文科省との対話(4)報告篇③ | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

文科省との対話(4)報告篇③

<学校とPTAの癒着による非会員の疎外問題について>
次のようなことを問いかけた。
「学校主催の保護者会とPTA主催の学級PTAとの「境」のない(あるいは曖昧な)学校が多くみられる。この現状は、「自由入会」の精神に反するものであり、問題。
PTAに入らない保護者も、安心して学校や他の保護者と必要な連携を取ることができるような、制度設計がなされてしかるべきだ。
現状は、「保護者会」と「学級PTA」の概念上の区別もなされておらず、ぐちゃぐちゃな状況であり、早急な改善が必要だ。」

担当者氏も、年度や学期の変わり目に保護者と担任が一堂に会し、情報交換等をする「保護者会」と、社会教育のひとつの実践である「学級PTA」は、「確かに、役割として明らかに違うと思う」と述べた。「分離されてしかるべきだ。」とも。
おっ、いいぞ!と思っていると、
「ではどういう道筋でその分離を実現するのかは、簡単ではない。」とも。

私が「保護者と教師とのミニマムな連携は、PTAから切り離されるべきですよね。」とたたみかけると、「『既存の組織の有効活用』はあっていいのでは?」とも言う…。
それは、拙ブログの7/7のエントリ(<PTA問題の源>)でとりあげた「地方分権時代における教育委員会の在り方について」(中央教育審議会平成17年)を下敷きにしたものなのだろう。

それに対しては、そのスタンスは全員参加を前提にしてのものであり、納得しかねると述べておいた。
「既存」と簡単に言うが、毎年毎年人が入れ替わるのに、なんで「既存」などと言えるのか、不思議だ。
やはり、PTAが保護者と学校が連携する上でのミニマムな領域に食い込むことは、その法的位置づけ(一任意団体にすぎない)、さらには過去のPTAに対する文部省自身による位置づけ(通達等)から言って、あってはならないことだと思われるのである。
この問題については(特に)、議論が十分に煮詰まらなかったように思うので、再度問いかけてみたいと思っている。


<担当者氏からの訂正要求>
話し合いの最後に、担当者氏側からの反論や訂正要求はないかうかがった。
まず、
「保護者の意見を集約するものとしてPTAは必要だ。」
と自分が述べたことになっているが、そのようなことは言っていない。
「学校と保護者が連携する上で一定の役割を果たすことを文科省としては期待している。」と言ったのだ。
という訂正の要請があった。

それから、
*****
「盛んになってほしい」から、本当のことは国民に対して隠す。
こんな、国民を馬鹿にした行政が許されるのだろうか(嘆息&怒)?

*****
という当方のブログでの発言に対しては納得されていないらしく、
「賛同する人ができるだけ多く入るのが望ましいと思っている。
それだけであり、(だまして入れるつもりはない。)」

とのこと。

趣旨として、「だまして入れるつもりはない」ということなら、任意加入がきちんと守られているかどうかの「実態調査」をすることをなぜそんなに避けたがるのか? 国会の決議だってあるのに、おかしいではないですか!
と突っ込むと、なんかもごもごとおっしゃっていたが、いまひとつ頭に入らなかった。
どうやら、下手に動くと、推進派から「私たち(or彼ら)がこんなにがんばっているのに、なぜうしろから鉄砲を打つようなことをするのか!」とクレームがつくということらしい。


(おまけ)
前回の問い合わせへの返答
Q:「地域の教育力の低下」という言説を裏付けるデータ等はあるのか?
A:「総務省の調査が元になっている。」
二週間以上も前に問い合わせたものなのに、その具体的内容は担当者氏も把握されていなかった…。
今忙しい時期とはいえ、こんなことは質問されるまでもなく把握しておくべきことなのでは。
要するに、「~と言われています。」の世界で、誰がどのような根拠に基づきそう言っているのですか?と突っ込んでも、「さあ?」なのだろう(嘆息)。

Q:奈良市P連とは連絡がついたか?
A:「いまだ連絡つかず。」
次回の話し合いの時にも進展していなかったら、市教委への働きかけを要請するべきかもしれない。そもそも、この問題は、「卒業式における生徒差別の懸念」の問題なのだから。