今回わが国を襲った強烈な悲劇は、国家が国家でないことを、政府が政府でないことを、為政者が為政者でないことを、企業が企業でないことを、疑問を差し挟む余地がないほどはっきりと証明しました。つまり、これまで多くの人々は、亡霊のごとき幻想の相手を過大に評価し、悪辣なだけの木偶の坊たちの言いなりになってきたというわけです。

 大惨事が発生するたびに、この国を統べる、肩書だけの輩は何よりもまず逃げの一手を打ち、国民を見捨て、いや、見殺しにしてきました。今度もその例にもれません。これでは卑劣きわまりない殺人行為と見なされても仕方がないでしょう。憲法で高らかにうたっているところの人間として生きるための権利などお笑い種もいいところです。

 もしかすると、そもそも日本には国家と呼べるほどのちゃんとした国家が存在したためしなど一度たりともなかったのかもしれません。そして、蜃気楼のごとく、あたかも存在したかのように思わせるそれは、実体がない故に、従順に過ぎる人々にとっては最も邪悪な敵でありつづけてきたということにもなるでしょう。

 たとえどんなに悲惨な状態に投げ込まれたとしても、ささやかながらも希望に支えられて生きてゆかれるような、ちょっとした幸福な瞬間を見いだせるような、気づいたときには重苦しい悲哀の大半が取り除かれているような、おぞましい過去を踏み越えて前進の覚悟を固められるような、そうした最低条件を満たしているのならば、国家の端くれとして認めてもいいのですが、今の日本ではとてもとても……。