PTA問題の実際的解決に向けて ― 保護者を追い詰めているものは何なのか? | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

PTA問題の実際的解決に向けて ― 保護者を追い詰めているものは何なのか?

<「現実」を直視せよとの指摘を受けて…>
PTAが任意加入の団体であることは、新聞やテレビで大きく取り上げられたり、横浜市や千葉市等においても任意加入であることをはっきりと保護者に示す動きが出てきたりで、一定の決着がつき、周知もされてきたと言える。
ちなみに、4/3(火)にもPTA問題が読売テレビで大きく取り上げられたことを「とまて日記」のとまてさんが紹介してくれています。
こちら←ポチしてください。


しかし、先日、こんなことがあった。
「調布の子育て掲示板」というサイトでPTAのあり方が取り上げられ大変な盛況となっていた。春休みということもあり私も参加していたところ、次のような趣旨の反応が返ってきたのだ。

「お前の言っていることは筋は通っている。でも、ふつうの保護者にとっての『現実』や『感情』の問題に目が届いていない。そこを何とかしなければPTAの問題は何にも解決しない。」
(2012/03/28(水)からはじまる「Title: PTA加入は各自の自由(報告)です」というスレの後半あたりの複数のレスの内容を要約。
http://www.play21.jp/board/formz.cgi?id=kosodate&page=&all=yes#11320)

そのような反応に対しては自分がこれまで実践してきたことを説明したりして、理屈だけをこねているわけではないと抗弁したものの、何か引っかかるものがあった。
ところが、その数日後、ある人から貴重なヒントをもらった。

最近書いたPTA関係の論文を読んでくれたある同僚の先生(女性)が次のようなコメントを口頭で寄せてくれたのだ。

その先生曰く、
「PTAが任意加入であるべきなのにそうなっていないのは問題だというのはよくわかった。だけど、PTAでやらなくてはいけない仕事があるとしたら、会員の親が非会員の親に対して『非会員の子どもに関わることまで自分たちはやっているのに・・』と釈然としない思いを持つのは仕方がないのではないか?」

そのコメントをもらい、
「だから、先生、『PTAでやらなくてはいけない仕事』なんて一つもないのですよ。やりたくなければ何にもやらなくたっていいのです。何と言ってもPTAはボランティアなのですから。」
と言いかけて、「あっ」と思った。
その数日前に調布の子育て掲示板で指摘された「保護者の置かれている『現実』と『感情』に目を向けてみよ」との指摘が思い出されたのだ。

考えてみれば、今年度においても、ごく普通の保護者にとって「PTAに入らない」という選択は極めて取りにくいといえる。そして、入ったら入ったで、執行部から仕事の「分担」を求められ、それを断るのもこれまた極めて難しいというのが大方の現実と言って差し支えないだろう。
つまり、残念ながら現実問題としては、ほとんどの親にとってPTAは「任意加入」にはなっていないし、PTAの仕事をするかしないのかも「任意」にはなっていない。

PTAの仕事は、今も、おかしなことではあるのだが、やらなくてはいけないことになってしまっているのだ。
この「現実」を直視する必要がある。

現状では、ほとんどすべてのPTAにおいて、やらなくてはいけない仕事がすでに決まっており、それをだれが分担するかだけが問われる。
そうなると、分担する保護者の数が減ればそれだけ残った人の負担は増える。
そのような「現実」の中に置かれている保護者が、「あなたたちの子どものためにもわたしたちは働いているのにあなたが何もしないのはずるい!」と思ったとしてもそれはやむを得ないとも言える・・。


<諸悪の根源としての「活動のノルマ化」>
だから、問題は、「やらなくてはいけない仕事があらかじめ決まってしまっている」というところにあるように思う。

「こういうことをやりたい。」、「こういうことならできる。」というひとりひとりの会員の意向がまずあって、それに合わせてPTAの仕事が構成されるのではなく、実態としては、あらかじめやるべき仕事が決まってしまっており、ひとりひとりの会員は、その仕事を消化するための「頭数」として扱われているのだ。

では、どうすればいいのか。
「活動のノルマ化」を排して、会員がやりたいこと、やってもいいこと、やる意義を感じたことをあくまでも自分たちのペースでできるようになれば、PTA活動をしない保護者への不満も出てこないはずである。
PTA活動が「やらなくてはならなくなっている」現状において、「ただ乗り論」はロジックのレベルはともかくも、感情のレベルにおいては無視しがたい。
この不公平感を解消するためには、PTA内部における「活動のノルマ化」を解消する必要がある。
ここが解決しないと、入退会の真の自由の実現も難しいと思われる。


<「活動のノルマ化」をもたらしているものとは?>
では、本来本人の自由意思によりなされるべき活動が、なぜ強制的な「おつとめ」になってしまっているのか。
PTA活動のボランティア化の実現を阻んでいるものは何なのか。

これからしばらく、「活動のノルマ化」を解消するにはどうすればいいのか?
何が「活動のボランティア化」を阻んでいるのか?を、できるだけ「現実」と「感情」に則しつつ考えていければと思っている。


(おわりに)
このエントリで述べたことは、年末の仙台における教育課題研究発表会の休憩時間の折、朝日新聞の堀内記者から出された「『非会員ただ乗り論』をどう乗り越えていけばいいのか?」との問題提起に刺激を受けてのものでもあります。

「非会員ただ乗り論」は、
「PTAは会員の子どものための組織ではない」
「子どもはみんな非会員である」
というロジックによって私の中ではすでに「解決済み」の問題でしたが、その堀内さんの問題提起は「ただ乗り論」が実はまだ解決されてはいないのでは…と思い直すきっかけになりました。