回の裁判は起こるべくして起こったと思っています。PTA問題における、裁判に至るまでの経緯と今回の裁判の意義を、自分との関わりも含めてまとめてみました。

こちらです。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>